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新型肺炎SARSの猛威と人間の反応を目の当たりにすると、人間も地球上の一介の生物として脆弱な存在に過ぎないことを実感させられる。ただ疫病の猛威を、人間が文明の力で克服してきたことも事実だ。AIDSもエボラ熱もSARSも今に人間の手で簡単に駆逐される日が来るのだろうか。SARS問題で思い出されるのが、小松左京の「復活の日」で、あれはイタリアで発生した流感が世界中の人類を、各国南極観測隊員を除いて滅ぼすという恐ろしいストーリーだった。角川映画では、草刈正雄とオリヴィア・ハッセイのラヴ・ストーリーが話題となったが、原作ではハッセイの役は老婆でラヴ・ロマンスは起きない。第一、あれでは東京に残してイタリア風邪の犠牲になった多岐川由美の立場がない。
ヨーロッパではペストが黒死病と恐れられ、日本でもつい最近の明治時代までは結核が「不如帰」「風立ちぬ」といった文学で不治の病としてドラマツルギーの核となりうる病気だった。今、それらの脅威は文学作品の中でしか伺えない。筒井康隆が「ペスト」のパロディで「コレラ」という作品を描いたが、これとてコレラがある程度人間に制御可能となっているからこそ、シャレになる。(面白いが。決して清潔ではない小説である)
杜氏が小学生の頃、この時期になると必ず日本脳炎の予防注射を受けさせられた。子供としては決して快くはない注射が一種類増えるだけでありがたくはなかった。つまり、それだけ日本脳炎の脅威は遠退いていた。回虫、ギョウチュウ、条虫等の寄生虫検査もあったし、実際虫下しも無理やり飲まされた。淡水に住むタニシ、カワニナといった貝は、日本住血吸虫を媒介すると言われて食べるのはタブーだった。だが、ニホンジューケツキューチューなどと言われても、杜氏達ガキンチョには実感がなかった。
杜氏が子供の頃、予防接種だけではなく、原始的な蚊への対抗策があった。蚊帳である。いまや「蚊帳の外」などという慣用句でしかお目にかからない。網戸の機能を為す、簡易テントと考えてもらえばいい。効果のほどはどうだったのか? それでも、蚊帳の中に入るときは、蚊を蚊帳の中に入れないように小さな隙間を作って、素早く中に入らなくてはならなかった。蚊と一緒に蚊帳に入ったのでは、蚊に思うサマ食われながら一夜を過ごすという、まったくナンセンスなことになる。
なぜか豚の形をした蚊遣りというものがあり、中には古典的な渦巻き型の濃緑色をした蚊取り線香が燃えていた。その頃からキンチョーはブランドだった。ちなみにキンチョーは屋号に過ぎず、本当は日本除虫菊という社名だったように思う。ミツカンも中埜酢店とか何とか言ったのではないだろうか。CIのはしりかもしれない。そういえば、蚊取り線香が廃れても、キンチョー製品のCMは過激なまでにアヴァンギャルドである。
蚊取り線香にもいかほどの効果があったものか・・・。
蚊帳は我が家では「モスキット」という電化製品に置き換わった。父が勤めていた大手電器メーカ製品であるチューブから出てくる歯磨き粉のようなピンク色の薬品を、熱で蒸散させ蚊を落とす原始的な仕組みだった。効果はあったようだが、臭かった。人間にも効果があったのかもしれない。それにT芝がこのような製品を出していたことは、今思えば驚異的だった。我が家の愛社精神にもあきれる。ただ、そういう時代ではあった。
日本脳炎を媒介する蚊はコガタアカイエカとされていた。文字通り、比較的小さな、赤い(というよりは淡い赤褐色の)人家の周辺に多く棲息する蚊である。確かに普通に見られる種類だったし、この種類の蚊に食われることも多かったかもしれない。だが、見た目は杜氏達が主に被害に遭う草叢や林で遊ぶ際に出くわすオオヤブカの方が白と黒褐色のツートーンで猛々しかったし、蚊の特徴である耳の近くで聞こえるハム音も鬱陶しかった。普通のアカイエカも日本脳炎を媒介していたのかもしれなかったが、被害を喧伝されるのはコガタアカイエカばかりだった気がする。やがて、杜氏達にとって、脅威なのは日本脳炎ではなく、日本脳炎の予防接種に伴う痛みだけになっていった。コガタアカイエカ事態が弱々しい影の薄い蚊であったせいもあっただろう。
ただ、杜氏達の子供時代、衛生状態は現在より確実に劣悪で、疫病の恐怖が皆無なワケではなかった。近所の同級生の妹が疫痢にかかり、一夜にして亡くなったことがある。被害に遭った少女の兄は決して頭がいい男の子ではなかった。「妹、どうしたの?」と訊くと、「泣いたり笑ったりしてた」と応えた。可哀想に病気が頭にまで回ってしまったのだろう。その兄の薄笑いがそら恐ろしかった記憶がある。赤痢や疫痢は決して報道だけの存在ではなかった。少なくとも日本脳炎よりは身近な恐怖だった気がする。
蚊の眼のスープというのが中華料理にある。鱶鰭、海燕の巣は有名だが、それに比肩するほどの珍味であるそうだ。きっとプチプチしたキチン質の食感が珍重されるのだと思う。これは蚊を捕まえていちいち眼だけを抽出するような手間隙をかけるワケではないらしい。蚊を主食とするコウモリの糞を集めてきて、洗うと未消化の眼だけが残るらしい。それをスープにするらしいのだが、中国人の貪欲さには敬意を表すべきかもしれない。日本の中華料理店ではあまり出されないかもしれない。筒井康隆氏はプールを借り切ってそこにボウフラを大量に飼い、羽化したところを網で逃げられないようにしてコウモリを放ち、プールの水を抜いて残らず蚊をコウモリに食わせ、残った糞で大量の蚊の眼のスープを作ることが夢だという。気持ちはよくわかる。
今、杜氏の家の庭のヤマモモが盛大に熟した実をつけている。甘酸っぱくて美味である。毎日熟した実や落ちた実を収穫している。収穫しているうちにすっかり蚊に食われてしまっている。甘い果汁を蚊のオスが吸いに来るのだろう。そして生殖を目的にメスも集まり、お誂え向きに産卵に要する蛋白質をのこのこやってきた哺乳動物から摂取しているのかもしれない。杜氏を食っていった蚊がコガタアカイエカではなく、日本脳炎に感染していないことを祈るばかりである。
かつて今のSARS並みだったのかもしれない日本脳炎の被害はこうして影を潜めている。だが、新たな疾病は予期せぬ形で人類を襲い続けるのかもしれない。毎年、「キンチョーの夏、日本の夏」なる古典的なキャッチコピーに季節感を覚えたり、地方へ行くとたまに雑貨屋などで見かけることができた水原弘や松山容子の殺虫剤のポスターに郷愁を覚えているうちは、SARS、AIDSなど医学では容易に解決しない病気を抱えながらも人類は疾病の恐怖を実感できないのかもしれない。
それはコガタアカイエカの罪ではない。
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