カワトンボ

清流でなくとも淡水は必要


 十年ほど前に福井県の芦原温泉に行ったことがある。三国、東尋坊などに近い鄙びた温泉地である。宿の近くに川が流れていた。何のことはない、生活廃水なども流す普通のどぶ川に近いと思われるものに過ぎない。それでもフナやコイが群れ成して泳いでいたし、上から覗いただけで様々な昆虫、動物を見つけることができた。カメまで泳いでいた。都会ではペットの狂暴なカミツキガメが育ち過ぎてしまい、こっそり近所の池などに放して問題となるケースが頻出しているが、当地で見たのは無論、カミツキガメなどではない。在来種だった。
 杜氏が幼い頃を過ごした時期の追浜でも、どぶ川は生物の宝庫だった。既にザリガニはマッカチン(ダグラス・マッカーサーからの転用か?)と呼ばれるアメリカザリガニが主流だったが、どぶ川で獲ることができた。稀だったが、蒼白い在来種のザリガニも住んでいた。ベンケイガニは実は別種だが、俗にそう呼ばれていたアカテガニも街中に自然に生息していた。今はこの辺りでも自然の干潟である三崎の網代の森にしか見られず、ある時期に一斉に山を降りて干潟を目指し、産卵へと向かう行列が珍しがられていたりする。思えば追浜も近くに野島の干潟を控えており、アカテガニが住むのに適していたのだろう。しかし、現在の追浜にその面影はない。
 無論、人間から見て「汚い」生物もいた。ボウフラはごく当たり前に水の中で舞っていたし、それを食料とするイトミミズも川底にへばりついて群生していた。杜氏の現在の住まいは観音崎近辺で、気軽に海水浴に行ける距離である。大胆な水着ギャルを目にするのは眼福であるが、その一人が波打ち際に打ち上げられた海藻を見て、こう口にするのを耳にしたことがある。「逗子や江ノ島の海岸はきれいで、こンなもの少しもありはしない」 笑止である。海藻がないのははきれいだからではない。海藻も育たない環境であることを物語っている。人間にとって衛生的に見えることがきれいなのではない。そういう人間はいつか自然からの鉄槌を下されるであろう。海藻が正常に繁茂している海岸は、少なくともそうではない海岸よりまっとうで危険が少ないのだ。
 街中から淡水の流れが姿を消して久しい。どぶ川の多くは地中に封じ込められた。まるで臭いものに蓋をするかのように。都市の景観を害するということだろうか? 京都は一大観光都市でありながら、政令指定を受けている稀有な存在である。歴史的な史跡として神社仏閣の類は手厚い保護を受けている。西田哲学のメッカでもある哲学の蹊などは清流を保っている。しかし、これも人工的な印象が強く、ボウフラやイトミミズ、ザリガニの棲息地とは考えにくい。
 昔は水田も重要な生物の棲息地だった。あぜ道には自然にセリが蔓延り、種々のカエル、イモリなどの両生類、タガメ、ミズカマキリ、ヤゴなどの昆虫、タニシ、カワニナなどの淡水に住む貝類を田圃と畔が育んでいた。葦や蒲の茂る湿地はカモの温床にもなっていた。杜氏の住んでいた地方から田圃がなくなったのは、一九六〇年代末。今はそこに大昔からあったかのように住宅地が広がっている。
 淡水が地表から姿を消して、景観はよくなったかもしれないし、別段人間にとっての実害は感じられない。でも、目にすることがなくなった生物は数多い。ムラサキトビゲラ。見ようによっては不気味、別の見方をすれば華やかと言えなくもない姿を見かけなくなって悠に三五年は経つ。ヘビトンボ。幼虫のマゴタロウムシは水棲で、串に刺して焼いたものは子供の疳の虫に効くそうだが、今は成虫すら陰も形もない。ミズスマシ。当たり前のように淡水に見られたこの虫すら、気がつけば相当ご無沙汰である。
 その中にカワトンボの類も挙げられる。英語でトンボはドラゴン・フライ。龍の蝿である。昆虫の中でも極めて高い飛行能力を感じさせる類だ。大型のヤンマはジェット機のように直線的に飛ぶ。トンボの常として俊敏ではあるが、ヤンマ道と称される経路で待ち伏せすれば、比較的容易に捕らえられる。シオカラトンボ(ムギワラトンボ)に象徴される中型の類はプロペラ機のように小回りが利く。指で視界の近くに円を描けば目を回すというのは俗説で、余計なことをして逃げられるのがオチである。小型のアカトンボの類はヘリコプター。空中でホバリングをして餌の捕獲や敵の襲撃に備える。もっと小型のイトトンボは・・・・・。これといった技を持たないし、捕らえてもあまり面白味はない。
 カワトンボは、住宅密集地域より僅かに上流で見られることが多かった。追浜には、戦隊ヒーロー物の元祖(?)忍者部隊月光のロケ地、鷹取山を背後に控え、そこから街中へと注ぐ清流を抱えていた。因みに忍者部隊・・には、後の「太陽にほえろ」のデンカ役、小野寺昭も出演していたが、この前彼のプロフィールを見たら最初の民放連続テレビ小説作品である「パンとあこがれ」がデビューとなっていた。明らかに「パン・・」は「忍者・・」の数年後の作品である。忍者部隊・・のキャリアを抹殺するなど、(気持ちはわからぬでもないが)当時の子供達の夢を摘み取るような酷い仕打ちである。
 さてカワトンボである。杜氏達はよく鷹取山の中腹の沼で、水棲昆虫や小魚、カエル、イモリなどを獲って遊んだものだった。捕獲のための道具は駄菓子屋でも売っていた安物のタモ網で、赤い網の糸がすぐに切れて穴が開いたり、網の輪ッかから網が容易に外れてしまうようなシロモノだった。それでもないよりはマシだった。沼や川での虫取り遊びで心が湧き立つのは、見えている地上とは違って、水底の枯葉、石の陰から思わぬ生物が突然姿を見せる意外性、神秘性だった。カブトムシ、クワガタなどは造形的にも大変魅力的ではあったが、水の中で遭遇する生命の驚異にも他に替え難い魅力があった。海に潜ればより豊かな生態系を目にすることは容易だ。しかし、海は海で別の閉じた世界であり、杜氏達の生活空間から連続して辿れる淡水の世界はまた違う味わいだった。
 そういった淡水遊びに夢中になって興じている杜氏達の上空を舞っているのがカワトンボだった。上述したヤンマ、中型のトンボ群、アカトンボとも違う飛行をカワトンボ達は披露する。上記のトンボが四枚の羽を一対の翼のように一緒に用いるのに対して、カワトンボは四枚をバラバラに動かしているように見えた。それはあたかもチョウやガのような羽の使い方だった。一見、それら鱗翅目の昆虫と見間違えそうになるのは、飛翔方法のせいであろう。前出のムラサキトビゲラなども羽の色や飛び方にガを思わせるところがあるが、それと共通していた。カワトンボはおそらくトンボの中でも原始的な部類であろうが、鱗翅目からの進化が充分ではなかったのだろうか? 最も鱗翅目がトンボに進化したなど分類学上妥当とも思えないが。
 その当時、ムカシトンボなどという古代のトンボに近い種類が日本でも発見され話題に上ったものだった。胴体の模様などはオニヤンマに近かったが、身体の造作はカワトンボに似ている気がした。珍しくもないカワトンボであったが、ムカシトンボと併せて考えると、浪漫を誘う昆虫であった。下流のどぶ川には寄ってこないところもどこか清涼感を窺わせた。実際の生態は清涼ではなく、普通昆虫は生殖相手として処女雌を選ぶところを、カワトンボの雄は年増だろうが委細構わずで、先客の同輩が交尾で残していった雌の生殖器に挿入された精巣のカプセルのようなものを掻き出して、自分のそれに差し返るというエゲツない行為を採るという。遺伝子継承のための仁義なき戦いである。
 カワトンボの交尾の姿はつがいの雄と雌が互いの身体でハート型を描くというロマンティックな幻想を人間に与えるが、実態を知ると人間の勝手な幻想ブチ壊し。かえって清々しさを感じさせるのが不思議だ。
 一昨年、杜氏が大分の湯布院に出張に赴いた際、朝の散歩で川沿いに出ると、久しぶりにカワトンボが群れを成して飛んでいるのが見えた。しかも、記憶の中の追浜のカワトンボより濃密に生息しており、嬉しくなってしまった。その川が京都の哲学の蹊のごとき人出で守られたものとも思えない普通のかわであることも喜ばしかった。ああ、まだ日本も捨てたモンじゃないと感じた。

 子供の頃、トンボのつがいはゲッツーと呼ばれていた。その状態で捕獲すれば二匹いっぺんに手に入ることだろう。だが、その状態は彼らにとって重要な作業。掴まえてダブルプレにするなど酷な仕打ちだ。そして、「ゲッツー」のまま、雌は産卵管のある尾を水面にたたきつけるように産卵を繰り返す。よく、雨が降ってできただけの水たまりにも産卵しているのを目にしたものだ。やはり虫は浅はかだとか、孵ったヤゴが可哀想だとか、無駄なことを、などと感じたものだが、水という水が地表にほとんど見られない現代では、そういう姿すら目にすることがなくなった。
 ボウフラがあれほど生息していたのにさほど蚊に食われることがなかった昔は、トンボが蚊を平らげてくれていた。今はボウフラもいないかわりにトンボも目にしない。たまに蚊が部屋を飛んでいようモノならハチが舞いこんだように大騒ぎをする。双方たくさんいた昔と、どちらもあまり見かけなくなった今を比べて、人間としては同じようなものだろうと思う人がほとんどであろう。微妙に違うだろ!
 カワトンボが乱舞していた湯布院を、もう一度訪ねてみたい。



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