クリマモリオナガコバチ

単純な対抗策は果たして・・・


 膜翅目昆虫はスズメバチ、アシナガバチのような目立った存在は人間からも恐れられ、強く認識されるが、概して地味で微小なものが多い。鞘翅目のようにヴァリエーション豊富で生態も千差万別ではないし、鱗翅目のように華やかな色彩の翅を持っていたりもしない。直翅目や半翅目のように鳴き音を立てたり、水中に展開したりもしない。だが、種類が少ないかといえば、そうでもなく、人目につかないニッチで着実に生活を営んでいたりする。
 他の昆虫に寄生したり、捕獲して麻酔を翔け、目立たぬ場所に営巣して生餌を食べながら羽化まで過ごしたりする。羽化後もスズメバチのような強力な武器を持たないものが多く、最大の敵である人の目に止まらないというのは生存への最大の戦略として機能しているかもしれない。
 タマバチの類は、植物に産卵するとき、物理的または化学的刺激によって、産卵した場所の組織が大きく変形して瘤のようなものを作り、その中に隠れて肥大した部位を食べながら成長する。これを虫瘤、虫えいと呼ぶ。虫瘤を作るのはタマバチだけではなく、タマバエ、アリマキなどもそうだ。虫瘤は幼虫の身を守る住処とも、食物そのものともなる。ただ、虫瘤はそれ自体が植物の異常な変形であるので、成虫のつましい姿に比べると目立っている。
 クリタマバチは、そういった虫瘤を作るタマバチの一種で、栗の品種改良のため、中国から渡って来た栗の苗について、二十世紀前半に岡山で見られるようになったのが最初だという。在来種ではない。比較的最近の帰化種である。帰化種であるがゆえに、これが猛威を揮い、栗栽培農家に打撃を与えるという。植物には成長点というものがある。設計図と物理的な組織の芽が縮小されたような先端の点で、それが損なわれると、植物はそこから先、育たなくなる。栗のような樹の場合、それは枝ごとの先端に複数あるのだろう。クリタマバチはその成長点に産卵するので、虫瘤が樹に何個も出来てしまうと生育に著しい支障を来たす。これが生産農家の悩みの種である。
 帰化種で専ら栗を食糧にして短期間で日本全国に版図を広げたクリタマバチと違い、クリマモリオナガコバチは日本土着の在来種である。栗護尾長小蜂である。小蜂は寄生性の小型の蜂の一属で、尾長と昆虫に名がつく場合、それは産卵管が長いことを示す。栗護は文字通り、栗の樹を護るということで、偏にクリタマバチの脅威から栗を護る意である。ところが、クリマモリオナガコバチは在来種であり、クリタマバチが渡来する以前から日本に土着している。クリタマバチがいない時代もクリマモリオナガコバチは脈々と生き続けてきたのだ。では、何を宿主に生きてきたのだろう。やはり在来のブナ科(コナラ、ミズナラ、クヌギなど)の植物に虫瘤を作るタマバチが、クリマモリオナガコバチの食糧となってきた。日本の雑木林がいかにブナ科の植物の旺盛な生命力に依存していたかの反証である。ブナ科に虫瘤を作るタマバチ類も非常に多様化しているのだ。
 余談だが、同じ膜翅目昆虫に寄生するハチも意外と多い。無論、昆虫に人間が後付けで拵えた倫理観など不要なのだが、少し意外な気もする。有名なところでは、セイボウが同じスズメバチに分類されるスズバチに寄生する。
 「栗護」などは人間の主観で、実はブナ科の虫瘤に産卵しているに過ぎない。ただ、栗栽培農家の困惑は深刻であったし、クリマモリオナガコバチの効能が覿面であったのも事実だったのだろう。この寄生蜂は栗栽培農家の救世主となった。だが、元々が天敵関係ではないので、クリタマバチとクリマモリオナガコバチのライフサイクルは微妙にずれているらしい。また、名の由来のオナガ、つまり産卵管の長さも、在来のブナ科につくタマバチの虫瘤には適合しているものの、クリタマバチの虫瘤には短いらしい。
 そこで、救世主に飽き足らない農業従事者は、クリタマバチに対抗する新兵器の導入を図った。チュウゴクオナガコバチである。カイガラムシに対するベダリアテントウと同じ策を講じたワケである。これがどれほどの成果を呈しているのかはわからない。
 チュウゴクオナガコバチはクリマモリオナガコバチより産卵管が長く、クリタマバチの虫瘤には適合しているが、それを除けば瓜二つといっていいほど似ている。そして、最近おかしな現象が見られるようになったという。チュウゴクオナガコバチとクリマモリオナガコバチの中間的な特徴を持つ個体が数多く見られるようになったのだ。二種の交配が高い確率で起こっているらしい。普通は如何に似ていても異種の交配は自然な状態では起こらない。だが、最近、外来のカブトムシ、クワガタムシの輸入、売買が解禁されてから、野生のカブトムシ、クワガタムシに外来種と交配したとしか思えない形質が観察されている。逃げ出したか、逃がしたかした外来種が、交尾の対象となる同種の雌がいないため、在来種の雌を次々と手篭めにしている図式が思い浮かぶ。この二種の交配も同じような事情から起こっているとすれば、危惧される傾向である。
 動物園やサーカスでは、見世物のため、レオポンやライガー、オカピといった近似種の交配が試みられ、第一世代では成功するものの、これらの繁殖力は弱く、子孫を残すことなく一代で消えることが多い。混血のカブト、クワガタなどもそういった運命にあることが想像に難くない。だとしたら、チュウゴクオナガコバチにとっても、クリマモリオナガコバチにとっても、交配は不幸な結果を招くのではないか。それとも、あまりに形質が似ているために、交配は今後も進み、どちらか繁殖力が強い方の遺伝子が濃厚になってゆくのだろうか?
 栗は本来野生種であり、同じ栽培種のリンゴ、ナシ、モモといったバラ科植物の栽培種のように、人間の品種改良の影響をさして受けてはいないようにも思える。ただ、栗とて栽培のためにあるのではない。栽培の効率化を金科玉条として、人間が他の生物を導入して生態系を改悪することなど許されない。杜氏は甘い豆類やサツマイモが好きになれないのと同じ理由から、あまり栗を好まない。マロン・グラッセやモンブランなど、この世になくても問題なく生きて行ける。栗栽培農家の皆さんには大問題であることはわかるが、オナガコバチに栗護などという見当ハズレの賞賛を送ったり、中国からわざわざクリタマバチの天敵を輸入して駆逐しようとすることは如何なものかと感じてしまう。
 そもそもが、栗を品種改良すること自体が間違いであり、その間違いが中国からクリタマバチを招き入れるという間違いを引き起こしたのだ。それを更に、チュウゴクオナガコバチの輸入という間違いで糊塗しようとしている。クリ、クリタマバチ、オナガコバチという局所の生態系では、これは整合の取れたことなのかもしれない。だが、栗の生育を効率化する、つまり人間の都合で自然を操作することが、自然全体にどういう影響を及ぼすかまではわからない。これだけでは些細なことに過ぎない。チュウゴクオナガコバチを導入した立場の人達は主張するだろう。だが、似たようなことを色々な局面で人間は試みている。栽培や家畜飼育を行う唯一の種である人間は。
 人工と自然が相対する逆の概念であるという意識は、花粉症などのアレルギー症状の誘発、ウィルスの誕生と蔓延、オゾン層破壊、二酸化炭素の還流異常、地球温暖化などをまき起こし、次々と人類に不具合として襲いかかっている。絶滅危惧種、自然保護、あたかもそれが善行であることのように逆のムーヴメントも起こっている。だが、自然は危惧されたり保護されたりすべき、卑小な存在ではない。そもそもそういう人間の意識こそが不遜であり、自然を危惧したり保護しようとする者達にも鉄槌が下されるのではないかと畏れてしまう。
 人間は自然の一部であり、その法則から逃れられない運命にある。地球を棲息の場としている以上。栽培のために自然を操作するような、枝葉末節としか思えない部分から、意識を刷新することはできないのだろうか?



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