オサムシモドキ

ミソッカスの水野十郎左衛門


 ミソッカスという言い方は身も蓋もないが、単に差別語というワケではない。年齢層に幅のある少年のグループ内で、その円滑な運営のための柔軟なルール補正でもある。少年達の世界は「遊び」によって進められる。だが、年齢層に幅があると、遊びをそのまま全員共通のルールで進めることが不可能となる。かといって、身長の低いものに竹馬や下駄を履かせるように、レヴェルを合わせるワケにもいかない。だから、ルールを捻じ曲げる。経験、体格、体力、知力などで必然的に劣る最下層の年齢の者達が、遊びの基本である信賞必罰の適用除外を受けるのだ。

 杜氏は幼年時代をある電気機器メーカの社員寮で過ごした。隣近所は全員、そのメーカの社員の家庭だ。父親達は会社の枠の中で、それぞれ異なった力関係の中に組み入れられていた。それは当然としても、母親達も年齢、亭主の会社での位置づけ、派閥といった力学に支配された独特の共同生活を余儀なくされていた。それが子供達にまでそれなりに及んでいたと言える。杜氏はその少年グループの最下層に位置していた。杜氏が六〜七歳程度の頃、グループで最も年かさの者は十五歳にまで及んでいた。これでは同じ水準で共同生活は出来ない。つまりは、杜氏ともう一人の同年齢の友達は、ミソッカスだったのだ。

 だが、もう一人の友達はミソッカスであるうちに社員寮を出てしまったし、杜氏もようやく年齢が下の者をグループに迎えて、ミソッカスの面倒を見始めた矢先に引っ越すことになった。生きた社会勉強は中途で頓挫してしまったのだ。本当はミソッカスから脱却して、下の面倒を見ながらリーダに従うことを通じて、信賞必罰の適用を通じてミソッカス時代の負債を支払うことで、この制度は完結するのだと思われる。

 韓国では未だ儒教思想の影響が色濃く、家の長男は嫡子として尊重されているのだろう。少し前の日本でも同じような傾向が罷り通っていた。江戸時代、旗本の次男坊以下は部屋住みなどと言われ、無聊を囲っていた。家を継ぐ確率も低く、嫡子のいない他家へ養子入りするのがせいぜいの閉塞状態脱却の手段だったのかもしれない。こうなると、嫁入りが唯一のアイデンティティ獲得の機会だった女性と変わりがない。播随院長兵衛の町奴と張り合った旗本奴の首領・水野十郎左衛門なども嫡男以外は疎まれてグレるしかなかった部屋住みの口である。こうした不良グループには白束組というものあったし、歌舞伎のヒーローで稲荷寿司にその名を残す花川戸助六なども似たような存在だったのだろう。

 ミソッカスはいつかミソッカスではなくなるが、旗本の次男坊以下は、いつまでも報われない。社会制度を維持するための摩擦とはいえ、理不尽であるし、もてあましたエネルギーをそういった反社会的な行動につなげるのも、一面頷けるところがある。なぜなら、反社会的行動は彼らを閉塞状態に追い込んだ社会への反逆なのであるから。

 モドキ、ダマシ、ニセという接頭語、接尾語が名前についた昆虫の多くは、その元になった昆虫とは別種であることが多い。ゴミムシダマシ、アゲハモドキ、カマキリモドキなどがそうだ。ショウリョウバッタモドキはショウリョウバッタと同じバッタではあるが、ショウリョウバッタではない。オサムシモドキという昆虫がいる。オサムシは極めて近い種であるゴミムシも大きく包括するから、随分大雑把な「モドキ」であるとも言える。だが、オサムシモドキが分類上何に位置づけられるかといえば、オサムシでしかない。オサムシでありながら、オサムシではないと宣言された名前を冠しているワケで、これはミソッカス、旗本の部屋住み以上の酷い仕打ちだとも思える。

 九州から本州、北海道ととても広範囲に棲息しているのだが、普通に見られる昆虫というワケでもない。寧ろ蒐集家には珍重される昆虫である。水辺、海岸の砂地に棲む。砂よりも礫岩に近い粒度の地面を好んで、土中にトンネルを掘って潜んでいる。夜行性なので、まず日中は目立たないし、掴まらない。何を食っているのかもよくわからないが、おそらく肉食性であろう。

 形状は、まるで代表的なオサムシと変わらない。全体的にスマートで、それ自体やや丸みを帯びた輪郭の腹部、胸部、硬く閉ざされて開くことも羽ばたくことも最早出来ない翅。他のオサムシが珍重される大きな要因である翅のメタリックな輝きこそ、光沢のない色調に変わっているが、それ以外にこの昆虫が、オサムシの紛い物呼ばわりされる理由は見当たらない。水辺の土中という普通のオサムシとは少し異なったニッチのせいなのだろうか。だが、小型のゴミムシで土中に住むものは数多いし、ヒョウタンゴミムシの棲息地に至ってはオサムシモドキとほぼ一致している。命名者の気まぐれを感じざるを得ない。

 土中生活を好む昆虫の常として、オサムシモドキも成虫越冬をするらしい。で、春先から出現を始めて、その頃生殖を行い、晩秋まで半年以上、活動を続けるらしいが、何分、姿を見せることが少ないので、馴染みが薄いのも無理はない。

 三対の肢のおのおの第二間接がほんの微かにアイヴォリーがかった白で、お洒落な印象が強い。なぜトンネルを掘って巣にしているのか、杜氏の調べた限り説明している文献はなかった。

 24mm程度とかなり大型でもある。中国ではゴミムシダマシを食糧または薬にしている地方もある。日本でも健康ブームの一環で流行りかけたことがあるようだが、薬効に根拠がないとされたことがあるらしい。だが、このオサムシモドキも同じような扱いをされ、露天で普通に売っていることが多いという。ゴミムシダマシよりは食べでがあるに違いない。よくある間違いが、ゴミムシダマシと同じような扱いを受けているオサムシモドキを「オサムシダマシ」として、ゴミムシダマシ科と誤解することだ。オサムシモドキはオサムシダマシでもゴミムシモドキ科でもない。だが、それほど大量に売られているということは、中国ではオサムシモドキが容易に数多く掴まえることが可能なのだろう。日本では地方によってはレッド・データ・ブックにリスト・アップされているというのに。

 杜氏も海岸地方に住んでおり、ヒョウタンゴミムシまでは見たことがある。だが、生きた状態でオサムシモドキに接したことはない。よほど隠遁が巧か、それとも本当にニッチを圧迫されて絶滅の危機に瀕しているかのいずれかであろう。だが、命名からしてもどこか人間に冷遇されており、インターネット検索してみても、他の昆虫とは桁違いに引っ掛かる掲載ページが少ない。水辺に棲むこと、トンネルを掘ることなど、調べてみればいくらでも面白い性質が見出せるような気がする。旗本奴達は、このように社会から疎外されることでグレていったのだろうな、とも感じる。だが、そンなことなどお構いなしに、オサムシモドキは隠遁生活を繰り返している。

 人間はおそらく偏見によって、この昆虫をミソッカス扱いにしてしまったが、それによってオサムシモドキが実害を被っているということはおそらく皆無であろう。



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