オオミズアオ


夜陰の誘惑、磔刑の魔女


 日本では蝶と蛾を概念として明瞭に区別している。ただ分類学上、決め手となる差別化は出来ていない気がする。科単位で蝶と蛾は区別されるが、一般的に蝶はキレイで蛾は地味とか、止まったとき羽を閉じるか広げるかとか、触覚の形状とかは決定的な要因とはなり得ない。蝶は昼活動し、蛾は夜? 夜の蝶という「種類」もある。
 英語では一様にButterflyだろう。バターを塗りこめた羽を持つ蝿(飛ぶ昆虫)。これも身も蓋もない印象だが、過剰な情緒を込めて昆虫を見る弊害からは逃れている。鱗翅目の昆虫があまり好きになれなかった。確かに羽は美しいものが多い。ただ、手に取れば剥げるし、女性の化粧を連想させた。妖艶かもしれないが、その下で表面とは違う正体が潜んでいるような・・・。無論それは子供時代のこと、今は化粧の上手な女性が嫌いではない。また、美しい羽に似ぬ顔つきも何か恐ろしかった。
 モスラは円谷プロがデザインした珍しい昆虫怪獣だが、鱗紛を撒き散らす武器といい、いかにも羽をもがれそうな儚さが痛々しく、見るに耐えないものだった。ゴジラの凶悪さに立ち向かう母性(モスラはマザーのアナグラム)というのもわかるが、強さとは無縁で怪獣の怪獣たるアイデンティティからして疑問だった。第一、モスラの雄というものも考えにくい。

 私の住んでいた横須賀市の北の外れ、殆ど横浜市に近い追浜は、海に近く、また太田道灌がここでの鷹狩を愛したという鷹取山に近かった。今は宅地造成で跡形もないが、鷹取山は草原と林と岩山、それに海へと注ぐ川を持つ多面的な山だった。それどころか中腹に得たいの知れない仏像を何体も抱えている宗教的な臭気も漂っていた。
 近くの海には東京湾で数少なかった島である野島もあった。最早埋め立てが進み、野島は狭い運河で仕切られた陸地の一部に過ぎなかった。でも、東京湾では三浦半島側唯一の干潟を持ち、豊かな動植物の営みに恵まれていた。
 鷹取山と野島の恩恵を受け、私の周囲は今思うと楽園と言えた。冷暖房など不備だった少年時代、夏の暑い夜に窓を開け放っていると、さまざまな昆虫の訪問を受けることが出来た。

 その異様に美しい蛾が舞い込んできたのも、夏だった。大型の蝶であるアゲハの類を遥かに凌駕する大きさ、蝶を凌ぐ幽玄な水色の鮮やかさ、鮮やかである反面、月の光を集めて夜の闇に浮き上がるようなおどろおどろしい暗さ。蛾の中でも最大級の身体の大きさを持つヤヤマユガやヨナクニサン(確か日本最大の鱗翅目?)と同類のオオミズアオだった。その印象は、闇からの不吉な使者といったものだった。
 父も同じようなことを感じたに違いない。すかさず掴まえると、何を思ったか、二〇センチ四方程度の厚い板に大きな釘でオオミズアオの胸の部分を打ちつけて私にくれた。多分、不吉な印象だったので成敗すべきだが、一方で幽玄なほどに美しい色彩に目を奪われ、昆虫が大好きな息子に贈ろうとしてくれたのだろう。それはそれでありがたかった記憶がある。

 無残に磔刑に遭ったオオミズアオは身体が大きかったせいもあり、釘を刺した程度では死ななかった。雄大な羽を力強く動かして磔を逃れようとしていた。しかも私が鱗翅目を嫌った要因でもある鱗紛の剥離は全くなかった。厚く白塗りを顔に施した能役者が夜の闇を舞っている風情だった。
 また釘を打ちつけられた姿は、罪科なくヒステリックなコジツケで捕らえられ、魔女の罵倒を浴びながら処刑されつつある中世の少女のようだった。オルレアンの少女、ジャンヌ・ダルク。
 十歳に満たなかった私は、密かにその姿に性的な意識を喚起されていた。それほどオオミズアオの姿は妖艶で、かつ何か邪悪な夜のエッセンスをその水色の羽に集約させたような刺激的なものだった。

 オオミズアオはその傷つけられた姿で、飲まず食わずの状態ながらも一週間ぐらい生き続けた。幽玄な印象からはかけ離れたとてつもない生命力だった。夜の誘惑は延々と私の意識を縛り付けた。ついに「彼女」が力尽きたとき、なぜかほっとしたことを覚えている。死骸は母が気味悪がって板ごと捨ててしまったのだろう。生命が奪われれば鱗紛も剥げ落ち、醜い骸に堕してしまう。私も母がそれを捨てたことを、とがめだてはしなかった。

 しかし、その姿の残像は未だ私の網膜に焼き付き、夜の誘惑に焦がれる意識を種子として残していったのかもしれない。


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