マメコガネ

ジャパニーズビートル、米国を席捲


 映画「グレムリン」が米国の日本人感をパロディにしたものであることは以前にも触れた。可愛いペットのギズモと小さいが凶悪な振る舞いで街を制圧してしまうストライプの二面性は、かつて一国の首相が日本列島を北朝鮮に対する「不沈空母」に準えたり、現在の言いがかり戦争に対する正当化を肯定する従順な態度と、工業立国としてアメリカが得意するハイテク産業分野で暴力的な輸出による利益を貪る反逆者の相容れない姿の比喩である。だが、その日本も韓国以下の追い上げを食い、反逆者の姿は影が薄い。したがって、「グレムリン」も、その後目立った活躍が見られないフィービー・ケイツの可愛さだけが印象的になってしまった。ただ、あれが代表作だとは、フィービーも気の毒だ。(英会話テープの先生という普遍的な面も残ったものの) フィービー・ケイツの日本版エピゴーネンとも認識できた小沢なつきは、ヌードを発表してもイマイチ一時的な注目しか浴びないとみるや、アダルト・ヴィデオに進出してしまった。それと比べれば、フィービーは幸福なのかもしれない。
 かつて、日本のハイテク産業はアメリカ人が気づかぬうちに浸透していった感がある。千葉真一がアメリカでソニー千葉を名乗ったのも、ソニーが日本の企業であることが認知されていたからであろうが、ダッツン、ハイタックなどはアメリカ人自身がアメリカのブランドだとカンチガイをしていたフシがある。正にニンジャのような侵略であったのかもしれない。
 スバルはかつて小型車のニッチで繁栄していたが、デザイン的にはフォルクスワーゲンの縮小コピー、パクリであることを指摘されていた。杜氏の住んでいる地域に日産の社員アパートがあり、同級生の中にも日産社員の子弟が多かった。その日産アパートのすぐ隣に住んでいた防衛庁のキャリア官僚の息子がおり、杜氏とは友達であった。中学の当時は学校のトップを争ったこともあったが、同じ高校へ進んでからは向こうが裏切り、京大へ進んでしまった。その彼の家が日産の隣であることなどお構いなく、スバルの車に乗っていた。カブトムシならぬコガネムシである。それをある日産社員子弟が執拗にバカにしていた。1960年代後半から70年代前半のことだ。自家用車を持つことが未だステイタスになり得た時代である。杜氏にとってはスバルでも、持っているだけで羨ましかった。米国人がある面で傲慢であることは確かだが、日本人にもこういった偏狭なセクショナリズムのような傲慢な姿勢が根強い。

 戦後、アメリカなどからの帰化生物が、天敵の不在から生態系に深刻な影響を及ぼすようなインパクトを与えたことは繰り返し記している。アメリカザリガニは在来のザリガニを圧迫し、また淡水魚でもブラックバスに続き、ブルーギルが猛威を揮っている。アメリカシロヒトリは街路樹を丸裸にして、地中海ミバエは柑橘類の収穫に深刻な被害を及ぼした。だが、考えてみれば、アメリカシロヒトリは街路樹という人間の作為によって営まれる環境にインパクトがあったに過ぎないし、程なく天敵も現れ、生態系に組み込まれていった。地中海ミバエに至っては、事前の脅威が喧伝されたためか、上陸を未然に食い止められ、その経緯は「プロジェクトX」にも取り上げられている。つまり、自然は少しぐらいの異分子が閉じた地域に舞い込んでも、それを消化吸収してしまう懐の深さを持っている。
 騒がしいのは、自分の種の利害にのみ敏感な人間だけである。

 ジャパニーズ・ビートルと呼ばれる種類の昆虫がいる。無論、学名、正式名ではなく、アメリカでの通称に過ぎない。アメリカ産の昆虫の帰化に日本も苦しめられたが、アメリカにも同様のインパクトをもたらした昆虫がいたのだ。オアイコである。ジャパニーズ・ビートルの正体は、極普通に見られる小型のコガネムシであるマメコガネであった。
 生物の名でマメという形容には二通りある。小型であるという意味がひとつ、マメ科の植物を好むという意味がひとつ。マメコガネの場合は後者である。ただ、成虫が好むのはマメ科植物の葉ばかりではない。多くの広葉樹の葉を荒し、園芸植物にも害を及ぼす。また地中で育つ幼虫は根を食べるので、より根本的なインパクトを植物に与える。ただ、1cm足らずの小さな昆虫であるから、日本の農家でも警戒されてはいるものの、大発生して猛威を揮ったという話は聞かない。
 胸部がメタリックに輝く明るい緑、前翅が赤味がかった褐色で、色鮮やかなコガネムシだ。腹部の節ごとに見られる白い斑紋も、目立っており、さりげないファッション・ポイントである。全体のデザイン的にも、コガネムシ、ドウガネブイブイのような鈍重さはなく、むしろカナブンの機動性を思わせるバランスの良さが目立つ。小さいながら洒落っ気のある姿で、さして気にかけるほどの害のあるヤツでもないように思える。ただ、アメリカでは猛威を揮ったらしい。元々、弱い昆虫の常として、マメコガネも数を武器とする。大量の卵を産卵して、強い肉食性の天敵に食われる歩留まりの悪さに対抗している。自分の意思とは別に、アメリカに渡ってしまったマメコガネが、当地に天敵が見当たらないことなど意に介すハズもない。日本と同じように歩留まりの悪さを勘案した物量作戦を継続したのは当然である。その結果がジャパニーズ・ビートルを大悪役に仕立て上げる結果となった。
 だが、ある限られた地域に個体が集中して、食糧を食い尽くすほどの大発生となることは、その昆虫自身にとっても有利なことではない。トノサマバッタがある密度以上に個体数を増やすと、然るべき比率で飛蝗と呼ばれる飛翔力の強い個体が現れ、食糧が潤沢に確保できる地域へと大群で移動する現象などがそれを示している。パール・バックの「大地」にもその模様が効果的に描かれているのが有名だ。ただ、トノサマバッタのような自然な形で食糧の枯渇危機が察知されるのなら、自然のフィードバックも期待できる。生物の帰化というのは人為的なものだ。マメコガネはトビマメコガネへと変身したりはしない。時間をかけて天敵の登場を待つのが得策である。農薬散布などで強引に退治したとしても、そのには農薬の影響というもうひとつの深刻な生態系への負の要素が残ってしまう。

 どうも、ジャパニーズ・ビートルという名前、蔑むような視点からついたような気がしてならない。こちらの僻みなのだろうか。アメリカと名の付く生物に、物量の豊富さに任せた高圧的な印象があることと、対を成しているのだろうか。日本人をペットか小悪魔に準えてしまう「グレムリン」のセンス、スバルを嘲笑う日産社員の息子の屈折した優越感に共通するものがありはしないだろうか。日産は当時、「隣の車が小さく見えます」というような、一時期のペプシ・コーラもかくやと思うような比較広告的なキャッチ・コピーを用いていた。「隣の車」は残念ながら明確に小さいことをウリにしていたスバルではなく、業界ナンバー・ワンのトヨタなのだが、負けている分、下品さも惨めさも際立つ。そういう会社自体の当時のマインドが、社員子弟のうちでもデキの良くない人間に伝播してしまったのだろう。今のゴーン主導の日産とは体質が全く違うようにも見受ける。
 だが、自動車産業というもの。部品メーカを子会社的に扱う高圧的な風土がある。電気機器メーカなどは自動車とは独立した市場を持ち、更にLSIを自動車部品として供しているのだが、同じような格付けの電気機器メーカが商談を持ち込んでも、「出入り業者が売り込みに来た」というような態度で遇してくれるようなところがある。こういう人間のいわれなき差別意識が、ジャパニーズ・ビートル命名の根本にあるような気がする。電気機器メーカとしては、こういった態度は滑稽であるし、笑って聞き流すしかないのだが・・・。

 マメコガネの、よく見ると美麗という形質は、人間のこういったどうでもいい差別意識をグローバルな自然という更に上の視点から達観しているように感じられる。



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