
西洋の妖怪の区分では鬼以外に子鬼の区分があるようだ。フィービー・ケイツが可愛かったことしか印象に残っていない映画、「グレムリン」で街を制圧した小型の怪物は子鬼だったし、「トワイライト・ゾーン」のエピソードでクリーデンス・クリア・ウォーター・リヴァイヴァルの「ミッドナイト・スペシャル」のメロディに乗って飛行機の翼を破壊するのもやはりグレムリンだった。グレムリンに翼がついたようなヤツがグリフォンで、これはよくヨーロッパの紋章として使われる。狛犬のようなものか。映画「ゴースト・バスターズ」にも登場した気がする。グリフィンとも呼ばれる。
小悪魔というのもいるが、それはまた別の種類の魔物である。
「トワイライト・ゾーン」で出てきたヤツのように、小さくとも機敏で悪意に満ちているから、恐ろしさもそれなりに秘めている。
サナエトンボというのは日本ならではの命名で、どこか可憐さを感じさせる。田植え、つまり梅雨の入りの頃からよく見られる中型でスリムなトンボだ。カワトンボのような体型をしているが、胴体の根元よりは先の部分が棍棒のように太くなっている。また身体の模様は黒に黄色のツー・トーンで、オニヤンマに近い。両眼の間隔が開いているところは、カワトンボを連想させる。ヤマサナエ、ミヤマサナエ、ダビドサナエ(ダビド=デイヴィッドから命名されている)、フタスジサナエなど、日本で観察されるだけで22種類もいる。コオニヤンマはヤンマと呼ばれてはいるが、サナエトンボの一種でしかも代表的なもののひとつである。
サナエと名がつくのだから、そこに特徴ある。普通のトンボはそれほど早い季節に羽化しない。他のトンボが出てくるのに先行して成虫としての活動を開始するトンボなのだ。それを裏付けるように、テリトリ意識が強烈で、仲間同士の共食いも頻繁に行われる獰猛な種でもある。先行して羽化するのは、早期にテリトリを確保する意味合いもあるのだろうか。そのワリには早期に退場するワケではなく、九月頃まで見られる、成虫として異常なまでの長期に渉って活動する生態を持つ。
成虫がスリムで軽量そうな印象であるのに対してヤゴはズングリとしており、これも獰猛さを想起させるものだ。止水域に棲むサナエトンボのヤゴは少なく、緩やかとはいえ、流れのある領域を好む。幼虫も激しい生き方をしていることが想像される。
コオニヤンマはサナエトンボの類では最も大型と言ってもよく、全長82〜85mmもある。オニヤンマに準ずる種と見なされるのも頷ける。動物に警戒の意を喚起する黒に黄色模様だが、蜂やオニヤンマに似たカラーリングを持った他の種にとって生き残るためのサヴァイヴァルに有効な擬態として機能していることが多い。だが、サナエトンボはそれ自体が他の昆虫にとっては危険な昆虫であるので、エピゴーネンというよりはオリジナルであるのかもしれない。
他のトンボと違うもうひとつの顕著な点は、飛んでいる時間よりも止まっている時間の方が長いということだ。テリトリを飛び回ってパトロールするよりも、侵入者から隠れた位置でじっと身構えている。そして相手の油断をついて素早く飛び立って背後を襲う。劇画「ゴルゴ13」のデューク東郷は、自分の背後に人が回ることを禁じるが、確かに強い弱いにかかわらず、相手の不意を衝くほど有効な戦法はない。ムシヒキアブが戦闘能力では勝っている大型のトンボを捕食できるのも、この隠遁、死角からの急襲攻撃が出来るからこそである。
もしかすると、サナエの季節に他のトンボに先立って羽化する理由が、ここに秘められているのかもしれない。コオニヤンマに限らず、サナエトンボの類は羽化したばかりのトンボを襲う。昆虫にとって羽化は最大の生命の危機と呼んでも過言ではない。幼虫は幼虫として身を守るシステムに基づいて生きている。蛹は身動きが取れないものの、固い殻や繭で身を守る。だが、羽化の前後の昆虫は羽化という一大事に神経を煩わされているし、羽化したばかりの成虫は身体を覆うキチン質の殻が形成されていないし、極端に柔らかい。捕食者に最も襲われ易いのはトランジエントな状態のこの局面である。逆に言えば、その非常に大きなリスクを克服した者だけが生殖という生物最大の使命を全うすることが出来る。
サナエトンボが他のトンボから先回りして羽化するのも、羽化の危険を知っていればこそなのではないだろうか。テリトリの早期確立とかではなく、他のトンボが羽化する時期に成虫であったのなら、逆に自分が最少のリスクを以て柔らかくておいしい食糧を得ることが可能だ。これを以て残酷と呼ぶには当たらない。人間は他の生物を飼育しておいて屠殺するというもっと罪作りなことをしている。しかも、若鶏、子豚、子羊、子牛のようにいたいけな状態を付加価値として喜ぶ。
根拠の薄い仮説に過ぎない。だが、事実、物陰から他のトンボの脱皮の様子を窺い、機を見て一瞬のうちに羽化したばかりのトンボを屠るサナエトンボの姿が数多く目撃されている。早起きは三文の得と言ったり、サラリーマンの間にラッシュ・アワーを避ける時差通勤が奨められたことがあった。羽化のタイミングの時差によって、コオニヤンマがメリットを享受していることは確かである。一方、サラリーマンの間では、フレックス・タイムが定着しラッシュが分散する結果となり、時差通勤の利点は自ずと薄れていってしまった。
また止まっている時間が長いせいなのか、他のトンボと比べると後肢が著しく発達している。これも空中よりも地上の生活が長いことが影響しているのだろうか。こうしたことから、杜氏にはコオニヤンマをはじめとするサナエトンボが、進化の過程において他の形態に移行する中間的な姿であるように思えてしまう。
アニメの「おじゃるまる」の中にも子鬼が登場する。閻魔大王から死者達を裁くのに必要な杓を奪って逃走し、平安時代から現代へとタイム・スリップした妖精の幼児、おじゃるまるを負ってきたアカネ、キスケ、アオベエの三人の子鬼である。子鬼達は閻魔大王の命で大事な杓を取り返すという真っ当な使命を負っており、どう考えても理は子鬼の側にある。ところが杓は遊び道具、子鬼達は遊び相手としか認識していないおじゃるまるの前に、子鬼達はいいように翻弄される。おじゃるまるの前で、子鬼は子鬼として機能し得ず、むしろおじゃるまるの方が子鬼のようである。
このように子鬼は人間にとって鬼の鬼たる由縁の恐ろしさを多少矮小化した存在なのかもしれない。逆にそれが鬼の本性を剥き出しにして増殖して行く恐ろしさを描いたのがグレムリンであった。しかも、それは経済的にアメリカの意のままにはならないほどに成長してしまった日本、または日本人への寓意であった。アメリカ人が日本人のことを、あのような手乗りペットだと認識している方が、杜氏には恐ろしかった。
トンボは姿形がニートで、飛行する様は機能的であるし、人間に危害は及ぼさない。他の類と比べてとても好意的に受け容れられている。だが昆虫は昆虫である。子鬼のような存在だ。そして、内実はコオニヤンマの性質が示しているように獰猛で狡猾な狩人である。ただそれはコオニヤンマにとって、本能の赴くままに振舞っているに過ぎず、人間が主観的に咎め立てする筋合いの問題ではない。サナエトンボといった殊更に爽やかな命名をしたところで、トンボの生態は不変である。「グレムリン」に込められた寓意にアメリカの驕慢さを感じるのなら、トンボに爽やかさのみを期待するのも人間の勝手と心得なくてはならない。
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