モンシロチョウ

最も普通の昆虫?


 杜氏がモンシロチョウなどを採り上げたら、皆さん二重三重に驚くかもしれない。
 第一にとても普通の昆虫である。次に杜氏は鱗翅目昆虫を好まない。遂にネタ切れかと思われるかもしれない。そのきらいは大いにあるのだが、だったら杜氏の性格からしてラクダムシとかガロアムシとかハリガネムシ(線虫であって昆虫ではない!)とかの思いっ切りマイナーな存在を出してくるのではないかとか・・・。
 子供が、特に男の子が昆虫を好むのはなぜだろうか? 常ならざるものだからである。だから常なる昆虫にはあまり人気がない。昼にも樹液スポットにほぼ常駐しており、形態も生態も平凡なカナブンよりも異形の角や大顎を持ち、身体も大きいカブトムシやクワガタムシに人気が集まるのも道理だ。女性達から見て異様で不気味な点を、男の子は普通ではない魅力に感じる。だからヘビトンボやムラサキトビケラ、タガメ、センチコガネのような異常な昆虫にほど興味をそそられる。怪獣や恐竜、ポケモンが好きなのと同じ理由なのだ。もしかしたら、自動車やメカ、鉄道が好きなのとも共通する要素があるかもしれない。
 杜氏が鱗翅目が嫌いな理由は今までも何回か触れてきた。まず簡単に剥げ落ちてしまう鱗粉が嫌だ。特にチョウは鱗粉が彩なす色や模様に特徴があるのではあるまいか。いくら成虫の期間が短いとは言え、簡単に剥がれてしまう普遍性のなさは、その美が偽物でしかないことを物語っているようにしか思えない。美のはかなさとも違う。言い換えれば整形や化粧の技術のみで繕われた美。本来整形や化粧は、その人の美点をよりヴィヴィッドに引き出す性格のものだろうが、鱗翅目のそれは剥げ落ちるもので出来ている。だから頑丈で成虫で長生きし、鱗粉を元から持たないアサギマダラや、越冬するだけの頑健さを備えたタテハチョウなら好きである。加えて鱗粉に彩られた翅のあでやかさと顔つきの異常さが不釣合いである。異形の身体に異相がついているのならばそれは調和と言える。だが鱗翅目のそれは、例えばパンダ、コアラといった可愛いとされている動物の目が、よく見ると鋭く怖いものであることを想起させる。または可憐な容姿の楚々とした美少女が、想像を絶するようなアバズレさんであったことが判明した衝撃のようなものを。
 鞘翅目が好きである理由は、殆どその裏返しであると言ってもいい。タマムシのような一目瞭然とした美麗昆虫でなくとも、甲虫類の殆どはよく見ると美しかったり造形的に魅力的だったりする。

 モンシロチョウは日本で一番目に着く昆虫かもしれない。ありふれた在り方もあそこまで来れば徹底している。集落に近い地域を好むのも食草の関係だろうか。キャベツ、アブラナ、ダイコン、ナズナ・・・。つまりはアブラナ科の植物、ペンペン草である。また別段外敵から隠れようともしないし、ゆっくりとふわふわ飛ぶから、嫌でも目に着く。幼虫もアオムシといったらこれといったような色と形をしている。オオムラサキを国蝶に定めたときに、日本全国どこにでも見られる蝶といった条件があったが、オオムラサキがさほど普通に見られなくなった今、モンシロチョウを国蝶にすればいいのではないかとすら思える。モンシロチョウはシロチョウの類で、紋のあるシロチョウの意味だ、キチョウ、モンキチョウ、スジグロチョウ、ツマキチョウなどと同じ類だ。モンキチョウも紋のあるキチョウということを意味する。
 卵も幼虫も簡単に見つけることが出来るし、食草も明白なので飼育し易いから、家で飼って観察する子供も多い。春型と夏型があるが、観察の対象となるのは大概夏型である。六月頃、キャベツ畑で幼虫が大量に発生する。これが人に捕らえられるケースが多いからだ。夏型のモンシロチョウは産卵からわずか三週間で羽化するので、あまり辛抱強いとは思えない子供達にも育て易い。だが、せっかく終令幼虫まで育てても、サナギになれないものがどうしても出てくる。飼育開始以前にアオムシコマユバチに刺された、つまりは産卵されたアオムシは、一旦動きを鈍らせ蛹化すると思わせるが、やがてその体内から多数の(20匹前後か?)コマユバチの幼虫が皮を突き破って出てくる。そして動かなくなって息絶えたアオムシの周囲に繭を作って自分たちが蛹化してしまう。幼虫を可愛がっていた子供達には無残な結果であるが、これも自然の摂理。自然観察の一部である。コマユバチを観察していたのだと思えばいい。コマユバチを悪者にしてはいけない。アゲハの類もよく膜翅目昆虫に寄生される。アゲハヒメバチである。このハチの場合、宿主を蛹化させてから、蛹の殻に穴を開けて出てくる。なまじ蛹にさせて期待させる分、ヒメバチの方が性質が悪いかもしれない。
 こうして、春ののどかな陽光を受けて菜の花畑などに飛んでいる春型、梅雨明け頃から夏にかけて強い日差しを受けて陽盛りを飛ぶ夏型と、どちらにも季節感が感じられるが、大概の人は蝶のライフサイクルになど無関心で、モンシロチョウのことを春夏いつでも飛んでいる蝶と認識しているだろう。別段、モンシロチョウが年に何化しようが、知らずとも人間の生活に支障はない。キャベツ農家を除いての話であるが。

 杜氏が幼い頃住んでいた電器メーカの社員寮に、夏休み前頃になると必ず小さな異変が起きたのを記憶している。寮の端には火災避難用の滑り台があって、それは無論本来の用途には使われず、杜氏達子供の遊び道具としてしか機能しなかった。何しろ、普通の滑り台よりも高く長い。危険なことが大好きな子供には楽しい遊具だった。その滑り台に接した西向きの壁に動かない3cm弱ほどの奇妙な虫が毎年決まって多数へばりつくのだ。寮の西側は裏山の陰になっており、直射日光が一日中当たらなかった。ちょうど滑り台を滑り終えたところで、その壁が目に付くように出来ていた。その虫を、死んでいるのかと思って軽くつついたりすると、面倒くさそうに身体を揺すったりする。生きてはいるらしい。幼稚園児だった杜氏が初めて見る昆虫の蛹だった。その蛹はいつまでもぐずぐずしているワケではなく、一週間ほどで抜け殻だけを壁に残して羽化してしまった。大人と違い、子供にとって一週間は長い。馴染みになった蛹が死ぬのではなく抜け殻となって飛び立つことが不思議だった。
 それがモンシロチョウだった。羽化するところを見る幸運にはありつけなかったが、年長の子供があれはモンシロチョウなのだと教えてくれた。こうして、子供達は幼稚園や学校以外でも驚きと興味を以て知識を身に着けてゆく。
 ただ、年長の友人はそれが何であるかを知ってはいたが、なぜわざわざ食草から寮の壁などに移動して蛹化するのかを教えてはくれなかった。単に知らなかったに過ぎない。それは杜氏にとっても未だ謎として残っている。食草に無防備な蛹の姿で残るのが危険だったのだろうか? 乾燥して雨露が当たらない、日陰という条件がモンシロチョウの蛹には適していたのだろうか? 折しも梅雨の末期。自ずと雨は多くなるし、晴れれば日差しは厳しくもなる。だがそれも憶測に過ぎない。食草から決して短くはない距離を、アオムシ達は何の本能に衝き動かされて移動したのだろうか。情報インフラが発達・整備された時代、調べればその理由を解明できるに違いない。だが敢えて謎のまま残しておきたい気がする。それは初めて蛹というものを知った杜氏の原風景のひとつでもあるのだから。

 ということで、杜氏をありふれたモンシロチョウについて書く気にさせたのは、寮の滑り台下の蛹の群の謎なのであった。



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