マイマイカブリ
地に縛られた甲虫
サイモン・アンド・ガーファンクルが「明日に架ける橋」をリリースした頃には、彼らは既にグループとしての活動を立ち行かせるには修復不能な状態に陥っていたという。時を同じうして、ザ・ビートルズもクロスビー・スティルス・ナッシュ・アンド・ヤングも同じような状況に見舞われていた。他にもジム・モリソン、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリンと大物アーティストの死が相次ぎ、ミュージック・シーンは大混乱を呈していた。まともに稼動していたビッグ・ネイムは、英国のプログレッシヴ・ロック勢(ピンク・フロイド、イエス、エマーソン・レイク・アンド・パーマー、他)を除けば、CCR、つまりクリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァルぐらいだった気もする。
皮肉にも大ヒットをなった「明日に架ける橋」の日本語ライナー・ノーツを、昨年ホリエモン騒動で渦中の人物となった亀淵昭信社長が執筆している。無論、1971年当時から社長だったワケではなく、ニッポン放送の一社員ながら、大人気を博していたDJ活動から水平展開して、音楽評論家めいたこともしていたのだった。今考えると、「愛の狩人」で俳優として成功し、新作「キャッチ22」の撮影に向かうガーファンクルを激励しつつも複雑な心境で見送るポール・サイモンの気持ちを綴った「ニューヨークの少年」を、「犯罪者の高飛びの相談のような歌詞だ」などと、カメ氏も見当外れなことも書いている。「カラオケ」という言葉がメディアに初登場したのも、このカメ氏の紹介コメントだったように記憶している。タイトル曲「明日に架ける橋」のスケールの大きなゴスペル風の演奏が、どこぞの教会で録音され、別個所でテイクされたヴォーカルとミキシングされたとのことだった。そこで登場したのが耳慣れなかった「カラオケ」なる言葉で、空のオーケストラの勝手な略でギョーカイ用語だろうなと解釈した。だから、数年後、今と変わらぬ娯楽としてのカラオケが世に出始めた際も、違和感はなかった。カメ氏の功績がそれだけとは言わないが・・・。もうひとつ、エルトン・ジョンの来日記念ベスト・アルバムのライナー・ノーツも亀淵氏の手になるもので、杜氏は未だそれを所有している。
その「明日に架ける橋」はその他に、「ボクサー」や「バイ・バイ・ラヴ」などの複数のシングル・ヒット曲を生んだが、最も印象的だったのが、「コンドルは飛んでゆく」だった。
今、首都圏は極東の近隣諸国ばかりではなく、世界各国からの移民で「プチ民族の坩堝」状態に陥っている。どこぞの三文文士上がりの地方行政の長から「三国人」呼ばわりをされて気の毒な次第だが、そういう状況になる前と比較して、残念ながら治安が悪化したのは事実だ。その代わり、昔は希少だったインド、タイ、トルコ、ベトナム、ブラジル料理といった各国エスニック料理が気軽に口に出来るようになった。東京でシュラスコが食べられるなど、1970年代から思うと夢のようだ。川崎駅前にも元東芝の巨大工場があった近辺にペルー料理の店が近接して二軒もある。南米というよりも、東南アジア系に近い不思議な味で、決して悪くない。そう思っていた矢先に、不心得な若いペルー人が幼女を残虐な手口で殺害したとの報を耳にした。残念なことであり、犯罪自体は許し難い。
そういえば、川崎駅前でペルー人と思しき集団が独特の楽器構成でストリート・パフォーマンスを繰り広げる姿を時おり見かける。よく聴いてみると、ペルーの曲専門というワケではなく、「花」などの日本人には耳慣れたメキシコ曲などの取り入れており、ラテン・アメリカ音楽を演奏する集団といった印象だ。だが、やはり、欠かせないのが「コンドルは飛んでゆく」で、ペルー人達も他国の曲を演奏するより生き生きとして見える。ニール・ヤングの「コルテス・ザ・キラー」でも紹介されているが、屈強な身体と素直な精神を持ったインカ帝国、モンテズマ王朝の民がコルテスら、スペインからの侵略者達に屈していった歴史は悲しい。「コンドルは飛んでゆく」は、そのインカ帝国の孤高の精神を哀感を込めて歌われたものなのだろうか。
コンドルは大型の猛禽類だが、実際にはインカの民が自由な精神を託したように、自由自在には飛べないらしい。大型になり過ぎてそういう身体の構造にはなっていないようだ。高地に棲むので、高い位置から低い場所へと位置エネルギーを利用して滑空するイメージらしい。「コンドルは飛んでいかない」が正しいのだという。
ザ・ピーナツ演じる小美人の歌唱で知られる「モスラ」は、架空の言語による「飛ぶ」(=カサクヤム)を多用しており、「コンドルは飛んでゆく」の翻案臭いところがある。
ポール・サイモンは「コンドルは飛んでゆく」を自曲に採り上げるに当たって、新しい英語の詞をつけている。杜氏など、初めてこの曲を聴いたのがサイモン・アンド・ガーファンクルによるヴァージョンなので、それがオリジナルだと思い込んでいた。彼らは元からある民謡、有名曲をアレンジする手法を案外多用しており、反戦的な詞を裏のコーラスに重ねた「スカボロウ・フェア」、自分達と同じユダヤ系のコメディアンであるレニー・ブルースの死亡を告げるウォーター・クロンカイトのアナウンスメントを拝借した「聖しこの夜/七時のニュース」を発表しており、サイモンの常套手段とも言える。
「カタツムリになるよりはツバメの方がいい」 「コンドルは飛んでゆく」の冒頭の歌詞である。サイモンは一貫して、土地に縛りつけられるよりも、自由自在に活動する希求を歌っている。コンドルは歌詞には出てこない。確かにカタツムリは動きの遅い動物の代表として寓話に登場するカメより更に動きが遅く、飛ぶことも叶わず、ニッチから大きく移動することなど決してない。だが、それはカタツムリにとって不自由なこととは限らない。それが普通で自然であるのだ。忌むべきは人間の身勝手で擬人的、つまりは自分の立場でしかモノゴトを考えることが出来ない発想である。もし、カタツムリにポール・サイモンの歌詞を理解出来る能力があったなら、一笑にふされているに違いない。
杜氏は幼い頃、カタツムリが大好きだった。今はその気持ちを再現することが出来ない。だが、あの螺旋系は幾何学的に見ても美しいし、木の葉裏や幹に予期せぬ形で明らかに植物とは違う姿が現れるのは日常的ではない。極めて遅い動きも優美ですらある。梅雨の雨が上がって、木洩れ日が水滴を照らす林の中に姿を見せるカタツムリは崇高ですらある。
何の先入観もなかった杜氏の心に、カタツムリの美しい螺旋形と、意表を衝いた登場の姿は強い感銘を残した。カタツムリへの尽きない興味が、やがてカエルへの驚きへ遷移し、昆虫への愛着へと換わっていったのかもしれない。
カタツムリは陸生の貝であるが、形態上は螺(つぶ)というものに分類される。螺旋の中央が堆く盛り上がった形状である。水棲の貝類で言えばサザエと同類と言える。水棲の貝が陸に進出し、潮の満ち干で海へ戻れなくなったまま、定住してしまったということなのだろうか。フランス人はフロッグ・イーターなどと食生活での悪食を他の民族から揶揄されたりする。エスカルゴを食することについても、違和感を以て語られているに違いない。だが、杜氏はカタツムリを食することに関しては、眉をひそめて迎えることなどなかった。むしろ美味そうに感じていた。エスカルゴを食することが出来るようになって感じたのは、むしろそれが意外に安価に求められることだった。
貝類はほぼ例外なく好物である。シジミ、アサリ、ハマグリ、バカガイ、ホタテガイ、ムール貝、マテガイ、タイラガイ、トコブシ、アワビ、バイ、ニシ類、etc. 高蛋白低脂肪で旨味に満ちている。生まれて初めて江ノ島の屋台でサザエの壷焼きを食べたときには、世の中でこンな美味いものがあったのかと感じた。今でもその感想は変わらない。だから、あれだけ頻繁に目にする機会が多く、捉えるのも容易いカタツムリなどの陸生の貝が、人間に食されることもさしてなく、天敵からも比較的安全で、無防備ですらあるのが不思議で仕方がない。
マイマイカブリは日本で最大のオサムシ科昆虫である。小さいものでも体長40mm程度、最大で65mmまでなる。体長からいえば、大型甲虫類の代表であるカブトムシをも凌ぐ。マイマイはカタツムリの別称であり、学名ではむしろミギマキマイマイ、ヒダリマキマイマイというふうに一般的である。そのマイマイの殻に首(頭部)を突っ込んで、カミキリムシ並みの大きな大アゴで食いつき、口吻から分泌する消化液を用いてカタツムリの身体を溶かして吸汁する姿が、貝殻を被っているように見えることから、その名がある。同類のオサムシと比べて、頭部が異常に長く全体としてスマートな体型をしている。その姿から蒐集家の間でも人気が高い。
夜行性で、カタツムリを捉えている姿は夜でなければ滅多に見ることは出来ない。だが、杜氏は夏休みに朝のラジオ体操が終わった後、裏山にカブトムシなどを探しに昇った際に頻繁に目にしている。なぜか、ホタルブクロの株の下でよく見かけた印象が強い。カタツムリもホタルブクロもマイマイカブリも、梅雨期か盛夏に活発に活動する生物だからなのかもしれない。幼虫はコガネムシ、カブトムシ、クワガタムシといった鞘翅目昆虫の典型である白い芋虫型を採らない。成虫はカタツムリ以外にも弱って死に掛けた他の昆虫やミミズなども食するが、幼虫は陸生貝類以外は食べない。幼虫も活発な生活を送るためか、肢が発達した形態となる。全体に黒く、何に似ているかと言われれば、おぞましさを禁じ得ないヒラタシデムシの幼虫に似ている。成虫が大型昆虫であるだけに、幼虫も大型で50mm程度にはなる。だが幼虫期には脱皮は一度だけ、蛹化を含めて生涯で二度しか脱皮しないらしい。地下に潜って蛹化するという。
越冬は成虫として行われ、しばしば集団で越冬する。冬眠の目醒めは極めて遅く、五月頃である。食糧であるカタツムリの出現時期に必然的に合わせているのだろう。五、六月に充分にカタツムリを食して栄養を補填した成虫は直後生殖を行い、産卵する。孵化した幼虫は二ヶ月弱で羽化するようである。北海道から沖縄まで棲息しているが、温暖な地域では年二化するらしい。
頭部が長いのは、カタツムリを食するうちに長くなったのではなく、頭部が長い遺伝子を持つ個体が生き延びる可能性が高かったことから、その形質が世代を重ねるうちに色濃くなった結果であろう。驚くべきことに日本だけに棲む在来種で、最近千島列島で発見された以外には、海外で見られた例はないのだという。また、カブトムシなどと同様、クヌギなどの樹液にも食糧を求めたり、飼育されている個体は昆虫ゼリーなども好むようだが、生殖を完遂するためには、陸生の貝を食べなくてはならないのだという。杜氏もクヌギの木でマイマイカブリを見かけたことがあるが、あれは飢えを凌ぐために過ぎず、本来の食糧はカタツムリでしかないのだ。
オサムシ、ゴミムシ類の多くに共通する特徴である、危機を察知した際に腹部尾端から強力な臭気を帯びた液体を発する習性を有する。知らずに手を伸ばした杜氏は、幼い頃その攻撃の直撃に遭い、閉口した憶えがある。石鹸でいくら丁寧に洗っても、丸一日臭気が取れることはなかった。決して素手で捉えようとしてはならない。だが、そういった有効な防衛手段にもかかわらず、よく目立つ大型の姿は捕食者の好餌となるらしく、ヒキガエル、キツネ、タヌキの胃袋からマイマイカブリの翅が観察されるようである。
他のオサムシ科昆虫同様、マイマイカブリの上翅は閉ざされており、飛翔することは出来ない。その代わり、幼虫、成虫とも地上を敏捷に駆け回るための肢が発達している。地を這うのに適した身体に最適化されたのだ。移動の範囲が限定されているために、日本だけに棲息しているのだろう。それどころか、同じニッチに留まることが多いせいか、地方に適合した形質に微妙に変化し、多様な亜種に拡散する傾向にある。このため遺伝子の研究材料としても格好の素材であるという。
食糧であるカタツムリは空を飛べない。生れ落ちた土地で周囲の木の葉を削りながら食し、大きく移動することがないまま一生を送る。マイマイカブリもそれに従うかのように、昆虫でありながらその機動性を犠牲にしてまで決められた一生を送ることになる。自由を希求するミュージシャン達は、「翼をください」だの「あの空を飛べたら」だの「カタツムリよりはツバメになりたい」だの、勝手なゴタクを並べる。だが、人間には翅を持つことなど出来ない。故国を捨て、移住したところで、その土地で風習に従って自らの生き方を適合させながら生きてゆくよりほかに選択すべき道などない。移住先で強盗団として窃盗を繰り返したり、殺人を犯したとしても、いつかは報いが自らに返ってくるだけである。
地に足を着けて、一歩一歩確かめながら進むしかない。カタツムリにしてもマイマイカブリにしても、人間にしても。翼を持つコンドルにしてもだ。
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