マルハナバチ
ワーカホリックの花粉運搬者
「家貧しうして孝子出ず」という諺がある。団体存亡の危機に際して、都合よくそれを回避する人材が現れることは確かによくある。杜氏達が入学する前の東京理科大の神楽坂キャンパスの陸上部員は六名。短距離二名、中距離二名、長距離二名で、関東インカレはおろか、関東理工系でも入賞可能な人材がいなかった。同期入部は六名。そのうち、インターハイ決勝進出者が一名、全国八〇傑以内が一名(杜氏)、後に200mを22秒台半ばで走るようになる競技未経験者が一名。その三人が潰れかけていた部を再活性化することになる。後々思うと、杜氏達はよく言われる救世主だったのかもしれない。そのタイミングで測ったように、杜氏達が現れたのも運命だったように思えてくる。
潰れなかったのだから、悠久の時は何ごともなかったかのように、東京理科大学陸上競技部の上を過ぎて行ったかのように思える。世の中など、こンなものなのかもしれない。一年いれば救世主も当たり前の存在となる。杜氏達だって気持ちよく競技をしたかっただけで、自分達が救世主だったなどと認識してはいなかった。
時代劇で、よく美人の町娘か何かが悪代官の魔手に落ち、「あわや落花狼藉」というタイミングで、鞍馬天狗(旗本退屈男、桃太郎侍、月影兵庫、花山大吉、隠密剣士、etc.)が登場するご都合主義で視聴者を悔しがらせるが、それに似たことが実生活でもあるものなのだ。
マルハナバチは丸っこい体型のミツバチの一種で、ミツバチよりは体積にして数倍は大型である。クマバチに近いと言えば、大きさの面からはわかりやすいだろうか。大きい上に全身が体毛で覆われている。花を好み、花粉を糧としている。つまりは虫媒花にとっては、受粉に格好のパートナーである。マルハナバチがいなければ受粉が不可能、つまりは繁殖できない植物もあるくらいだ。それは決して事実ではないのだが、まるで植物受粉のために存在しているような昆虫なのである。
ミツバチ、スズメバチ、アシナガバチ同様、社会性のハチで、多数のハタラキバチから成る巣を営む。女王バチは最初のうちは単独で行動する。食糧確保から営巣、産卵、子育てまで一身に引き受けて大車輪の活躍をする。やがて充分な数のハタラキバチが羽化すると、やがて産卵に専念するようになる。季節が夏に近づいて種々の花が咲くようになるのと時期を合わせるように巣の規模は1000匹以上のハタラキバチを収容するに足るまでに膨れ上がる。ハタラキバチのライフサイクルは羽化後、二週間程度らしい。案外簡単に死んでしまう。だが、その労働量たるや、凄まじいもので、さながら花粉収集マシンのようだ。攻撃性は薄く、同じ種同士で直接争うことなどないが、食糧をかき集める活動は競争にも似た激しさなのだという。この精勤振りに恩恵を受ける植物は数限りないだろう。
やがて気温が下降線を辿るようになると、次世代の女王、オスバチが産まれる。有精卵からは女王が、無精卵からはオスが孵るらしい。そのタイミングで前の女王は力尽きて死ぬ。きっちり一年間で次の世代に使命を引き継ぐ形を採る。
ミツバチでは、オスバチはすることもないのに所在なげに巣を徘徊しているようだが、マルハナバチの場合、オスは交尾を終えると死んでしまうという。ある意味で合理的である。旧女王が死んでしまうので、巣は放っておいても滅びてしまう。巣を出た新女王は物陰で越冬して、花が咲かない季節を、活動を停止することで凌ぐことになる。
その勤勉さに着目してヨーロッパでは受粉専用に飼われているマルハナバチがいる。セイヨウマルハナバチである。日本でも受粉が難しいトマトの栽培などに活用されているらしいが、逃げ出したセイヨウマルハナバチが野生化して、生態系を崩さないかが懸念されている。在来のマルハナバチのニッチを圧迫する可能性も強い。特にその精勤振りが原因で。懸念通り、最近、野生化したセイヨウマルハナバチが観察されていると聞く。逃げる可能性のあるものは逃げるというマーフィの法則だろうか。
ミツバチに近い種なので、気になるのはハタラキバチが敵を刺した際に死んでしまうという問題だが、マルハナバチの針は内蔵につながって引き抜くと一緒に体内から引きずり出される構造にはなっておらず、何度でも刺せるようになっている。だが、活動中は専ら花粉採取に意識が向いているらしく、よほど危機感を覚えないと攻撃には転じないらしい。かといって、故意にかまうのは禁物であろう。あの大きな身体を見るだけで、人間にも動物にも警告も効果があることは事実だ。スズメバチの類は攻撃に移る前に、カチカチといった警戒音を発して、敵に逃亡を促すのだが、マルハナバチではそういう習性を聞いたことがない。比較的性格温厚なハチであることを物語っている。
巣はミツバチ、スズメバチのように何もないところから営まれるワケではなく、他の小動物の巣の跡を利用する形で形成される。ネズミなどである。だが、その数に限りがあり、新女王同士の争奪戦が展開されることも多いという。とはいっても、マルハナバチは普通種であり、極々身近に見かける昆虫だ。同種同士のスペース確保でニッチが圧迫されているとは考えにくい。
天敵はムシヒキアブなどだ。特にシオヤアブは物陰に隠れて、オニヤンマ、マルハナバチなどの大きなリスクを伴う相手を襲う。強者であるこれらの昆虫も、飛翔中に急所を狙われると案外脆いのかもしれない。だが、シオヤアブも物好きというか、無鉄砲というか・・・・。いや優秀なハンターなのだろう。もしかすると、生命の危機よりも花粉採取に気を取られているマルハナバチの性質を、経験則からシオヤアブが熟知しているのかもしれない。
一年で個体だけではなく、巣のライフサイクルが一巡することや、女王バチ、ハタラキバチとも精勤しながら、さして生産性は伴わないこと、スズメバチ、アシナガバチのような攻撃力と肉食性を伴わないことから、完璧な社会性を有するミツバチに至る前段階の進化過程にある種だと思われる。だが、その生産性の悪さは植物、植物を作物、または商品として利用する人間には計り知れないメリットをもたらすことになる。正に救世主的な存在であろう。だが、人間はマルハナバチなど初めから自然界に存在するものと見做して、感謝の意など示さない。
杜氏の部屋から階下の庭を見下ろすと、いつの間にか定着してしまったノイバラの花から花へと、無数のマルハナバチやクマバチがかいがいしく働いているのが見える。別に意図して栽培したノイバラではないのだが、その様には愛しさを感じてしまう。
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