オオアオイトトンボ

細く、長く?


 大相撲協会理事長の北の湖親方は、現役時代「憎まれるほど強かった」と言われるが、実際には無敵を誇った期間はさほど長くはなかった。また全盛期でも圧倒的に強かったと言うよりも、強かった割に不人気の方が目立っていた。取り口にも表情にも、愛嬌がなかった。その代り、理解されない者の哀愁が漂っていた。杜氏の祖母などは北の湖が勝つと、「憎ッたらしい顔してるね」などと嫌悪感を顕わにしていた。大方の見方もそうだったのだろう。だが、ヘソマガリの杜氏は、北の湖が不等に憎まれれば憎まれるほど、漂う哀愁が色濃くなってゆく気がして、いとおしかった。
 全盛期は二歳年下の千代の富士の台頭によって終焉した。アンコ型の北の湖とソップ型の千代の富士では、北の湖の方が遥かに巨大に見えたが、実際のところ身長では千代の富士の方がかなり上回っていた。北の湖を追い落とした千代の富士の時代は、予想外に長く続いたが、それを支えるものに杜氏などは政治力(師匠の親方も含めた)と権力の臭気を嗅いでいた。事実、大相撲の八百長へのマスコミからの追求が最も激しかったのがこの時代である。杜氏はこの時期から全く相撲を見なくなっている。
 この二人、出身地が案外近い。北の湖が有珠山の噴火で名高い有珠で、千代の富士が松前藩(または松前漬)で知られる松前だ。北海道は寒さや交通機関の便で、地域が閉鎖傾向にあるので、道産子から言わせればトンでもない話だろう。文化的にも有珠と松前では全く違う。松前は函館を中心とする道南に属するが、室蘭辺りの札幌よりの内陸の有珠は道南ではあるまい。だが、本州からすれば、北海道の南西部と見える。杜氏が申し上げたいのは、この北海道の南西部から出てきた対照的な二人が、全く逆の性質を分け与えられて産まれてきた兄弟のように見えたりすることだ。
 栄華を極めた千代の富士ではなく、全く勉強が出来なかったと言われた北の湖が今、角界のリーダーシップを取っているということは、人徳というものが結局モノを言うことを示しているのだろうか?

 イトトンボというと、取るに足らない微小な昆虫という印象が強い。名前の通り、糸のような細い身体で、草むらなどで見つけても、うっかりするとすぐ見失ってしまうほど影が薄い。だが実際のところはどうだろう。トンボの大きさは腹長、つまり頭部、胸部を除いた長さで示すが、イトトンボはしっかりした腹部を持っているアカネ、つまりアカトンボの類よりは明らかに大きく、ショウジョウトンボシオヤトンボなどの普通種と同等である。イトトンボの中でも大型のオオアオイトトンボともなると、シオカラトンボと変わらない。最近では腹長で大きさを表現するのは流行らないらしく、体長で示す場合もあり、オオアオイトトンボは50mmもある。北の湖よりも千代の富士の方が小さく見えたのと同じ理屈である。
 オオアオイトトンボはアオイトトンボの近似種であるが、文字通り体長がより長く、アオイトトンボの身体を被っている鱗粉のようなものを持たない。その代りに細い身体や小さな頭部、胸部をよくよく見ると、メタリックな青緑の彩りが鮮やかである。センチコガネで述べたオオセンチコガネの青緑型の持つ光沢に近いかもしれない。何しろ細くて目につきにくいが、「空飛ぶ宝石」のひとつに準えられても不思議はない。隠れた美麗昆虫だ。
 モノサシトンボでも触れたが、イトトンボは杜氏にとって夏休みのラジオ体操と共に記憶が鮮明な夏の昆虫という印象である。ところが、オオアオイトトンボの羽化は四月頃であり、十一月まで成虫として生き続ける。成虫としての短命で有名なセミが一週間、タテハやアサギマダラなどを除くチョウが十数日しか成虫として生き長らえることが出来ず、カゲロウなどのように成虫に摂食する器官を持たない種まであるのに、半年以上の長きに渉る成虫期間は特異だ。多くの昆虫にとって、成虫とは生殖を行うための死装束のようなものである。羽化してしまったら、何とか伴侶を見つけて交尾するのが生きる目的の全てであり、鳴く虫の音も、チョウの華麗な翅も、カやアブも吸血も、カブトムシの頑健さも、昆虫の特徴的な性質は全て生殖に根差していると言っても過言ではない。ところが、オオアオイトトンボは四月に羽化してから、春、初夏、梅雨、盛夏を生殖とは無関係に一見無為に過ごす。明らかに、成虫としての姿に生殖以外の何かの意味があることが窺われる。だが、それが何なのかはわからない。
 九月になり、ある条件が整うと、号令でもかかったかのようにどこからともなくオオアオイトトンボが川沿いの林に寄ってくる。そして、各々が容易にペアを作る。トンボの類は概して雄同士が雌をめぐっていがみ合うことが多い。同種同士の空中戦がそこかしこで展開することになる。時には既に交尾した非処女雌の腹部に収まった他の雄の精子嚢を掻き出して、自分のそれを挿入したりするのも当たり前のことだ。それだけ遺伝子継承競争は苛烈だ。ところが、オオアオイトトンボは臨時に構成された大群の中で、最も近いプラス・イオンとマイナス・イオンが結合するかのようにペアリングが完了し、争いなど一切生じない。そして一旦ペアが決まったら、人間よりも着実な一夫一婦制が遵守される。あぶれるものなども出ない。トンボの類に象徴的な人間から見てロマンティックなハート型の交尾形が次々と形成され、水際の低木の枝は、数センチ間隔でハート型のままぶら下がるイトトンボのカップルで鈴なり状態となる。言わばセックスの集団儀式なのだが、そこには淫らがましいところは微塵もなく、乱交パーティというより貞淑な祭礼の様相である。やがて、交尾が為された低木に引き続いて産卵が行われ、やはり号令がかかったように交尾が解除される。すべてが終わってからも、なぜか群は解散とはならず、大群のまま枝に掴まってトンボ達は静止する。そのまま眠ってしまうらしい。そして目醒めてからおもむろに、思い思いの方向へと散ってゆく。杜氏は残念ながら、その儀式を目にしたことがないが、小さなイトトンボ達が為す儀式はさぞ壮観であろうと想像する。
 腹部のがっしりした他のトンボと違い、イトトンボの腹部は針金のようでもあり、形成するハート型も写真で見る限り、繊細で素朴な針金細工のクリスマス飾りのような趣きがあり、美しい。
 川を上り切って湖沼などの静水に達し、交尾・産卵を終えた後のサケが、ボロボロになった身体のまま死を迎えるように、大概の昆虫にとって、生殖行為の完結はこの世に享けた生を全うしたことを意味する。ところが、オオアオイトトンボは「巌流島対決後の宮本武蔵」のように依然生き続ける。その間、二ヶ月。無論、生殖の儀式が再び営まれるワケではない。コオイムシハサミムシのように、用心深く次世代の種を守るために生きているのでもない。とすると、オオアオイトトンボは、個々の生を生きるためだけに生きているのだ。言わば、オオアオイトトンボには老後の生活があるのだ。そしてそこには福祉問題も、介護も、年金問題も存在しない。老人のそれまでに残した財産を掠め取ろうとする悪徳業者もいない。羨ましい限りである。

 植物の茎に産卵するトンボは珍しくないが、木の枝や幹に卵を産むものはさほど多くはない。オオアオイトトンボ以外にはムカシトンボもそういった性質を持つらしい。アオイトトンボ類の卵は大型で、成虫としての身体が倍もあるヤンマに匹敵するらしい。こういったことも産卵場所に影響しているのだろうか。大きいだけに目に付くのか、寄生バチの犠牲になるケースも多い。寄生バチはひとつの卵に複数の卵を産みつける。それが活発に活動することでトンボの胚の成長を阻害し、やがては同じ卵に産みつけられた兄弟姉妹同士での争いを経て、最終的に卵を破って羽化する個体はひとつに限られるのだという。
 トンボの類の多くは幼虫、つまりヤゴになる前に前幼虫という形態を採る。これはトンボに限ったことではなく、カマキリや、天蚕、つまりヤママユガのような鱗翅目にも時に見られるようだ。紡錘形で、肢が縮こまって身体に密着して露出していないので、動物性プランクトン、あえて言えばエビの幼生のように見える。カマキリやヤママユガの前幼虫は孵化して、卵から地上や木の葉に、自ら紡ぎ出した糸を伝って降りる間に普通の幼虫へと変化するらしい。トンボも水中で孵化したり、孵化直後に水に落ちたものは即座にヤゴに変化する。最短のものは数十秒、普通でも数分しか前幼虫の姿ではいないらしい。前幼虫とは、つまり卵の厚い(幼虫にとって)壁を破るのに好都合か、本来のニッチに辿り着くまでに好都合な仮の姿なのであろう。
 さて、オオアオイトトンボの孵化は樹上で行われる。前幼虫の生れ落ちるのは水中ではない。マユミなどの水辺によくある低木が産卵場所に選ばれるらしい。とにかく、前幼虫は土の上に落ちる。で、ジャンプして移動するらしい。ムカシトンボやオオアオイトトンボの場合、一回のジャンプでの水平移動距離が身体の二五〇倍という。驚異的な数値だ。ノミでもこれほど跳ばないのではあるまいか。スーパーマンもスパイダーマンも、8マンも仮面ライダーも、口裂け女も真っ青な能力である。一説には、これらのトンボの卵は水に極近い木に産みつけられるので、前幼虫は特に水辺を目指さずとも、闇雲に跳んでいるだけで無事着水出来る寸法に出来ているらしい。オオアオイトトンボの前幼虫も、着水に成功したら、即座にヤゴの姿になるという。オオアオイトトンボのヤゴは成虫に似てスリムで、腹部端からの三本の尾状突起が目立つ。ヤゴといわれればヤゴなのであるが、カワゲラの幼虫に似ていなくもない。
 欧米では前幼虫を第一齢としてカウントするらしいが、日本ではあくまで前幼虫で最初のヤゴの姿から第一齢と数える。ほんの束の間の仮の姿なのだから、前幼虫は前幼虫に過ぎないように感じる。合理性を重視する欧米と、モノの本質を重んじる東洋哲学との違いを感じる。最近では学術上の整合性からか、日本でも欧米方式に合わせる傾向があるらしい。その必要など感じない。

 オオアオイトトンボは、このように多彩な特徴を持つ興味深い昆虫であるが、やはり最も顕著なのは、生殖を生きる最終目的としないような成虫の長寿だと感じる。「細く長く」などと言って、日本人は大晦日に蕎麦を食べたりする。子供心に「太く長く」の方がいいに決まっているなどと思いながら、食べたくもない蕎麦を啜ったものだった。だが、なかなか太いと長くは続けないものだ。北の湖が容易に千代の富士に王座を明け渡し、千代の富士の君臨期間が長かったように。オオアオイトトンボの成虫としての長寿も、その形態に負うところが大であるように思える。殆どが大きな複眼で占められる小さな頭、申し訳程度の胸部、細長い腹部。生きるのに最低限の器官しか持ち合わせていないように思える。超軽量な木材で精巧に組み立てられた、一旦飛び立ったらいつまでも落ちてこない模型飛行機の趣きがある。そして、生殖のためにテリトリを持ち、そのテリトリへの侵入者と激しく戦ったり、異性を巡ってあざといまでの競争などすることなく、集団見合いであっさりと結婚し、すぐに離れ離れになるライフ・スタイルは、エネルギー効率上はベストな選択なのかもしれない。
 イトトンボの一種にオツネントンボというのがいる。エツネンと言い換えてもいいかもしれない。越年である。効率の良さが高じて翌年の春まで生きられるようになり、生殖はその越年後に営まれるようだ。イトトンボの本質を物語るような種ではなかろうか。

 だが、人間は効率のみで生きているワケではない。確率として細い方が長続きするのは理屈であるが、そうとも限らない。北の湖は理事長という激務がひょっとして負担なのであり、より軽輩の千代の富士の方が要領よく立ち回っているのかもしれない。だが、千代の富士が現役時代掌握していたように見られた政治力、権力はどこかほかに移り、利害とは少し離れた場所にいる北の湖が誠実さを買われてトップに推挙されているように見えるのは杜氏だけだろうか。
 杜氏は投てき競技出身である。投てき出身者の例に倣って太い。太いと何かと社会的な風当たりも強い。だが、筋肉を非常識に鍛えたから太くなったに過ぎない。非効率なのかもしれないが、太くたっていいじゃンと、声を大にして言いたい。オオアオイトトンボの生態は好ましいが、人間はトンボではない。



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