クビキリギス

無用に思える気の強さ


 どこかの歴史小説でこういうエピソードを読んだ。戦国時代に敵に囚われた武士だったかが、処刑されることになる。彼は怨念を全身に漲らせて、処刑の執行者である武将を睨んでいる。「そんなに恨みが強いのなら、切り落とされた首になっても、その石に齧りついてその思いを証しとして示すがよい」 処刑者の挑発に、今しも首を落とされようとしている者は「おう、やりおおせて見せようとも」と応じる。そして憤怒の形相も凄まじいまま、落とされた首は目の前の石に齧りついてみせたという。後難を案じる家臣に武将はこう言い放った。「馬鹿な奴よ。奴の怨念は死の瞬間にも首として石に齧りつくことに費やされ、恨みを現世に及ぼすことも出来まい。後難など恐れるに足らない」
 人間の子供というのは、この世に生きるものの中で最も残酷な生物かもしれない。よく猫が生きている生物を長時間弄び、その結果殺してしまっても死骸には見向きもしなかったりする。それを指して人間は猫の残忍さを指摘する。だがあれなど、殺そうとする意図ではなく、玩具として遊んでいるうちにそれが死んでしまうケースが多いように見受ける。弄んだ挙句に殺そうなどという悪意から、猫は無縁であるように思える。
 人間の子供はそうではない。「弄んだ上に殺してしまう」ということを知識として知っていることが多い。昆虫の生態を知った上でのそういった遊びは枚挙に暇がない。浦島太郎が子供達の手から助けた亀なども、太郎が放置していたら早晩命を落としていただろう。猫なら動かなくなって玩具としての価値をなくした死骸に見向きもしないだろうが、人間の場合、アカウミガメに食糧としての価値があることを知っているから、死骸を食い尽くしてしまうだろう。アオウミガメなら臭くて食えないのだが・・・・。(そういう問題ではない) そンなことをなぜ断言できるのかと問われれば、杜氏自身、残忍な人間の子供として無益な殺生をしてきたからだと応えるだろう。浦島太郎に咎められた悪ガキのことを残忍だなどと指弾はできない。そういう残忍な子供時代を、人は大概忘れてしまう。それを残忍だとは認識できないまま成人した者の一部が、残忍な犯罪者になるのかもしれない。

 クビキリギスは体長35mmほどのありきたりのキリギリスだ。ショウリョウバッタ型の長三角形の頭を持つ。他のキリギリスより早い時期、五月には現れ、草原で「ジー・・・」と長く鳴く。「秋の虫」などと言うが、直翅目の昆虫はもっと早い時期から鳴いているが、クビキリギスはその典型である。あまり感興が湧くような音ではないが。
 灯火にも頻繁にやってくる。うっかり掴まえようとすると、驚くほどの強さで噛みついてくる。顎は丈夫で結構酷い目に遭う人も多いだろう。ただ、もっと驚くのはクビキリギスが草食であることだ。多くのキリギリスがツユムシのようなか弱い形態を持つものを除き肉食であることを思うと、獰猛なこの昆虫が草食であることは俄かに信じ難い。体色は緑一色で草叢に適合したカラーリングだが、それはやはり草原に棲む他のキリギリスも同じことだ。噛んだ後、多くの場合、草色をもっとどす黒く澱ませたような液を吐くが、あれは血液ではなく、未消化の食物なのだろうか。
 この噛む力を子供達は古くから利用して遊んできた。衣服などにクビキリギスを噛みつかせておいて、強く引く。クビキリギスは一度噛みついたらそこを離すまいとより強く噛みつく性質がある。やがてクビが胸から離れ身体が二分されても、クビは依然噛みついたまま残る。クビキリギスの名もそこから付いている。単なる無為な死である。処刑者に欺かれて、怨念を石に齧りつくことに封じ込められてしまった武士のようだ。子供はそれを面白がるが、猫の戯れより遥かに残忍な行為であることは疑う余地もない。命名の由来になっているくらいだから、この遊び、かなり広く普及していたのだろう。

 同じ三角形の頭を持ち、肉食系である種には、カヤキリ、ヤブキリ、クサキリなどがいる。ただヤブキリはかなり頭が四角形であるキリギリスに近くなっている。頭が四角形だがクビキリギスに体型が似るのがクダマキ、クダマキモドキ、ウマオイ、ササキリなどだろうか。クツワムシとなると、恰幅がいいので見間違えることはない。形状、大きさではクサキリが最も近いだろうか。クサキリの方がかなり大きいが、生活圏が近いこの二種が似るのは必然なのかもしれない。ヤブキリ、クダマキモドキなどの樹上生活者、カヤキリのようなススキの原を住まいにするものとは自ずと形態が異なってくるのかもしれない。
 肉食のキリギリスは頭を下にして停まっていることが多い。上の方が獲物が通りかかる空間を俯瞰で捉えることが可能で、重力を利用して素早く襲いかかることができるからだろうか。やはり樹上生活者で肉食獣である豹を思わせる生態だ。灯火に飛来するクビキリギスは網戸に上向きに停まっているような姿しか見たことがない。これも草食のゆえなのだろうか。
 何でも進化論で片付けようとする人は、クビキリギスがクサキリに進化する過程の昆虫で肉食に近い獰猛さを帯びているとか、逆にクサキリから進化したので肉食の攻撃性を残しているとか推定するだろう。しかし、チンパンジーを何代飼育しても人間に進化することはあり得ない。クサキリはクサキリ、クビクリギスはクビキリギスなのだ。攻撃性は外敵には有効に機能するだろう。自分の首を残してまでの強い顎の力は、一見無用なまでの気の強さに思えるが、そういう無益な遊びを試みるのは、人間だけである。人間にとっての性質など昆虫にとっては取るに足らぬものだ。生きてゆくために有効な何らかの意味があるに違いない。クビキリギスならぬ人間には計り知れぬところだが。

 鳴き声も美的ではなく、性質も荒く扱い難い昆虫ではあるけれど、この昆虫が灯火に飛来すると「ああ夏も近いな」と感じることができる。都会でも身近に頻繁に目にすることが出来るクビキリギスは得難い存在であると感じる。決してクビを斬って遊んではいけない。などと、残忍な子供達の手から救ってやったとしても、竜宮城へ連れて行ってもくれないだろうが。

 そういう残忍な遊びすら、もう子供達は知らないのかもしれない。



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