マルウンカ

霞か雲か?


 ザ・ビートルズが来日したのは1963年だっただろうか? 杜氏は小学校低学年だった。愚劣で価値のない音楽であると識者はマスメディアを通じてわめき散らしていた。来日記念盤だった「ハロー・グッド・バイ」のメロディがそこかしこで聞こえていた。杜氏が住んでいた横須賀と横浜の境にある野島公園を散歩すると、電子楽器の演奏の練習場所が限定されていたために公園でベンチャーズのコピーを演奏している人達に必ず遭遇した。一方で、オジサン達が耳を傾けているラジオの野球中継では、新人だった王貞治がプロ野球開幕戦で凡退を続けている実況が伝えられていた。杜氏の耳には、ビートルズもベンチャーズも、ただやかましいだけの雑音には聞こえなかった。寧ろ、何だか子供の耳にも公平さを著しく欠いておるように思える野球中継の方がよほどやかましかった。
 それからホンの数年が経ち、杜氏達の世代は洋楽を本格的に聴くメディアとして、ラジオの深夜放送を得ていた。だが、ザ・ビートルズは存在こそするものの、活動をほぼ収束させており、ウッドストックでの大規模なコンサートに集ったアーティスト達が群雄割拠していた。だが、ザ・ビートルズに代わって杜氏達が熱心に洋楽を聴き始めた途端に、その中心にあったジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ドアーズのジム・モリソンなどが次々と斃れていった。そして遂にザ・ビートルズが正式に解散を発表し、ポール・マッカートニーはウィングスを率いて自分のやりたかったコマーシャルな路線を自分勝手に展開し始め、ジョン・レノンは「マザー」などの曲によって、大衆の共感からは程遠い自閉症的な世界をさまよい始めていた。
 終戦後、戦勝国アメリカの統制下から解放された日本だが、依然日米安全保障条約によって庇護されていた。だが、それらを潔しとせずに立ち向かったのは、戦後奇矯な行為の連続によって国民の信頼を著しく損なっていた共産党らの既存左翼勢力ではなく、学生運動だった。六全共による共産党の運動穏便化によって、その傾向も加速する。「アンポ、ハンタイ!」のシュプレッヒ・コールは流行語のようになり、子供心に杜氏の耳にも強い印象が感じられたものだ。60年安保のデモで圧死させられた樺美智子さんの死も、大衆には学生運動へのシンパシィを以て悼まれた。当時は大学生がノンポリ、ノンセクトであることにすら、多大なエネルギーを要する時代だった。
 だが、全共闘は時を経るごとに過激化し、1968年10月の新宿騒乱事件、1969年1月の安田講堂事件による東大入試の中止、1970年3月の日航機よど号ハイジャック事件など、反社会的な色彩を帯びてゆく。 小学校高学年から中学生だった杜氏達は、その経緯をつぶさに眺めながらも、高校へ進学したら旗幟を鮮明にし、運動への参画を余儀なくされるのだと身構えていた。ところが、高校入試が終わり、合否の結果を家のコタツに潜って待っている頃、札幌オリンピックの空騒ぎも治まったブラウン管はトンでもない光景を映し出すことになる。あさま山荘事件の終焉を告げる鉄球が山荘を破壊するさまである。あの鉄槌によって、学生運動は命運を断たれ、杜氏達の目の前で、またひとつ重い扉が閉ざされていった。
 杜氏はオリンピック・ベイビーである。メルボルン・オリンピックの年に生まれた。次のローマの記憶は、未だTVが家になかったので記憶していないが、戦後復興の象徴でもあった東京オリンピックの火照りは充分に頬に受けた。メキシコでは小学校六年生、高校進学した直後にミュンヘンがあった。成人の年にはモントリオールがあり、次のオリンピックはいよいよ同世代人が中心となったメンバで構成されるハズだった。無論、杜氏自身がオリンピック代表に選出される可能性は薄かったが、同世代の馴染みの競技者や知人が出場するオリンピックは他の回とは全く違った意味合いを持つハズだった。
 ところが、旧ソ連のアフガン侵攻がそれを阻んだ。瀬古利彦をはじめ、多くの杜氏と同じ24歳の競技者達が唯一の陸上競技の世界的大会であったオリンピックへの出場を断念させられた。代表のメンバには「発送を以て発表に代えさせて頂きます」ではなく、「発表を以て発送に代えさせて頂きます」の如く、栄誉だけが残された。空虚な謳い文句とされている「参加することに意義がある」ですらなかったのだ。今と違って、三十歳近くまで競技を続けるのには制約が多く、多くの幻のモスクワ代表が、次のロスまで競技寿命を保つことが出来なかった。ロスで体調を崩し、ドーピングを恐れて売薬も飲めずに不本意なレースに終始した瀬古利彦も、結局はモスクワ・ボイコットの影響から逃れることは出来なかった。

 ザ・ビートルズに乗り遅れ、全共闘世代にも外れ、オリンピックからソッポを向かれ、次にやってきたジャパン・アズ・ナンバーワン時代の豊かな稔りの恩恵を少年期に受けることも出来なかった。米国のある年代の作家達がロスト・ジェネレーション、失われた世代を自称していたが、1956年生まれの人間は正に色々な時代のムーヴメントからタイミングを外され続けた、谷間の世代を生きてきたと言える。あまりこう書くと、僻みにしか受け取られないことはわかっている。他の世代にも言いたいことは山ほどあるだろう。だが、瀬古の不運は同世代全般の不遇を象徴しているように思えてしまう。

 コウモリは哺乳類でありながら、鳥のような飛翔力を持つことから、寓話で揶揄されたり「鳥なき里のコウモリ」などと諺でも否定的な引合いに出されている。だが、コウモリとて鳥を真似たり、日和見的に哺乳類のサイドに立ったりするワケではなく、生活の形態から必然的にあのような機能を持つに至ったのだ。人間がそれを指弾するのはお門違いも甚だしい。
 ウンカは半翅目昆虫である。微小で群れを作ることからカのような双翅目昆虫と考える向きもあるかもしれないが、半翅目昆虫の中でもヨコバイの類として分類されている。上翅が固く進化し、下翅が薄く柔らかいカメムシと違って、双方とも同じような材質からなることから、同翅亜目とも認識されている。セミも同様だ。ヨコバイ、アワフキムシ、ウンカなどをよくよく見ると、確かにセミがうんと小さくなったものと見えなくもない。
 ウンカは雲霞である。「さくら、さくら」の「霞か雲か」なら美しい光景が想起されるが、「雲霞の如く」と言えば、人間も含む生物が個体の意思など飲み込んでしまうほどの大群を成している様を示し、少なからず不穏で不気味なものを感じる。水蒸気または水滴の微小な粒子が無数に集まって、個々の水の分子とは全く異質な形や振る舞いを呈する雲や霞を形成することには生理的な不快感に近いものを感じる。そこから想起されるのは、「不思議の国のアリス」で敵意一色に塗り込められてこちらに迫ってくるトランプの兵隊か、レマルクの小説「西部戦線異状なし」だ。
 珍しいケースかもしれないが、ウンカの名が「雲霞の如く」という諺を生んだのではなく、諺から逆にこの昆虫の名が導かれたのだろう。雲か霞のような群れを成して、集団で飛び、イネ科の植物、特にイネに甚大な害を与える雲霞への敵意も窺われる命名である。通常のウンカはヨコバイの尾の部分の翅の先端が尖がっており、全体的に長い二等辺三角形に近い体型をしている。翅の色も淡いか、半透明だ。ハネナガウンカ、ヒシウンカ、テングスケバなどはそういう典型的なウンカの形状は採らないが、翅は半透明で、ヨコバイに近いことは近い。
 ところが、ウンカと名がついてもマルウンカはまるで趣が異なる。5〜6mmの微小な昆虫であることに変わりはないが、何に似ているかと言われればテントウムシだ。上から見ると円形で、半球形と呼ぶにはやや扁平で団子状と呼べるかもしれない。上翅は甲虫のように硬く、ここでもテントウムシに似ている。濃い褐色の地に黄褐色の斑紋があり、これもテントウムシに近い。地味な色合いだが、よく見るとなかなかオシャレなデザインである。他のウンカと違い、イネを吸汁して食害することはなく、人間から忌み嫌われることはない。クヌギを食するが、クヌギには様々な昆虫が寄食するので、さほどのインパクトはありそうもない。ウンカの名がありながら、気味悪いほど群れて行動することはないように思える。見かける姿も樹上、葉の上で単独で行動している場合が多い。というより群れているところを見たことがない。
 脅かすと機敏に跳ねて逃げる。この動作だけはウンカを連想させる。成虫は7〜8月の盛夏に活動するが、半翅目は不完全変態で、幼虫は成虫と同じような姿をしている。おそらく幼虫は目立たないだけなのだろう。

 ウンカ自体が、半翅目でありながら、半翅目らしい昆虫ではない。カかブヨを思わせる。それに加えて、マルウンカは見かけ上はテントウムシそのもので、分類学上の視点で見なければとてもセミ、カメムシのタグイとは認識できない。ある意味、飛翔する哺乳類、コウモリにも在り方が似ている。またそれは、戦後の混乱に育ったワケでも、高度経済成長や軽薄短小のハイテク機器に囲まれて飽食の時代に少年期を送ったワケでもない、「何もないのです世代」の1956年生まれの人間のようだ。もっともそンなことなど、「何もないのです世代」の勝手な見方に過ぎないのであるが。
 人間から害虫と指弾されたり、群れを成して不気味がられることもなく、殆ど無害と目される、というより存在すら認識されないというのは、昆虫の種にとっては大きなメリットなのであろう。だが、人間としては害はないと思われても存在感すら認知されないのは寂しい。強烈な文化的なムーヴメントに乗り遅れるのも癪で、何で杜氏達の世代だけなどと恨み言のひとつでも言いたくなる。余計癪なのは、例えばビートルズへの接し方において、我々世代は乗り遅れた自覚を以て自分達の音楽ではないという臆した感覚を禁じ得なかったのに対して、少し下の世代は堂々と過去の文化遺産としてのビートルズを受け容れているということだ。杜氏にそのようなワザは出来ない。知っているビートルズはロング・アンド・ワインディング・ロード、レット・イット・ビー、ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス、アクロス・ザ・ユニヴァースといった、殆ど各々のソロ活動の切り売りなのであるから。リアル・タイムで経験したビートルズは実はビートルズそのものではないのだ。一事が万事そうである。
 そンなこととは無関係に、マルウンカはひっそりとしたたかに生き続ける。1956年生まれとしても、ひっそりとは余計だが、したたかに生きたいものである。ビートルズ文化も全共闘の社会変革意識も二度とめぐって来ない24歳のオリンピックも予めなかったことと、意識からシャット・アウトして。



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