

人はなぜキノコ類が好きなのだろう。多様な用途があり、干して尚栄養価が増すシイタケ、さしたる栄養価もないが芳香が万人を魅了し高い付加価値を産み続けるマツタケ、マツタケに味は上回っていると諺にもなっているシメジ、味噌汁の実の定番ナメコ、鍋の名脇役エノキダケ、抗癌制癌効果が注目されるマイタケ、料理に入れるとそれだけで何となく洋食の雰囲気を醸すマッシュルーム、世界三大珍味に数えられるショウロ(トリュフ)、イタリア料理では特に珍重されるボルチニ茸、中華料理の高級食材アミガサタケ、キヌガサタケ、etc. 歯が立たないような硬く味気ないサルノコシカケすら薬にすれば霊芝などという霊験あらたかな語感のものと化す。ヴェテランのキノコ採りが信州の山などで採ったキノコの毒で被害を受けたなどという報道が毎年繰り返されるが、それほどのリスクを冒しても人はキノコを採集して食す。
秋の豊かな実りの象徴でもあるキノコ類には、人間を惑わせる不思議な魅力を醸してでもいるようだ。それは同時に人間以外の昆虫にとっても同じことなのかもしれない。顕花植物が花粉を雌蕊に媒介してもらうのに昆虫の助けを借りる。植物は花の色の艶やかさ、蜜の甘さで昆虫を歓待する。キノコにとっても、自在な移動能力を持った昆虫類の機動性は魅力だ。胞子を遠くへ運んでもらうために、キノコは昆虫を初めとする動物に目に見えないような秋波を送っているのかもしれない。
キノコムシはキノコを食糧にする代表的な昆虫であろう。成虫はサルノコシカケ類を食べる。だが、キノコに魅せられるのはキノコムシには留まらない。ゴミムシダマシ、ナガクチキムシ、ケシキスイ、ハナノミ、カミキリムシ、ヒゲナガソウムシなどの類にも食菌性を持つ種が多い。これらを狙って食肉性のハネカクシやオサムシ類も暗躍する。花の周囲の生態系に似たものがキノコ周辺でも展開しているのだ。
普段これらの営みが人間の目に着きにくいのは、多くが夜行性昆虫であり、花のように昼間に展開されることが少ないからであろう。花はヴィジュアルを以て虫を惹きつけるが、キノコは視覚的な魅力には乏しい。その代わり、これらの昆虫の多くが宝石のような輝きを持っており、夜の森を妖しく彩っている。特にオオキノコムシは個体差が大きいものの、最大36mmにもなる大型種で、漆黒の艶を帯びた身体に、肩章のような鮮やかな赤い斑点が一対、同色の斑点が翅の終端にも施されており、知る人ぞ知る美麗昆虫と言えるかもしれない。とにかく、36mmというのはキノコに集まる昆虫ではとても大きく、ちょっとしたタマムシぐらいの大きさである。
ブナ、ナラなどの広葉樹林の朽ち木を幼虫時代には食糧とする。そして成虫となってからはサルノコシカケ類のキノコを食べる。実は抗癌制癌効果を謳われるマイタケはサルノコシカケ科で唯一市場に食材として出回る種で、その薬効は霊芝譲りなのかもしれない。オオキノコムシにもご利益があるのだろうか。
キノコムシ類が害虫と見なされるのはシイタケにつく場合のみである。オオキノコムシはその点、指弾される謂われはない。それも大概は人間が近づいた時点でキノコを去るケースが多く。収穫でもしようものなら、じきにキノコの中から姿を見せるのが普通である。よしんばキノコと一緒にこれらの昆虫を誤食したとしても実害などない。ハネカクシの中には有名な毒虫もいるが、そもそもキノコ目的ではないのだから、キノコが収穫された後に居残っている必然などない。
余談だが、杜氏は友人に大分産のどんこを纏まって中元に遣ったことがある。友人の家庭の子供達はディズニー・アニメの「白雪姫」でしかキノコをじっくり見たことがなかったらしく、「おいしそうだね、その毒キノコ」「早く食べたいな、毒キノコ」と、毒キノコを連発していたという。オオキノコムシは毒のないサルノコシカケ類しか食べないが、他のキノコに魅せられた昆虫は人間にとって毒キノコであろうがお構いなしに貪るらしい。ベニテングタケ、タマゴダケのような典型的毒キノコの多くがマツタケ科である。毒とそうではないものを分かつのは紙一重であり、昆虫にとってそれは毒として機能しないことを示す。化学的な考察は避けるが、毒キノコとは食べられてメリットのない、いやそれどころかデメリットにしかならない動物に食われることを、毒によって回避し、キノコにとって有益な昆虫だけを歓迎する、進歩したキノコなのではないかと思えてくる。
東宝映画「マタンゴ」(1963)は、無人島に流れ着いた若者七人が生き残るために、食べた人間を同化させてしまうマタンゴというキノコを巡るエゴ丸出しの争いを描いた名作だ。マタンゴの造形や特殊メイクが怖いのは無論だが、最も怖かったのは人のエゴだった気がする。SF作家の巨匠・星新一が原案に参加している。マタンゴには飢餓から逃れる誘惑のほかに苦痛を除く幻覚効果のようなものも暗示されていたと思う。人間にとってキノコの毒というイメージは、笑いが止まらなくなったり、舞踏病のように死に至るまで踊り続けたりといった脳神経を損なうようなところがある。ディズニーの「白雪姫」で林立する毒キノコの間を踊る七人の小人にしたところで、白雪姫のお話の中では善良な存在だが、モデルは北欧神話のエルフであり、善良とも邪悪とも判断できない妖怪性を帯びた存在である。
キノコに魅せられる昆虫の殆どが夜行性である。蒼白い月光に照らされ、元より宝玉のような色彩と光沢を持つこれらの昆虫はキノコの傘の下で幻想的に蠢いている。その光景は美しくはあるが、どこか背筋に寒気が走るような妖しさを醸しているように感じる。エルフは妖精にカテゴライズされる存在であるが、これらの昆虫のデフォルメされたものであるようにも感じる。作品としての「マタンゴ」は、キノコの持つそういった性格をうまく活用している。
植物は能動的に動くことなど出来ない。だから人間を含む動物は比較的自由に植物から栄養を摂取することが出来る。無機質から有機物質を生産する同化作用は動物にはなく、植物の働きに頼らざるを得ない。だが、植物にしても無条件でそれらを気前よく動物に饗するワケではない。ヘンゼルとグレーテルの童話の中に、深い森のお菓子の家が出てきて、思わずその誘惑に乗ってしまったヘンゼルとグレーテルは魔女の手に落ちる。自然の恵みとはそういったものなのかもしれない。無条件で得られる快楽には、目に見えない代償が伴う。
オオキノコムシなどのキノコを好む昆虫はグレーテルがヘンゼルに掛けられた魔女の呪縛を解いたように、キノコから害を受けない免許証を与えられた存在なのだろう。その代償として昆虫もキノコの繁殖に重要な役割を果たす。植物から一方的にメリットを受け続け、それが当然だと認識している人間には、いつか自然の鉄槌が思わぬ方向から下されるのではないかと懸念してしまう。まさか、すべてのキノコがマタンゴ化してしまうとも思えないが・・・。
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