

ポピュラー・ミュージックのヒット・メイカーとして面目躍如たるものがあったホール・アンド・オーツ(ダリル・ホール、アンド、ジョン・オーツ)は、ロック評論家の渋谷陽一氏によれば、故意に大衆の好みから少し進んでみたり、やや遅れてみたりしてその微妙な差異で大衆の感覚を刺激して人気を博していたのだそうだ。大衆の感覚を基本とすること、ぴったりと迎合するワケではないこと、進め方遅れ方が少しであることがポイントだったのだろう。なるほど、彼らのセンシブルなサウンドの正体がやや見えてくるような気もする。そうなのだとしたら、同時に大衆の感じ方との相対から表現が出発する点で限界もあるようにも思える。例えばビートルズやローリング・ストーンズは、あまりそのようなことに気を配りはしなかっただろう。彼らの皮膚、体臭自体が大衆感覚を惹きつける。キング・クリムゾンもピンク・フロイドも同様だろう。他にも色々。(紹介略) ホール・アンド・オーツの音楽が暴力的だったり力任せなところが少しもないのも、そういった調和感覚のゆえだろうか。因みにやはり和み系(眠くなる)のジ・イーグルスの"New
kid in town"で「最近仲間に入ったジョニー」(つまりNew kid in town)はジョン(ジョニー)・オーツのことなのだという。これも大きな個性であろう。
とてもありふれたものによく似ているけれど、微妙に違うことがアクセントになっている事象は意外と多くありそうだ。野球の強打者が得意とするコースのすぐそばに空振りし易いポイントがあり、優秀な投手はそこをリスクを冒しても攻めるようなものだろうか。(ちょっと違う!) 寧ろ「亜速球」であるシュート、スライダー、SFFの方が事例としては相応しいか。速球と見せて、打者の想定する軌跡から微妙にずれる。
アゲハチョウは日本人にとって親しみ易い鱗翅目昆虫である。大型で見栄えがするし、翅の模様も馴染み深い。後翅のスワロウ・テイルもお洒落なワンポイントだ。どこにでもいるし、庭の柑橘系の木に産卵することも多いので、頻繁に飼育されたりもする。普通のアゲハチョウはナミアゲハと呼ばれ、アゲハの類を代表する種と言える。このナミアゲハにとてもよく似ているが、微妙な違いに魅力を醸しているのがキアゲハである。よくよく生態を観察すると、微妙にではなく、かなり顕著に違っている。
黄という色はどのような色なのだろうか? おそらく自然界の花では最も多く見られる色であろう。それだけ花粉を媒介する虫にとって認識し易いのだろう。だから逆に黄色い花を着ける遺伝子を持った植物が生き残ることが出来たとも言える。また黒と黄色の縞模様はもっとも目立つ組み合わせとして、工事現場や線路の踏切などの注意を喚起する場所に多く用いられる。これは最も警戒を要する昆虫であるハチのデザインを、人間が借用したものであろう。ただ、人の気持ちを和らげるという意味では、緑をはじめとする他の色には及ばない。寧ろ異常性を喚起する色のようにも思える。子供の頃、誰かがクレイジィな振る舞いをすると、「黄色い車が来るよ」などと言ったものだ。今は不適当な表現としてマスコミは決して用いないが、「気違い(コンピュータの電子辞書にも登録がなく、2chでは「基地外」などと表記)病院」の患者収容車のボディが黄色に塗られているという俗説から来た言い回しである。実際に精神病院の車が黄色いワケではなかったが、感覚としてはよくわかる。というか、鮮やかな黄色は花にこそ相応しいが、人工の構造物、衣服などに用いられると異常な感じがする。黄色=キ印の単純な連想だけではあるまい。
黄色いチョウというのは色々ある。これまた日本を代表するありふれたチョウであるモンシロチョウに近い種のキチョウ、モンキチョウ、タテハの類ではキタテハ、キマダラヒョウモン、キマダラヒカゲ、etc. キチョウ、モンキチョウは黄色が支配的な翅を持つチョウであるが、色が淡くクリーム色に近い気がする。タテハの類は色がハイブリッドで黄褐色ややや赤みを帯びているような気がする。ルナティックななでに黄色いのは、キアゲハの一部の黄色が濃い個体であるように思える。もっとも、キアゲハも生育条件の影響なのか、黄色い部分がナミアゲハとあまり変わらないアイヴォリーである個体も数多い。だが印象としては、とても黄色の度合いが強いチョウと、杜氏は認識している。
ナミアゲハと違うのは、やや大型(翅の開帳9〜10cm)であることと、前翅の付け根がナミアゲハでは縞模様なのに対して黒いことの二点である。だがこれは成虫の姿での見分け方に過ぎず、幼虫は全く違う。食草はナミアゲハが柑橘系の植物であるのに対して、ニンジン、セリ、ミツバ、パセリ、ウイキョウ、シシウドなどのセリ科の植物である。これらの植物が見られない場所では極稀に柑橘系の植物に頼ることもあるらしい。食草として最もニンジンが有名なのは、農家への被害が顕著であるせいだろう。だが、キアゲハとしてはセリ植物独特の香気(つまりは成分)に惹かれているのだろうと推察できる。肉を柔らかくする効果があるということで有名なパパインはパパイヤに多く含まれ、その名の語源にもなっているが、食品に含まれるヴィタミンに準じる役割を評価されているカロチンもニンジンを示すキャロットからの派生語であるというパパインと並んで馬鹿馬鹿しいネーミングだ。キャロットは緑黄色野菜の代名詞。キアゲハの鮮やかな黄も食草に影響されているに違いないと感じる。
幼虫はナミアゲハ同様、孵化したばかりの第一令は鳥の糞に似た色と形をしており、天敵である鳥、人間などの目を欺くが、やがて淡い黄緑の地に濃緑色の縞ともまだらともつかかないような模様を帯びた芋虫となる。縞が途切れた点線となっているとしか文章では表現できない。縞模様はあるものの、塗りこめたような緑の基調だけが印象に残るナミアゲハの幼虫とは全く違う。危機に瀕すると頭部から角を出したり、異常な臭気や黒っぽい液体を出して敵を威嚇するのは、アゲハの幼虫の共通する特徴である。とても目立つ模様に思えるが、それでもかなり大きくなるまで見つけるのが困難ということは、やはり保護色として機能しているからであろう。
ほぼ日本全土に分布するが、北方系のチョウであった名残なのか、沖縄には住めないようだ。寒い地方というよりは、成虫は高い土地の方をより好むらしく、強い飛翔力を活かして時に高原、高山へ登る傾向にある。セリ科の植物が山地中心にあったのが、ニンジンなどの人間による栽培により、食草の分布が平地にシフトした結果、そうなったのだろうか。数豊富なセリ類を求めてより大型化し飛翔能力を高めて高地へニッチを広げた種が、人間の栽培文化が起こした植生の変化により里に呼び戻されたような印象がある。
気候によってライフ・サイクルは自在に変化するらしい。温暖な地方の平地では年に三〜四回繁殖を繰り返すらしいが、寒冷地では一回に限られる。いずれのケースも越冬は蛹で行われる。寒冷地での幼虫の成育は通常の数分の一の速度に留まるということだろう。数回繁殖するタイプでは夏型が他の世代より大きくなる傾向にある。都会での生活はテンポが速く活動的であるのに対して、田舎での生活はスロー・テンポである代わりに刺激も少なく、自ずと長寿になり易いといったところか。田舎のねずみと都会のねずみとはどちらが幸福かわからないが、田舎のねずみとて都会に暮らせば同じライフ・サイクルを以て生きなければならない。
成虫はアザミなどの花蜜が多い花を好み、地上に降りて水と塩分を補給する生活を送る。いずれにせよ、成虫としても姿では二十日とは生き長らえることができないだろう。成虫期の長さからすればセミとさほど変わりがない。アゲハのような大型のチョウの宿命である。あれだけ大きな翅を鱗粉を抱えたままで、雨露を凌ぎながら長時間保つのは不可能だ。アサギマダラが頑丈で長生きなのも、鱗粉を持たないせいである。してみると、成虫のまま越冬する一部のタテハチョウの何としたたかなことか。
ありふれたナミアゲハとよく似ているがゆえに、キアゲハの鮮やかな黄は人間の目にはよく映える。杜氏だけが持つ印象なのかもしれないが、その色合いは吉田兼好が徒然草の冒頭で綴った「あやしうこそものぐるおしけれ」といった、人間持つの説明のつかない鬱勃たるパトスを喚起させるような誘惑を帯びているような気がする。多分、昆虫に興味を持たない圧倒的多数の人間は、キアゲハをナミアゲハと同様、単なるアゲハと認識して見過ごしているのだろう。これも人間が動物としての本能を磨耗させてしまっていることの反証なのだろうか。
ホール・アンド・オーツが腐心したのは明らかに並みではないセンスを如何に並みに漸近させてビッグ・ビジネスにつなげるかという点だったのかもしれない。そンなことは渋谷陽一氏のごとき、重箱の隅をほじくるのを面白がる奇特な人種しか興味を持たれないだろうし、音楽という文化の本質を外れている問題かもしれない。だが、明らかにナミアゲハよりは微妙に美しく僅かに能力が高いキアゲハを、単なる「ニンジンの害虫」としか認識できないのは、何だか寂しい気もする。
苦心して複雑怪奇な握りで投げた亜速球系変化球で空振り三振に取ったスラッガーが、「何だか変な緩めのストレートを振ってしまった」としか認識していないと知った投手の心境だろうか。相手に気付かれぬ変化球。それこそ真の魔球なのかもしれない。だが、芸能人と気付かれぬようサングラスで変装して歩いていたら、誰も気付いてくれなかったと怒ったという某歌手の味わったような空しさは残る。結果としては、何も変わりはしない。
Winery 〜Field noteへ戻る