クツワムシ

騒音でしかないのか?


 杜氏が子供だった頃はドラマも外国からの輸入品が多く、今はアニメのアフレコでオタク層にアイドル人気を博している声優も男性が多く、同時に性格俳優として活躍していることが多かった。女性の声優はアニメの子供の主人公、鉄腕アトムや鉄人28号の正太郎君のような役の声を当てるケースが目立っていた。その性格俳優だが、若山弦蔵、小山田宗徳、名古屋章などがその代表だった。名古屋章はラジオドラマの人気者だったので、声優とは言い難いが。いい役者の条件には滑舌の良さ、声の通り、響きといった聴覚に訴える要素も多くを占める。今、渥美清の芝居を見直すと、そのセリフの明瞭さに改めて驚かされる。早口であっても、決して聞き手に意味が通らないような言葉は発しない。それに対して、今のVシネマのスター、哀川翔など一世風靡が劇団を名乗っていたことが信じられないほど、凶悪な滑舌だ。石原裕次郎も声の質はいいのだが、エロキューションが悪く、特に若い頃の芝居など何を言っているのかわからないところがある。
 これらの性格俳優兼声優達は、新劇系の人達で、声の良さ、滑舌の明瞭さを買われて、アルバイト的に始めた声優が評価されてしまったのだろう。声で勝負できるということは、有能な俳優でもあることを示している。だが、彼らは概して今で言う渋めのルックスの持ち主で、美形とは言い難かった。声だけ聞いて甘い二枚目を想像していたご婦人層が、実像を目にして落胆するというケースも多かったようだ。山田康雄、野沢那智といった特殊なハンサムに属する声優(兼俳優)が活躍するのは、もう少し後のことだった。
 サラリーマンでも声の良し悪しは印象、説得力、聞き手が感じる安心感の面で重要な要素である。杜氏も電話やプレゼンテーション、論文発表、会議での発言の場では、地のしゃべりより豊かに声を響かせるようにして深みを持たせるしゃべりを繕っているところがある。電話だけで応対していた女性達が、実際の杜氏を初めて見て落胆しているかどうかは不明だが。

 クツワムシは直翅目キリギリス科の大型昆虫である。大きいものでは体長53mmにも達する。トノサマバッタより一回り大きい。しかも、スリム系が多いキリギリス科の中では、例外的に恰幅がいい。腹など充実が過ぎて、肥満しているようにも見受ける。胸も頭もがっしりとした造りだ。これで美声の持ち主だったら、さぞや鳴く虫の中でも人気を博すだろうが、残念ながらそうではない。一名ガチャガチャ。これは鳴き声からきている。ガサツな鳴き声の上に、騒音とも思えるほどの音量で、しかも夜もとっぷり暮れてから鳴き始め、深夜過ぎまで鳴き続ける。ガチャガチャとかガシャガシャと形容される鳴き声だが、どうもそうは聞こえない。幼児の頃、母がクツワムシのことを「ガチャガチャ鳴いてやかましい虫」と形容していたが、どうもイメージが湧かなかった。父はクツワムシの話題に無反応だった。それもそのハズ。父の生まれ育った北海道・道南にクツワムシは棲息していない。
 実際に「これがそうだ」と言われて何となく納得はしたが、この表音は妥当ではないと感じた。ならばどういう字が相応しいか訊かれても困る。機械系、それもどこかに異常を来たした機械の稼動音のようで、人の声には決して置き換えられないのだ。空気冷却目的のファンのねじが緩んで異音を発している状態が最もそれに近い。
 姿形は弦楽のコントラバスを連想されるのだが、実際の鳴き音はそれとは程遠い。音を発する翅は長大であるから、自ずと鳴き音の音量も大きくなるのだろう。だが、近隣の住民の安眠を脅かすほどの大きな不協和音でしかない。
 巨大な姿に似ず、生態は穏やかで、多くのキリギリスが肉食であるのに対して、クツワムシはクズの葉などを好む草食昆虫である。林縁、草深い草原などの日の当たらない暗い場所に潜んでいることが多く、人目には付きにくい。増してや夜行性なので尚更目立たない。奥ゆかしい生活を送っているのだが、鳴き音だけは、どう贔屓目に見ても(聞いても)やかましい。
 幼生の間は一貫して体色は淡い黄緑だが、成虫になるとホルモンの加減で、緑や褐色や赤褐色に分かれるらしい。以前は緑のものが支配的だったが、最近は褐色系がすっかり優勢を保つようになった。キリギリス同様、特に注意していない限り、姿を見かけることは滅多にない。以前はそれでも住宅街であったら、どこかしら近くにいたものだが、環境の悪化でめっきり個体数を減らしているようだ。
 近似種にタイワンクツワムシがいるが、こちらは体色が淡褐色で翅が長いし、幾分体型もスリムで容易に見分けがつく。ハネナガクツワムシとも呼ばれることがある。その名の通り南方系で関東以西にしか見られない。ただ、クツワムシも東北までしか棲息しておらず、かなり広範囲な地区で、クツワムシと共通の地方に棲む。クツワムシは敏捷な種が多い直翅目の中では特に動作が鈍重で、姿さえ見つかれば容易に捕らえることが出来る。だからこそ、人目につかない場所に潜んでいるのだろう。これに対して、長い翅を持つタイワンクツワムシの方はよく飛ぶ性質を有する。タイワンクツワムシの鳴き音も似たような不協和音には変わりがないが、「ギッ、ギッ、ギッ」と形容される前奏から、やかましい鳴き音に入る。

 クツワムシのクツワは馬の口に嵌める器具である轡からきている。鳴き音が乗馬中に轡が鳴る濁った金属音に似ていたのだろう。「轡を並べる」の轡だ。馬が輸送や戦闘に用いられるようになって以降の命名だろう。カブトムシ、クワガタムシは甲冑が、スズムシは鈴が、ミノムシは蓑がなければ名前がつかない。してみると、案外新しい時期の命名である。ガチャガチャよりはマシな名である。先日話題に取り上げたキリギリスは、あれから観音崎公園の一角だけで少なくとも数匹が存在感を示すように鳴いているのを聞いた。ウマオイも毎年決まった場所で鳴いているのを聞く。だが、このクツワムシはとんと声にも姿にもお目にかからない。見かけに寄らず、ナーヴァスな昆虫なのかもしれない。
 あまりにうるさいので家の周囲のクツワムシを駆除した人もいたらしい。騒音を立てるという理由だけで害虫扱いだ。私の経験では生物の立てる騒音で最もやかましかったのは、大学の郊外のブランチである千葉県野田市山崎のセミナー・ハウス周囲の食用ガエル(ウシガエル)の鳴き音であり、、あれに比べたら噂に聞いていたワライカワセミ(クッカバラ)を西オーストラリアの州都・パースで聞いたのも、モノの数ではなかった。音量の単位はデシベルで、対数表現なので一概に定量的に何倍とかは言えないのだが、あのウシガエルの鳴き音に、クツワムシは遠く及ばない。
 今はクツワムシがやかましく思えるほどの閑静さは贅沢なものなのかもしれない。暴走族の爆音、家の前の道を声高に騒ぎながら過ぎる若者達、盆踊りの喧騒、花火ではしゃぐ家族・・・・。夏の夜には隅に追いやられているクツワムシの鳴き音を凌駕する騒音などいくらでもある。
 そう思いつつ、ベランダに出て、アオマツムシのけたたましい群鳴がようやく止んだ夜の闇に耳を澄ませてみると、かすかに遠くのほうからあの独特な不協和音が聞こえてくるような気がした。それはそれで夏の夜のホラーめいた響きである。



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