クワカミキリ

オーソドックスな形


 カレーとラーメンが国民食などともてはやされて久しい。カレーは海軍が艦内の食事に採用したのが普及の始まりであったためか、杜氏の住んでいる横須賀も「カレー(発祥)の街」ということになってしまった。おかしい。カレー発祥の地ならインドだろう。黒船来航の際に軽輩の身ながら活躍して、後に日本の海軍の技術のパイオニアとなった中島三郎助がシチューを試しに調理したのが浦賀であるから、シチュー発祥の地といった方が説得力がある。ただ、日本のカレーはインドのオリジナル、イギリスのアレンジ版を更に日本の気候風土に合わせて改良した別の料理とも言える。ラーメンも日本古来のものではないが、中国に日本のラーメンの定義とぴったり一致するようなものはないだろうから、これも無国籍料理なのかもしれない。ただ、ラーメンの場合、商品としての改善を施したのは、各地に散らばっている華僑であろうが。ただ、ちゃんとした中華店のメニューにラーメンはない。
 こうして、小うるさいフォーマルな文化とはかけ離れた場所で、カレーもラーメンも発展したのだが、特により歴史が浅いラーメンは、杜氏達が「こうあるべきだ」と認識していたエレメントが違うものへと遷り変わっているように感じる。
 味付け煮卵などはいつから必需品になったのだろう。あっても悪くはないが、必需品とも思えない。邪魔なこともある。海苔。ラーメン用に濡れてもグチャグチャにならない加工がされているようだが、基本的にスープ物の具にするべきではあるまい。どうしても「最初に食わなければ」と考えてしまう。チャーシューは焼き豚だ。中華街のディスプレイなどで、家鴨などと並んで吊るされ、ローストされているのがチャーシューだ。縁、つまり焼かれているときの表面は紅麹などで赤く彩られているのが本当だ。「火が通るか通らないかで下ろされ、注文があってからスライスされ、トッピング後にスープの熱で完成するジューシーな」煮豚など、手がかかってはいても所詮煮豚でチャーシューを名乗るのは妥当ではない。そのくせ、トッピングが角煮の場合、「角煮ラーメン」を名乗ったりする。今では縁の赤いチャーシューなど見つけるのが困難なほどだ。
 だが最も顕著なのは、ナルトと丼の変遷である。「味」を追求することをコンセプトにしているラーメン店では最早ナルトを見つけることは不可能だろう。それに習ってか、普通の店でもナルト排斥が進んでいるように見受ける。デパートの上層階の家族向けレストランには健在なのかもしれないが、デパートのレストラン自体、専門店化が急である。言っておくがナルトはラーメンの味を高める具ではない。たかだが、人口着色料入りの蒲鉾である。ありがたいようなシロモノではない。だったら、何なのか? ラーメンにナルトを入れる習慣は東京以北にしかないことをご存知だろうか。西日本ではナルトは正月の縁起物でしかなかったりする。紅白の蒲鉾をナルトだけで代替してしまう横着な発想なのだろうか? この際、そのようなことはどうでもいい。東京とその周辺のラーメンに入っていたナルトは、グルメな要素なのではなく、ある猛威を揮った霊へのおまじないなのだ。その霊とは平将門である。なぜか東京以北にその祟りは集中しており、西へ被害が及ぶことがない。また、一時期ラーメン丼は画一的な渦巻きが内側の上部にぐるりと廻らされたデザインだったが、ある時期からピタッと姿を消してしまった。あれもナルト同様、将門鎮魂のサインだったのだ。
 現在の東京は埋め立てなどにより、地形が著しく変わっているが、将門が乱を起こした頃や太田道灌が江戸城を築城した頃、徳川家康が移封された頃は、まったく大都市にはそぐわない僻地だった。大都市としての都市計画が整っていない状態で、江戸幕府開闢間もなく世界最大の都市に膨張してしまったのだから、ハードウェアとしての不具合は覆い隠しようもなかった。それが「火事とケンカは江戸の華」といった諺に端的に窺える。江戸の人々は都市計画の不備という不具合を、過去の偉人で恨みを呑んで非業の最期を遂げた人物の祟りのせいにしようとした。その一番人気が平将門で、現代に伝えられている以上に不公平な扱いをされてきたのが、その祟りに関する伝承からも窺える。ナルト、ラーメン丼の渦は、そこに将門の霊を東京から外へ出すまいという結界の一種だったのである。自分達の居住している土地が、如何に祝福されていないかを忘れてしまった東京人に何が起ころうと知ったことではない。というより、東京都心は最早人が住むための場所ではなくなってきているということか。
 こうあるべきだなどということは世の中にはない。ただ、周囲の因果関係によって、今はこうあるのが自然だということなら、いくらでもある。これらは自然の摂理の変化による因果関係の移ろいに左右される。おそらく、将門の霊は東京人には恐るに足らなくなったのだろう。

 カミキリムシはおそらくグループとしては愛好家に最も好まれる昆虫だと思われる。その理由はバランスの良さだと思われる。頭部、胸部、腹部のプロポーションが程好く、それが気品や威厳をも想起させる。それでいて、頑丈な大アゴ、立派な触覚を持ち、それらが全体のバランスを損ねていない。自然に順応することだけで、あの姿に辿り着いた印象がある。人間で言えばさりげない生き方がカッコイイようなものかもしれない。種類が多いのも、基本形が自然に適合しているので、種々のオプションが容易につき易かったつき易かったということなのかもしれない。このヴァリエーションの豊富さも、愛好家を惹きつける大きな要因となっている。
 昆虫のそれぞれのグループの中にも、それらを代表するような種がいる。個体数が多く、ニッチも広範で、人間から見てさえもどことなく元気があるように見える。つまりは栄えているということだ。トンボならシオカラトンボ、クワガタムシなら数の少ないオオクワガタやカッコイイけど変則的な感があるミヤマ、ノコギリよりもコクワガタ、セミならミンミンゼミかアブラゼミ(九州ならクマゼミ)だろうか。カマキリならオオカマキリ、ゴキブリならヤマトゴキブリ、・・・・。あ、これぐらいでやめておこう。それらの特徴は、形態、生態が奇を衒うことなく、オーソドックスであるところである。
 カミキリムシならどうだろうか。シロスジカミキリは最も目に付く種類だが、系統的には孤立している感がある。ゴマダラカミキリ、キボシカミキリも普通種であるにもかかわらず、堂々とした趣きがあるが、どうも「代表」という感じがしない。ミヤマカミキリ、それと似たクワカミキリあたりがオーソドックスと言えるかもしれない。ルリボシカミキリは、それと違った面、つまりは美麗さで日本を代表するカミキリムシであるが・・・。
 ミヤマカミキリはシロスジカミキリと並んで体長55mm程度と日本最大級のカミキリムシである。シロスジカミキリよりやや大きさにばらつきがあるかもしれない。クワカミキリも36〜45mm程度と、それらに次ぐ大型種である。ゴキブリと間違えられるノコギリカミキリとは違い、カミキリムシらしいカミキリムシである。全身を緑色を帯びた淡黄褐色の短い毛に覆われている。複雑なカラーリングを想像しそうだが、淡い茶系統と見て間違いはない。胸部の左右の側面には画鋲にも似た鋭い突起が、はっきりした形で見られる。このあたりも典型的なカミキリムシらしいところだ。
 クワカミキリというくらいだからクワを食糧とする。幼虫は幹の中、成虫は木の皮と葉。養蚕業に従事される方々には不倶戴天の敵である。幼虫は幹を縦に移動しながら掘削する。枝の太さが1.2cm程度から居住可能であるそうだ。大型種であるのでゴマダラカミキリのように一年一化ではなく、成虫へと羽化するには孵化後2〜3年を要する。無論、老齢木だったり被害の程度があまりに激しかったら、カミキリムシが巣食うことにより枯死することもある。だが、枯死されたのでは、中の幼虫も一緒に死んでしまうことになり、カミキリムシにとっても不都合だ。また樹木の樹勢がいいと、自浄作用が働き、カミキリムシの幼虫を何らかの方法で滅ぼしてしまうことが多い。卵が羽化を迎える可能性、4%。カミキリムシとて次世代へ遺伝子を継承するのに必死なのだ。だが、クワカミキリの幼虫のトンネルのせいで、幹は確実に弱くなる。強風でクワの木が折れるのは、クワカミキリの仕業であることが多いらしい。

 クスノキが神社仏閣に多く、森を護るような存在であることは、アオスジアゲハの項でも触れた。クワも人智を超えた力を持っているとされる。恐ろしい話を耳にすると「くわばら、くわばら」とおまじないのように唱える習慣があるが、これはクワ科の植物がよからぬ霊を寄せ付けない性質を持つことからであるらしい。また、クワ科の植物の下に隠れていれば、落雷の被害から免れることが出来るという。平将門のような東日本限定と違い全国区の祟り神である天神様、つまりは鬼籍に入った後の菅原道真公を人々が雷神に準えるのと無縁ではないのかもしれない。つまりはクワも霊験あらたかな木とされているのだ。
 杜氏の家の庭にヤマグワの木が一本ある。林から小さなひこばえを拝借してきたものだから、最初はたかだか2〜30cm程度の高さだった。それが今は七年の歳月を経て横にも広がり、高さも2m程度にはなった。カイコを育てようとしたのではない。童謡「あかとんぼ」に「山の畑のクワの実を 小籠に摘んだはマボロシか」のマボロシを現実にしたかったに過ぎない。自然とは微妙なもので、収穫の期間は一週間ほどの幅しか持たない。華奢な実は黒く熟れると容易に地面へ落ちてしまうし、鳥やアリなどのライヴァルも多い。人間側の事情の方が遥かに制約が多く、なかなかクワの実の甘美さに辿り着くことが出来ないでいる。
 そのウチのヤマグワを久々に眺めていると、根元から太い枝に分かれるあたりの幹に。直径1cm程度の穴が穿たれているのに気づいた。穴は十箇所以上はある。穿孔されたせいで、ひび割れて痛々しくなっている箇所もある。クワカミキリの所業だった。樹齢十年以内などまだまだ若木で、クワカミキリのターゲットとなるなど念頭になかった。
 クワカミキリは他のカミキリと同じように、羽化してもすぐには生殖可能とはならない。性的に成熟するためには、栄養補給が必要となる。大概は羽化したすぐ近くの幹の樹皮を豪快に齧る。長さ10cm程度の幹が丸ごと皮を剥かれてしまっていることをよく見かける。これを後食と呼ぶ。その後食の跡は見られなかった。ということは、ここ1〜2年で産卵され、未だ羽化には至っていないのか、それとも過去に巣食ったものの、樹勢に圧されて成長半ばで倒れたものの残骸なのか。
 クワは実は大木になるそうだ。10m程度に及ぶと聞く。だが、養蚕でそれほど大きな木は不要だ。寧ろ必要な葉が取りにくくなる。従ってクワ畑では用済みの木は皆抜いてしまうらしい。そのことがヤマグワが減少する原因にもなっている。ウチのヤマグワなど、やはりまだまだ若木に過ぎなかったのだ。だが、さすがに何も面倒を見ないと順調には育たないということなのだろう。それでもいいと思っている。クワカミキリに屈するのなら、ヤマグワがそれだけ弱かったというだけのことだ。クワは動いて逃げることができない。クワカミキリに産卵されるのは運命であるし、それを排除できるならすべきである。生活の糧で栽培を行っているワケではない人間の側から、どちらかを庇護するのは間違いである。事実、ユズでは、ゴマダラカミキリとの共生が実現しているようである。それがオーソドックスというものだ。クワカミキリが見られるようになるのなら、それはそれで喜ばしいことである。

 ラーメンは最早一部のマニアックな作り手、食べ手のものであり、ナルト排斥の傾向は止まりはしないだろう。だが、生態系なら一時的に崩れても、何かのきっかけで旧に服する可能性が大きい。遺伝子の最適化がもたらした生物のオーソドックスな形はさほど脆弱なものではないと、杜氏は確信している。



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