街のネズミと田舎のネズミ

 幼い頃、こうだと思い込んでいたことが、数十年経って、いつの間にか覆っていることが少なくない。アオマツムシは小学一年生のときに見た図鑑では、珍しい昆虫とされていた。帰化昆虫であり、ニッチが確立していなかったに違いない。珍しい種だと思い込んでいたから、友達の家の庭に生えていた桃の木にその姿を見つけたことは、密かに嬉しかったりもした。だが、程なくアオマツムシは大繁殖を始め、風情のある在来種の奥ゆかしい鳴き音を隅に押しやるような大音響で日本の晩夏の夜を支配するようになってしまう。一方で減反の影響で田圃が消え、田に水を引き込んでいた小川や湖沼も杜氏達の身辺から遠ざかり、水棲昆虫、トンボ、淡水魚、カエル、イモリなどの両生類の生態系も大きく変化してしまった。昔身近にあった自然が今でもそのまま残っているように錯覚してしまうのだが、杜氏達が認識している自然と今の子供達が目にしている自然は全く異なっている。たかだか、数十年という、悠久の地球の営みにしてみれば刹那より短い期間のうちに、変化は急激に襲いかかってきた。この先、何が起きるのか、杜氏が恐れ戦くのも由ないことではない。

 幼い頃、夏のチョウといえば、艶やかで大型のアオスジアゲハジャコウアゲハナミアゲハ、モンキアゲハなどのアゲハチョウ、突然目の前に現れ、一瞬で別世界を構築してしまうアサギマダラ、木洩れ日を縫っておどろの闇を白日の下に再現するミスジチョウスミナガシといった華やかな種が多い。だが、その実、最も身近に目の前に現れるのは、ジャノメチョウ、ヒカゲチョウといった褐色や黄土色を基調とした地味なチョウも多かった。中でもキマダラヒカゲは、カブトムシを採りに入った山の木陰にも、家の近く、時には家の中でも頻繁に見られる、ある意味で夏を象徴するチョウだった。
 ヒカゲチョウと呼ばれる種の多くは、文字通り日陰を日中に活発に活動するチョウで、分類上はジャノメチョウ科に位置づけられる。ジャノメは蛇の目で、翅に爬虫類の目と見間違えられるような紋様を持っていることが多いのが、ジャノメチョウだ。蛇の目傘と同じ語源だろうが、こちらは天敵である鳥類の更に天敵であるヘビの目を想起させ、攻撃を一瞬躊躇させる役割を持っている。案山子の代用の大きな目玉を、翅に常備しているということだ。一部の女性が好む豹柄の紋様を持つヒョウモンチョウはタテハチョウのヴァリエーションで、ジャノメチョウよりは華やかに映る。ジャノメチョウ科も漂わせている雰囲気からはタテハチョウに近いのだが、惜しむらくは華がない。ガと誤解している向きも多いかもしれない。
 キマダラヒカゲはその名の通り、黄色が混じった褐色の翅を持ち、その縁には上翅、下翅とも都合十数対の蛇の目を持っている。それほど多く蛇の目を鏤めても、効果が薄れるだけのようにも思えるが、何らかの意味はあるのだろう。黄色といっても、キアゲハキチョウのような鮮やかな原色系の黄色ではなく、黄土色にくすんでいる。この辺りがマイナーな存在に留まっている由縁だろう。開帳60mm程の中型種で、こういった点でも目立たない。
 人を恐れない珍しい性質を持ったチョウである。人の汗が好きらしく、夏の日盛りにちょっとボンヤリしていようものなら、身体に停まって汗を吸う。チョウはその艶やかな姿に似ず、動物の糞から水分を補給することが多い。水分のみならず、花密などでは補給できない塩分、つまりミネラルを摂っているのだが、キマダラヒカゲは何と人体から出る汗をミネラル源としてしまうのだ。多分、摂取効率がいいのだろう。だが、こういうリスクを侵す昆虫は、キマダラヒカゲ以外に見当たらない。無論、カ、アブ、ブユのように吸血したり、ヒスタミン反応を置き土産にするようなことはしない。無害である。婦女子には不快かもしれないが。それで家に中にも入り込んでくるのかもしれない。夏が終わり、秋が過ぎて、年末に大掃除をしている際に、カーテンの陰から翅がボロボロになったキマダラヒカゲの死骸が出てきて、哀れを感じさせたりすることも多い。

 杜氏が幼い頃は、キマダラヒカゲはキマダラヒカゲで、一種しかないものと思い込んでいた。だが、今はサトキマダラヒカゲ、ヤマキマダラヒカゲの二種を別種として扱っている。おそらく遺伝子上も別種であり、明確な分類が杜氏の知らぬ間に為されたのだろう。里と山、つまりは生活圏を示している。杜氏が認識しているのは、当然サトキマダラヒカゲに違いない。色、紋様からしても、そう同定できる。
 どういうことだろうか? 元から同種だったものが、里と山、つまり人間の文明に順応し、寧ろそれを種の繁栄に有効活用しようとした方向性、旧態依然とした生態系の維持に努めようとしてニッチを狭めてまでもそれを維持する方向性に、キマダラヒカゲという種が二分されたということだ。そういった傾向は人が村落を形成し始めた時分、おそらくは奈良時代以前から見られていたのかもしれない。だが、第二次世界大戦終戦以後、1950年頃からより顕著となり、1970年代初期の田中角栄の列島改造論の実践などによって一段と加速したことが窺える。杜氏が子供だった1960年代前半には、キマダラヒカゲはキマダラヒカゲで通ったのだから。
 二種は今、厳密に棲み分けを実行しているという。自然の状態の下では、サトキマダラヒカゲとヤマキマダラヒカゲの交配は起きないようだ。イングランド、スコットランドにおけるケルト人とサクソン人の攻防、日本列島における弥生人と縄文人、もっと言ってしまえば先住民族である農耕民族や海人らと「天孫降臨してきた」騎馬民族との関係、アメリカ大陸における欧州からの侵略と先住民族との関わりを思わせる。昆虫には差別意識はないが、人間はそうではない。日本の場合、より自然と共に生きる方向性を打ち出したものを、山窩、部落民、穢多、非人などと位置付けて蔑んだ歴史を持つ。これらについて杜氏は詳しく論じるだけの知識を持ち得ないが、戸籍という文化に従属するか、それを潔しとしないかで、多数派は少数派を圧迫したことを不幸に感じる。
 キマダラヒカゲには多数派、少数派もなければ、差別もない。人間の文明による自然への多大な影響に敏感に順応したものと、旧来の生活を守るものに分かれたに過ぎない。是非の問題ではないのだ。食樹、食草は両種とも変わらない。タケ、ササの類である。イネ科の植物を食草とする昆虫は数多いが、タケ、ササというのは、人間が葉や皮で食物を包むように、消毒、浄化作用がある。いわば、「虫がつきにくい」から保存に用いられるのであって、それを食糧としているのは珍しい。おそらくはヤマキマダラヒカゲのヴァリエーションであるサトキマダラヒカゲが依然同じ食草を好むというのは、未だ進化と呼べるだけの形質の違いが見出されない段階なのではないだろうか。
 カブトムシなどは山に棲む昆虫のように見えて、その実、最早人間の居住地域を離れてはうまく暮らせない生態に変わっているという。そして、そうではないオオクワガタが希少種となっており、カブトムシは普通種であることからも、現時点では最適な選択をしているのかもしれない。他にも、人間の暮らしに密着し過ぎて、最早ライフ・スタイルを変えられそうにない昆虫は数多い。
 人間は今や化石でしか見出すことが出来ず、とうに滅亡した恐竜の隆盛がホンの一時であったかのように考え、なぜ滅亡したのかに思いを馳せたりする。だが、恐竜の隆盛は人間がターミナル・アニマルとして君臨し始めた時間よりも、遥かに長い。中国の歴史がいかに長いと言っても、三千年とか四千年に過ぎない。そのような時間は地球にとっては一瞬に過ぎず、人間がこのように急速に産業革命以後、エネルギーを浪費し、二酸化炭素の異常排出、核反応による廃棄物処理の不備などを解決出来なければ、恐竜より遥かに短い期間で退場しなければならなくなるのは必定だ。人間の側に与し、この世の栄華を誇っている生物達の将来がいつまでも安穏であるとは限らない。
 里と山に分かれたキマダラヒカゲは、徳川側と豊臣側にそれぞれ息子をつかせた真田昌幸のようでもある。どちらに転んでも子孫は継承されることになる。もっとも、昌幸にそういった意図はなかったという説が有力であるのだが・・・。
 サトキマダラヒカゲ、ヤマキマダラヒカゲ、何れが最適な選択を下したのかは、たかだかここ数十年の経緯では容易には結論付けられないだろう。

 寓話で、田舎のネズミは街のネズミのところへ遊びに出かけて、得るものは大きいかもしれないがリスクも高く、慌しいだけで気持ちが豊かに過ごせないシティ・ライフを否定し、やはり田舎がいいという結論を出す。だが、それは田舎のネズミ側の視点で述べられたものであり、街のネズミの視点を欠いており、片手落ちの謗りを免れない。また、その寓意には、田舎の暮らしにこそ人間性を培う豊かさに満ちているという人間の固定観念によるミスディレクションが感じられる。もしかしたら、街の刺激に溢れた生活によってのみ磨かれる人間性もあるのかもしれない。杜氏は概ね寓意に賛成ではあるが、その是非など、神の身ではない人間になど下せないのではあるまいか?



Winery 〜Field noteへ戻る