ミズアブ
きれい好きのウジムシ
婦女子が昆虫を嫌う大きな要因のひとつに幼虫の不気味さが挙げられるかもしれない。幼虫と一口に言っても、不完全変態を採るものは単に成虫の小型版でさして違和感がない。完全変態を採るもの、つまりイモムシ、ケムシ、ジムシのタグイには肢もなく(腹足はあるものの)、得体の知れぬノッペラボウと見えなくもない。得体の知れぬものは、その本質を知ろうとしない者には恐怖感さえ与える。
アンチ巨人という人種がいる。杜氏はY売が嫌いだが、そのアンチ巨人とやらではない。第一「巨人」などと、連中を呼ぶ義理はない。阪神タイガースは阪神、またはタイガースと呼ばれる。横浜ベイスターズも横浜またはベイスターズだ。Y売GアンツはY売か、Gアンツでしかない。その「巨人」という人を見下したようなネーミングはどこから来ているというのだ! Gアンツ・ファンなる頭のおかしい集団は、それほどしてまで巨大な信仰対象に傅きたいのだろうか。アンチ巨人なる呼称を認めるのは、アンビバレントな感情の葛藤の末に、Gアンツ・ファンであることを自認するに等しい。
余談となってしまうが、Y売系列の遊戯施設、その名もY売ランドを会社の研修に使ったことがある。研修所の建屋の端の階段が一階、二階の吹き抜けとなっており、その壁に杜氏は異様なものを見た。Y売の創業者の巨大な肖像画であった。一瞬、キム・イルソンかと思ってぎょっとした。これがGアンツ・ファンの崇めるご本尊なのかとも感じ、寒気がした。要はそういう企業文化なのだ。人格の捻じ曲がった、尊敬の対象とはアラスカから南極大陸ほどに遠い「名物オーナー」が、Gアンツ・ファンはおろか、野球ファンを含む球界(これも変な日本語!)全体に傅くことを当然のように要求するのも頷ける。杜氏はそのような屈服は真っ平ゴメンだ。
そのアンチ巨人の人達が、Y売とGアンツを罵倒する本を著したことがある。放題は「くたばれGアンツ」といったものだったが、憶える必要もないので忘れた。憶えているのは、それに英題がついていたことだ。’Magot! Giants’、つまり「ウジムシ! Gアンツ」である。念の入ったことに、その言葉のロゴ入りTシャツまで作ったらしい。それを着て街を歩いていると、英語を解する人達の顰蹙を買うことになるらしいのだが、Gアンツ・ファンにはそのような知性も語学力も持ち合わせがないので、妙に親近感を帯びた視線で見られるとのことだ。そこに愉悦を感じるなど、アンチ巨人と称している人の屈折した心理は暗い。だが、杜氏はそこにウジムシという存在がいかに大衆から忌み嫌われているかを読み取ってしまう。
幼虫系の中でも、ウジムシほど蔑まれる存在はない。前の会社に勤めていた頃、会社の近所の住民が出したゴミが、夏の猛暑に腐敗したらしく、物凄い悪臭と無数のウジを発生させるという事態に陥った。で、会社の上層部から、なぜか社の若手を招集して、人海戦術で事態の収拾に当たるというありがたいディシジョンが下された。杜氏達は、鼻の曲がるような臭気を放つゴミを処分し、四散して逃げようとするウジムシの大群を追い回して退治するという地域住民サービスに、ルーティン・ワークを放擲してまで当たらされた。作業が終わった頃には、暑さで頭はクラクラし、嗅覚は麻痺し、ウジムシに当てられて吐きそうな気分に陥っていた。いくら杜氏が昆虫好きとは言え、ウジムシの大群と格闘するのは願い下げである。
ウジムシはハエ、アブ、ブユの幼虫に限定される。双翅目の幼虫が全てウジムシであるかと言えば、そうではなく、蚊の幼虫はご承知の通りボウフラである。ハエもアブも概して汚物、腐敗物を好む。動物の死骸や排泄物などを処理する役割を負っているのだから、これらの昆虫は大きな役割を担っているのだ。成虫はさして役には立たないが、幼虫、つまり、ウジムシはそれらの内部に群れを成して潜り、本格的に解体作業に当たるから、清掃効果も大きい。その分、人間からは疎まれることになる。
だが、汚物の中ばかりを好むウジムシばかりではない。ミズアブというアブがいる。杜氏が子供の時分は、そこかしこに当たり前のように飛んでいた。だが、今は都市部ではまず見当たらない。ある程度清浄な水がなければ、幼虫が成長することが出来ないのだ。清浄とは言っても、杜氏がミズアブの幼虫をよく見かけたのは、ドブ川の中だった。そこにはアメリカザリガニやイトミミズ、ボウフラ、ヤゴ、メダカといった生物が同居していた。ただ、杜氏はそれを清浄だとは認識していなかった。ドブはドブである。
だが今では汚いドブはおろか、露出している流水すら見ることが出来ない。排水の流れはすべからく側溝の下に隠されることになり、生物が住めない暗渠となった。ミズアブは無論、今でも水がきれいな地域には棲息しているが、環境指標性が高い生物とされてしまっている。つまりミズアブが見られる地域は環境が良好であると評価することが出来る。
今はインターネット検索で、ありとあらゆる事物のことを調べることが出来る。だが、キーワード検索ではそのキーワードと不可分な類似する事物を拾ってしまうことになる。「ミズアブ」で検索をかけてみると、「アメリカミズアブ」に関するサイトが七割方を占める結果になってしまう。いかにミズアブが都市部から撤退し、戦前にはいなかったアメリカミズアブがそこかしこに繁栄しているかが如実にわかる。
アメリカミズアブは戦後渡来した帰化昆虫で、コウカアブと並ぶ「ベンジョバチ」である。その俗名の通り、肥溜め、堆肥、ゴミ溜めのような場所に産卵し、幼虫は腐敗物を餌にして育つ。汲み取り式トイレや肥溜めなどは姿を消したが、依然ゴミ処理は都市部の大きな問題でもあるので、ニッチには事欠かないようだ。よくガラス窓に止まっている姿を見かける。衛生的な昆虫では決してないが、ゴミを処理してくれるという面からは歓迎されているようだ。だが、その幼虫が大量に汚物の中に蠢いている姿は、ぞっとしない。だが、このアメリカミズアブも分類上は、清浄な水にしか棲めないミズアブの一種であり、ミズアブ科に属している。
ミズアブはある意味で、特殊な環境にも強い。何と温泉の中で育つことが出来るので知られているのだ。
杜氏の仕事の客で、海洋科学技術センターがある。深海探査機の開発のテーマでNHKの「プロジェクトX」にも登場した。杜氏の住む横須賀市の横浜との境にある。この研究所はたとえ停電になっても強力な自家発電によって電力供給が保証されている棟がある。海底火山の火口付近のような高温、高圧といった苛酷な条件でも生きられる特殊な生物を飼育していたりする。特殊な条件で生きられるということは、常温、常圧では生きられないことを同時に意味する。その特殊な状況を人工的にキープするためのエネルギー源が絶えると、貴重な実験材料であるこられの生物を殺してしまうことになる。
温泉の中でも生きられるということは、高温に対する耐性が高いことは無論だが、Ca,Mg,Mn,K,Fe,Cuといった金属イオン、SO4,などの陰イオンが互いに見合う分含まれている環境で生きられることを意味する。いわゆる硬水でも適合可能ということだ。温泉地の湖沼は、草津白根山の塩釜や裏磐梯の五色沼のようにカラフルな彩りではあるが、生物が棲みにくい死の湖である。そのような他の生物(植物も含めて)にとって過酷な環境で、ミズアブの幼虫は何を食糧にして成長しているのだろうか?
他の生物が入り込めないような環境に棲むことが何を意味するかは明らかである。捕食者の追ってこない領域に逃れて、危機を回避したということだ。だがそういった領域は同時に、食糧とて見出すことが困難な不毛地帯ということも意味している。一体何がミズアブを窮地に追い込んでしまったのだろうか。外来種のアメリカミズアブは忌み嫌われながらも勢力地図を拡大し続けているというのに。在来種の生存が圧迫されているというのは、日本が日本でなくなっているということではあるまいか? 日の丸、君が代などという誤ったシンボルの中には日本の本質など存在しない。それを強要することは、今、教育公務員達の社会で起こっている人間性を蝕むような現象しか招かない。本当の意味で、日本の自然、文化、風習を重視するのなら、ミズアブが温泉などに追い込まれなくとも、必ずしも清流とは呼べぬ止水域でも当たり前にミズアブが育つことの方が遥かに重要だと思う。各校の卒業式で、君が代斉唱をしない教育公務員をチェックし、直後に糾弾する行政側の人間が何を想起させるか? ナチスのゲシュタポか、旧東側諸国の秘密警察でしかない。それは日本の本質ではあるまい。
それとも、ウジムシが醜く不快だから、その生存を圧迫して、強い「巨人」に擦り寄るのが日本人の本質だから、かえって「判官贔屓」などという、タテマエだけの自己陶酔型の美意識に酔い痴れているのだろうか?