オオスカシバ

華麗なるホバリング


 七重八重花は咲けども山吹の 実の一つだになきぞ悲しき

 足利時代中期、戦国時代の風雲が急を告げ始める頃、文武に長けた名将、太田道灌が輩出した。道灌は優れた武人にして政治家であると同時に、数々の詩歌も残し鷹狩りなどの嗜みにも長けたスーパースターだった。関東の単なる辺境に過ぎなかった江戸を最初に開拓した都市計画家であることでも知られる。その道灌が鷹狩りの最中雨に降られ、山奥の民家に雨宿りをした際に雨具として蓑を求めたという。家人の若い娘がそれに応えたのが冒頭の歌だ。八重咲きの山吹は結果しない。実を着けるのは専ら一重の山吹である。人間の女性でも一重瞼の方が妊娠しやすい、などと言うことはない。娘が道灌に伝えたかったのは「家が貧しく、蓑一つも持っていない」ということだった。「だに」は「だに、すら、さえ」の「だに」である。マイクロソフトの辞書は「だになきぞ」にスペルチェックの波線を下に付す。風流を解さない人間の作るものはこれだから困る。
 風流人であった道灌は、雛には稀な機転と教養に感心したという。褒美を取らせたかどうかは不明である。

 山吹と同じくクチナシにも一重咲きと八重咲きがある。八重咲きの花はやはり山吹同様実を着けない。食料品の着色などに汎く用いられるクチナシエキスは八重咲きからは取ることができない。植物というのはそういう風に出来ているのだろうか。
 クチナシは蕾から緑と白のコントラストも鮮やかな葉巻型をしており、花は純白で清楚、薫りにも甘さに過ぎぬ清々しさを孕む。いいことずくめの花であるようだが、散り際が美しくない。開花したままの状態で黄ばみ、やがて褐色がかって枯れ、朽ち果てる。椿は咲いたままの状態で花ごと落ちるので、武士には首切りを連想させて忌み嫌われたらしいが、クチナシの枯れ方は清楚な乙女なり美少年が老いさらばえた姿を晒して枯死するまでを見せつけるような残酷さがある。

 クチナシはアジサイ同様、本州では梅雨の時期から咲き始める。その開花と時を同じうするように、寄ってくる昆虫がある。オオスカシバである。ガである。種類としては大型のガであるスズメガに属する。しかし、白昼堂々飛び回る習性、花の蜜を吸う食性、見た目の華やかさなどではチョウよりも陽性な印象がある。ハチドリはハミングバードと呼ばれる小型の鳥で、花の近くで羽を細かく震動させて宙に留まるホバリングを行い花蜜をじっくり吸うが、オオスカシバも同様の目的でホバリングをする能力がある。そして蚊取り線香状に折り畳まれた長い口吻を伸ばして食糧を得る。スカシバ=透かし羽の名の通り、鱗粉は皆無といっていい。だが、淡い黄緑色基調の姿は美しい。
 飛んでいる姿は特にホバリングで停止しているところが、大型のハチ、つまりスズメバチなどを思わせる。昆虫の知識に乏しい女性などはオオスカシバの飛行する姿をハチだと思って疑わないだろう。タケトラカミキリの項でも触れたが、数多く現存するハチに似た形状の昆虫である。
 同じく空中で静止する性質を持つ鱗翅目昆虫には、地味なチョウの一派であるセセリチョウがある。ベンケイソウを好んで寄ってくるイチモンジセセリがその代表である。でもオオスカシバと比較すると身体が小さく、ホバリングしていても華やかさや雰囲気がない。子供はイチモンジセセリを容易に捕らえ、羽をもいで地上を空しく振動で走る姿を見てバイクなどと呼ぶ。でも、なぜかオオスカシバに対してそういう狼藉を働こうとはしない。畏敬の念を子供にすら感じさせる風格が備わっているのかもしれない。
 最も小さなしかし彩り豊かな鳥、最も地味だが愛嬌のあるチョウ、最も陽性で華やかなガが、このような性格で結びついていることに、自然の摂理の不思議を感じる。

 なぜオオスカシバがクチナシに寄ってくるのかは明白で、オオスカシバの幼虫はクチナシを植樹としている。孵化した幼虫は数ミリの小さなイモムシだが、恐ろしいほどの食欲で葉を貪り始め、短期間でグングン大きくなってゆく。終令幼虫は6センチ以上にはなる。放っておくと木を枯らしかねない勢いで後先の見境なく葉を刈り取ってゆく。庭木としてクチナシを楽しもうと考えている人間には大敵であるかもしれない。
 終令に達した幼虫は頃合いを見て地上に降り、穴を掘って繭を作り蛹化する。この種のイモムシの常として寄生バチに狙われることも多く、羽化して地上に出てくるのがオオスカシバではなく寄生バチだったということもしばしばである。
 杜氏が鱗翅目の昆虫が嫌いなのは、本来身体の一部であるはずの鱗粉が簡単に剥がれてそれを撒き散らかすことに退廃的なものを感じるのと、華やかな羽に目を奪われがちであるが、顔つきは複眼で昆虫らしいものに過ぎないからである。本質をきらびやかな外見で隠しているような印象が拭えない。でも、このオオスカシバは鱗粉が殆どなく、顔つきにもスズメガ全般の特徴なのかも知れないが、スズメにも似た一種精悍なものを感じる。珍しく杜氏好みの鱗翅目である。

 クチナシは食料の着色剤以外にも漢方薬になる。薫りといい花の美しさといい、少なからぬエネルギーを秘めた植物であろう。奈良の耳成山山腹はかつて夥しいクチナシで被われていたという。そういうところに人は霊験のようなものを覚えるのかもしれない。だとしたらオオスカシバのような少し神秘性を帯びた昆虫を惹きつけても不思議はない。
 クチナシを植樹として愛する人は、ただ一種類クチナシを植樹として選んだオオスカシバを目の仇にする。でも、杜氏にはオオスカシバもクチナシに劣らぬほど美しく可憐に思える。オオスカシバを呼び寄せ、そのオマケとしてクチナシの花を楽しみたいというのは邪道だろうか。

 ちなみに、クチナシの花を題材にしている演歌については、歌自体も唄っているオヤジも感心しないと考えている。



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