マドチャタテ

ポルターガイストの一種?


 ゆえあって市内各所を転々としていた時期があったが、二年半ほど前に元居た家へ戻った。十歳から育った土地であるし、元の家を建て直したのも杜氏だった。三年ぶりに戻った家で、最初の晩床に就くと、ピシッ、ピッシッという音が、小さいけれど確実に響き続けた。長いこと人が不在だったために、湿気が戻るか何かの変化が生じ、部屋の部材の微妙な隙間が音を立てていたのだろうか。それともよく言うラップ音だったのだろうか。杜氏には感じの悪い音には聞こえなかったから、仮にラップ音であったとしても杜氏に仇を為す者の仕業ではないように思えた。それも最初の二、三日だけで、やがて音はしなくなっていた。
 映画やTVで「四谷怪談」を扱う場合、必ずお岩稲荷にスタッフ、キャスト一同で参拝するようである。そうでなければ、撮影中に不可解な事故が頻発したり、関係者が怪我をしたりするそうだ。「東海道四谷怪談」は史実に基づいているのかもしれないが、辣腕プロデューサの一面もあったという鶴屋南北が、忠臣蔵と絡めて大仰に脚色したシロモノだ。 実在のお岩とは別物と考えてもいい。フィクションが疑心暗鬼を生じている形である。だが、南北自身、この脚本を完成させて間もなく他界していることから、ただならぬものを感じてしまう。エジプトのピラミッドを発掘した学者、冒険家に留まらず、墓を暴いた泥棒の類まで、やはり不可解な事故に遭遇する可能性が多いと聞く。疑心暗鬼だけでは片付かない事象が、これらの死者を蔑ろにする行為に共通しているのかもしれない。
 そういった意味で、祟りに近いとしか思えない被害が最も甚大だった最近の映画が、「ポルターガイスト」で、驚くほど多くの関係者が怪我や事故などというなまやさしいことに留まらず、不自然な形で命を落としている。劇中、TVに閉じこめられてしまういたいけな少女を演じた子役女優も、成人を迎えることなく亡くなってしまったらしい。お岩は一人の女性だが、不特定多数の悪霊が関係者を襲ったのだろうか。痛ましい話である。

 日本の妖怪は漫画家の水木しげる氏の手でユーモラスに紹介されている。これらは日本の文化と不可分であり、それを漫画で知り得た杜氏の世代は幸運であったのかどうか。座敷童は水子霊であるし、一反木綿、塗り壁などはモノに憑依した何モノか、砂かけ婆は自然災害の飛砂で、子泣き爺はどうも出自が不明らしい。その中で、日本版ポルターガイストと思しきものもある。小豆洗いである。夜、人が寝静まった頃、どこからともなく「ショキ、ショキ」と小豆をとぐような音がするが探してみても、誰もいないという姿なき妖怪だ。人を川に誘う込むとも、人を食うとも言われるが、それほど悪質な妖怪とも思われない。そいつが出ると豊作になるという、吉兆としても受け止められている。
 実はその正体は割れており、チャタテムシという体長0.5〜10ミリ程度の微小な昆虫である。分類上は噛虫目、またはチャタテムシ目と独立しており、日本だけでも200種を数えるという。大きさもとても小さいが、体色も殆どが褐色と地味で、人間の身近に棲息しているものの、目に留まる機会は皆無に近い。名の由来は茶点虫だろうか。茶筅で茶をかき回す音から来ているのかもしれない。小豆洗いの正体は、スジチャタテであると言われる。障子や襖に止まり、それと共鳴して、小豆をとぐような音を立てるそうだ。チャタテムシの類は大量発生するのが常で、スジチャタテも一匹ではなく大群が障子などに止まって、翅を震わせ、集団で薄い紙を振動させるのだろう。
 実際に数が多く、屋内で生育し易いのがコナチャタテで、その名の通り、小型のチャタテムシの中でも更に小さい。翅が退化しており、ダニと間違えられ易い。本の隙間などに入り込むことが多く、英国ではBook lice、つまり本のシラミと呼ばれるそうだ。噛んだり刺したりはせず、人畜無害である。乾燥食品に寄ってきたりもするが、食い散らかすほどのインパクトは持たない。だが、ダニに似て大量に室内に発生したりするので、例によって人間は「不快害虫」という汚名を着せている。実際には主にチャタテムシは黴を食糧にするので、益虫とされてもいいくらいだ。だが、人間様は黴を自分達が発生させたことを棚に上げて、チャタテムシを寄せ付けない方法として湿気を避けて黴を生やさないなどと提唱している。
 特に数が多いというワケではないが、目によく着くのがマドチャタテである。小豆洗いの正体であるスジチャタテは、現代の住宅建築方法では、室内に忍び入る術を封じられているらしい。それに障子なども住宅の室内にはめっきり少なくなった。妖怪の跋扈するスペースはこのように狭められつつある。マドチャタテはその一方、ガラス窓に止まることが多い。よくよく気をつけていると、その微小な姿を見ることが出来る。透明なバックグラウンドに止まるので、いかに地味な虫であっても、見逃すことはない。窓ガラスには彼らの好物である黴が付着しているのだろう。夏に発生するので、多分、難なく黴をゲットできるはずだ。窓ガラスは大概どこの家でも、暮れの大掃除の時期に磨かれる。窓拭き洗剤のCMも、年末にしかオンエアされることはない。夏は窓ガラスの黴の生育もピークに達しているハズである。ただ、いくら翅を震わせても、ガラスは共鳴しないだろうから、マドチャタテが小豆洗いになる可能性は極めて薄い。
 室内や窓といった人間の住環境に密接した場所に大量に展開するから、各種のチャタテムシも疎まれるのだが、自然環境では棲めないのかというと、それがそうでもない。木の幹などにはじっと掴まっている姿を見ることが出来る。ただ、人間の家内外の方が環境が安定しており、棲み易いのだろう。そういう環境を作ってしまった人間の方が悪いのであって、チャタテムシには罪はない。黴を食糧に細々と生きているなど、つましい虫ではないか。それをダニに似ているなどという冤罪を着せて、無理に駆除しようとなどするものだから、妖怪になって人にささやかな仇を為すのだ。
 律令政治の墾田永世私財法、鎌倉武士の一所懸命から、果てはイスラム教シーア派、スンニ派、クルド人のイラン領土陣取り合戦まで、人は地面に勝手に線を引いて欲の皮を突っ張らせていがみ合ってきた。土地に引いた線など人間だけが決めた勝手なものに過ぎず、自然はそのような境など認識しない。そこに我欲を働かせるから、自然に逆らった無理が妖怪を誕生させるのだ。
 もしかすると、小豆洗いの正体がチャタテムシであるというのも、したり顔をした人間の小賢しい説明に過ぎず、これ以上無辜のチャタテムシ、或いはそれに類する自然界の生物を我欲だけで駆逐するようなことを繰り返していると、小豆洗いや子泣き爺がより恐ろしい妖怪と化して人間を排除する時が訪れるかもしれない。
 人間がターミナル・アニマルとなったのは、地球の悠久の歴史からすれば、ホンの一瞬前のデキゴトに過ぎない。それが既にグリーン・ハウス・ガスによる地球温暖化、エルニーニョ現象、HIVウィルスなどによる人為的な疾病、自然な状態では起こりえぬ花粉症といったの各種抗原抗体反応などで、既に自壊作用を呈しつつある。杜氏から見れば、種々の環境保護への働きかけなど、人間本位の利己的な価値観によって進められているに過ぎず、地球、自然全体を慮ったものとは思えない。そこに妖怪、魑魅魍魎が跳梁跋扈する余地を招いている。
 お岩さんの祟りやピラミッドの呪い、映画「ポルターガイスト」の祟りといった人間の心が生んだ怨念は、卑近であるだけに直截的な恐怖を呼び起こす。だが、水木しげる氏の手になるおどろおどろしいもののどこか優しげな妖怪達は、今後の人間の出方次第でより恐ろしいものに変わりうる。チャタテムシのような存在を邪険にしない心から、人間が人間を自ら救う道が開けるのだが、無理であろうと感じる。それが実現しない以上、小豆洗いなどが人間を滅亡に導くのは明白である。



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