カマキリモドキ

レッドブックはどこまで自然を侵食するのか

 まがいものと言われて気持ちのいい人はいないだろう。でも、自然界にはそういう意味の名前をつけられてしまった生物が無数に存在する。人は自分がよく目にする生物には親しみを感じる。そして、それに似た形状を持つより目立たぬものを親しみ深いものに擬す習慣があるらしい。

 ガンモドキは精進料理によくある、肉食を避けるためそれに擬したものを置き換えた料理に過ぎない。菜食だろうが植物を殺生していることに変わりはなく罪悪感が薄らぐだけのように思える。ガンモドキが雁の肉に似ているのかは、私達にはわからない。私達が食することを許されているのは食肉用に市販されている鴨までに留まる。でも、ガンモドキは明らかに、ある食材に対するまがいものなので、そのネーミングも正当に感じる。

 モドキは「擬き」と書く。「黄擬」とも。また、モドキと同じ発想でダマシという接尾語で標記された昆虫も多い。昆虫にとって知ったことではないだろうが、あまり品性を感じない命名である。別段モドキのつかない種の方が優越的であることもない。米軍が進駐していた頃の戦後復興中の日本で、GI達が野生に棲息するタヌキをRaccoon-like dogなどと勝手に呼んでいたらしい。「アライグマのような犬」ということだ。タヌキはアライグマに似ているかもしれないが、大きさはアライグマに比べてかなり小さい。別段、犬科という共通点だけで、二種に直接の関係はない。棲息する地域も生態もかなり異なるだろう。進駐軍がそんなところに征服意識を感じた訳ではあるまいが、タヌキはタヌキである。

 初期のTVの子供向けヒーロー物番組で、「人間モドキ」という存在があった。悪の組織が大量に放つ、ヒーロー側には好都合な切られ役で、以後もそれに類似した存在は必然的に継承されている。ただ、この一見身の蓋もないネーミングの持つ悲哀は格別のものだ。やられると地面に溶けてしまうような人間のまがいものだった。フィリップ・K・ディックに言わせれば「まだ人間じゃない」 アスナロの語源も博く知られているように翌檜(明日は檜になろう)である。決してそうなる日は来ないことがわかっている人間がそう付けたことを思うと、悪意さえ感じられるネーミングだ。

 実際にこういう接尾語を名に持つ昆虫は、接尾語を除いた名の昆虫と近似種であることが多い。カミキリモドキはカミキリムシよりホタルに近いジョウカイボンに似ている。ただ、ジョウカイボンモドキでは余計混乱を招くだけだろう。ゴムムシダマシ、テントウムシダマシ(実はニジュウヤホシテントウ)皆甲虫であるし、ダマシなどを取ってもその類に分類できるものばかりだ。

 でもモドキといいつつも似ても似つかぬものもいる。オーストラリアの哺乳類の殆どは有袋類で、不思議なことにユーラシア、アフリカ、北南米大陸の哺乳類分布を擬すように各々の類が適応放散している。フクロ×××といったふうに、有袋類でありながらネズミ、キツネ、モグラ等々に極めて似た種が対応している。これを収斂とも呼ぶらしい。モドキもここまでくるとまがいものとは言えない。

 昆虫の場合、武器となる器官を持っていて他の生物(天敵)から襲われにくいとか、毒を持っており誤って食すと酷い目に遭うとかの危険性を孕む種に似た形状、生態を持つ種が生き延びる可能性が高い。一般的なハチの持つ紋様である黒と黄色の縞模様は、他の類の昆虫にも多く見らる。そういうハチに見間違えられる種が結果として現代にまで生き残ったことを示している。
 獰猛な食肉性の昆虫が他の昆虫から恐れられる可能性もあるだろう。カマキリはその部類に属するだろう。何しろ気が強く、自分の身の回りの動くものに対しては必ず攻撃的な反応を見せる。鎌に似た前足で掴まれたり、発達した大顎で噛まれると確かに人間でも痛く感じる。でも蟷螂の斧という言葉は、弱い者が強い者に臆せずに向かっていっても容易に倒されるのがオチだということを意味している。カマキリはハチのような機動的な飛翔力を持たない。ハチが他の動物を針で刺せば、それだけで戦闘を終結させるに足る痛みをもたらし、相手は退散せざるを得ない。カマキリの武器はそれほどのダメージを敵に与えるには至らない。つまりカマキリに似ていることはサバイバルにさほどの影響を及ぼすとも思えない。
 ミズカマキリという水生昆虫がいる。確かに前脚が鎌状に発達し、水棲動物を捉えるのに適しており、その点はカマキリと類似している。だが、分類学上はセミ、カメムシの属する目であり、何に一番似ているかと言えば、同じような生活を水中でしているタガメに近い。モドキというよりもオーストラリアの適応放散に近い例かもしれない。
 一方でカマキリモドキも存在する。漢字で書くと黄擬蟷螂。レ点や返り点が複雑に絡むような漢文調の標記だ。灌木の木の葉にちょこんと乗る程度の2cm大の昆虫である。カマキリに確かに似ている。とても小さいが「鎌」は持っている。ミズカマキリは頭の形がセミ、カメムシの類を思わせるが、カマキリモドキはカマキリの獲物を捉えるために大きく回転し目玉の飛び出たような独特な首の造りも似ている。ただ、それは外見上似ているに過ぎず、実際にはそう機能するものとも思えない。カマキリモドキはツノトンボなどのカゲロウ類に属し、幼虫期はいざ知らず、成虫期にはカマキリのごとき獰猛なハンターではない。
 漫画の「ドクター・スランプ」(アラレちゃんが主人公の)に、セミのように木に留まるウルトラマンのミニチュア版が登場したが、カマキリが円谷プロ所属のウルトラマンだとすれば、カマキリモドキは怪獣と戦うことなど叶わない鳥山明のウルトラマンだ。
 何かの必然があってあのような姿になったに違いないが、その理由は杜氏にはわからない。微少な昆虫を補食しているのかもしれない。身体のサイズもあるが、カマキリの猛々しさはなく、葉から葉へとクサカゲロウのように結構達者に飛翔する姿は可憐でもあった。カマキリを不気味を感じる人でも、カマキリモドキなら心理的に受け容れ可能な人も多いのではないかと思われる。杜氏が少年時代を送った追浜・鷹取山の麓は、木々の緑が濃い山と清流に近い川に恵まれていたせいか、カマキリモドキは目を光らせていると比較的容易に見つけることが出来た。発見頻度で言えばシリアゲムシとツノトンボの中間程度だったろうか。決して珍しい虫とはいえなかった。
 ところが最近、種類によってはカマキリモドキが、あの悪名高いレッドブックに載っているという。カマキリモドキと言ってもそれは科の名称。種類としてはツシマカマキリモドキとかヒメカマキリモドキなどに別れている。レッドブックと言っても、国のレベル、地域のレベルなどと種別は別れているのだが、あの首都圏の子供でも容易に見つけられ、捕らえることができたカマキリモドキが、絶滅危惧種となっていたとはにわかに信じがたい。やはりカマキリに似ていることなど、外敵ならの防衛に役立たなかったのだろうか。いや多分、人間の土地開発などにとる棲息場所(ニッチ)の圧迫が、絶滅を危惧される支配的要因であろう。

 レッドブックなど所詮人間が編んだもの。そンなものができる前に、現存する生物の種類の何百倍もの種が途絶えてきたのだろう。化石で発見される有名なものだけでも、恐竜全般、アンモナイト、三葉虫、マンモス、ナウマンゾウなど枚挙に暇がない。レッドブックなどその生物の絶滅の速度を停めるのに何の力も持たない。事実、そこに載っているいくつかの種は、人間が文明により分類した生物学の発展の目の前で力尽きている。滅びるべきものは滅びるべくして滅びるのだ。それを押し留めようとすると、ジュラシック・パークはフィクションの世界ではなくなる。

 神話に出てくるノアという親爺は神のお告げを聞いて、巨大な舟にありとあらゆる生物の種を一つがいずつ載せたそうだが、その選考に漏れた生物もあるという設定で「フローベールの鸚鵡」なる小説が描かれていた。人間の偏見で生き残るものと滅びるものを選択することなど不遜。ノアの箱船は人間の傲岸さを示しているに過ぎない。事実、旧約聖書の中で船上のノア一家は結構あざとい私利私欲で争っていたりもする。

 ライオンは百獣の王などと呼ばれ、空腹になれば草食獣を自由に狩って貪り食っている印象がある。ところが草食獣の多くは生き延びるために大変な俊足と鋭敏な危機感知をする感覚を備えており、ライオン程度の脚力では容易に捕捉出来ないらしい。寧ろライオンの獲物を漁る卑しい動物とされるハイエナ、ジャッカルの方が集団で群を追い込む頭脳的な狩猟能力に優れているという。狩りを成功させたハイエナを追い払い、卑しい行為をしているのはライオンの方らしい。獲物を貪るライオンをハイエナ達が取り囲んでいるのも、腐肉を漁る為ではなく、自分の獲物を奪還する機会を狙ってのことのようだ。
 ライオンごときに狩られる餌食となる草食獣の個体は、殆どが怪我をして充分に動けなかったり、年老いたり、病気に罹ったりしたものであるという。つまり、そのままでは群の足手まといになり、ゆくゆくは群全体に害毒を及ぼす個体が狩られるらしい。例えば伝染病に罹った個体を無碍に群から疎外することは出来ないが、ライオンの襲来により草食獣は群全体が伝染病に見舞われることから救われる。残酷な喩えだが、ピラニアが無数に潜むアマゾン川を渡るガウチョが、生きた牛を犠牲にしてピラニアがそれにかかずり合っているいるうちに、優先的な家畜や人間達を無事に渡らせるのに似ているかもしれない。

 イリオモテヤマネコやヤンバルクイナが可愛くても、滅びるべきものは人間がレッドブックなどこしらえて保護しようと滅びてしまう。最早中国産しか残っていないトキの強引なペアリングやその無為な結果をTVで知らされる度に、杜氏は人間がノアの域から一歩も出ていないことを感じて暗澹たる気持ちになる。特に自然保護団体と称する人達の身勝手は、先般の「タマちゃん捕獲作戦」で証明されたにせよ、一向に改心の兆しなど見られない。

 カマキリモドキを普通にちょっと出掛けた野山で目にすることができた杜氏達は幸運だったのかもしれない。ただ、マンモスや三葉虫のように、カマキリモドキなど存在しないことが前提の時代を生きるに違いない、数十年後の子供達にとってそのような幸運などに意味はないのかもしれない。



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