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夏休みになると大概の小学生は歯医者にかかったものだった。長期に渉って治療が可能だし、歯科医だって、子供の患者をまとめて夏に片付けることが出来れば好都合かもしれない。杜氏のかかった歯医者は、腕は確かだが気難しく子供が嫌いと評判の医者だった。小学校四年の頃だったと思う。杜氏は毎日のように朝早くから患者の列に並び、治療を受けていた。患者の列などといっても、何のことはない。同じ小学校に通う連中が殆どだった。顔見知りも多い。子供のことだから黙って大人しく並んでいることなど不可能だ。自然騒がしくなる。ある日、杜氏は一番乗りに列に並び、次に加わった二級上のお兄さん、つまり六年生と雑談をしていた。雑談がエスカレートしてふざけっこになった。治療の準備中で鍵がかかっている歯科医院のドアに身体が強く当たり、ドアが揺れた。
「コラァ!」
怒声と共にドアが開き、気難し屋で子供嫌いの歯科医が仁王立ちしていた。犯人として糾明された杜氏達は列から追いたてられ、それ以降の治療を拒否する宣告を受けた。追放処分を受けた六年生と杜氏は、とぼとぼと帰途を辿った。六年生はさすがに杜氏よりはしっかりしており、次の日から電車で二駅離れたところにある歯医者に行こうと提案した。意気消沈している杜氏に否やはなかった。二人で翌日、待ち合わせする場所と時刻まで決めてから別れた。
家に帰って親に事情を話した。親は逆上しかけていた。杜氏にではなく、歯科医にである。考えてみれば、その程度のことで怒って子供を追い返すなど、誠に大人気ない。他にどうにでも処置はあったように思える。私が歯科医の立場だったら、少なくとも犯人を追い返すような行動は取らなかっただろう。親はとにかくこちら側は非を詫びて、逆に子供に詫びさせることで歯科医師側の非を糾弾しようと思ったらしい。仕方なく杜氏はそれまで列を作って待っていた歯医者にまで戻り、嫌だったが頭を下げることにした。すると、歯医者も思っていたより簡単に翌日から通院しても構わないと譲歩した。今思うと、ウチの親も脅迫的な手法を用いたものである。
しかし、問題は他の歯医者に行こうと提案してくれた六年生への対処である。彼は彼なりに自分が巻き添えを食わせてしまった下級生の分にまで責任を感じていた。事情に杜氏が思ってもみなかった変化が生じてしまった。でも、連絡先も聞いていなかったし、対処のしようがなかった。ちなみに時は1966年。たいていの家に電話はなかった。無論、杜氏の家にも。こうして苦々しい思いのうちに、歯医者事件は終わった。
その歯医者の庭に桃か梅の木があって、オトシブミが落とし文を作っていた。
オトシブミはゾウムシに近い甲虫である。頭の突起がそれを物語っている。類の総称はオトシブミだが、個別にはモモブトチョッキリのように〜チョッキリという名が振られている。文字通り、木の葉をちょっきり切ることから、その名がある。ただ、チョッキリと切り落とす訳ではない。落とし文というロマンティックな響きは、日本ならではの命名であろう。欧米なら葉巻にちなんだ名前しかつかないと思われる。オトシブミという響きには、誰かが誰かに「懸想して付文」するような艶めいた音色がある。確かファーブル昆虫記にも取り上げられていたので、世界各国にこの性質を持った昆虫がいるのかもしれない。
葉を食用とする昆虫は多く、鱗翅目のように剥き出しの毛虫、芋虫が食欲の赴くままに葉を貪るようなケースが最も多い。でも、庭木についてそういう行為をしようものなら、人間の殺虫剤の餌食になる可能性が濃厚だ。ハキリバチは葉をきれいな円形に切りとってどこか(当然、巣)に運んでしまう。バラの葉が几帳面な円形に切られているとしたら、このハチの仕業である。
これに対してオトシブミはもっと複雑な行動を取る。葉の中心よりやや上の部分にまず大胆に切りこみを入れて葉を折り曲げ、たたみ、丁寧に巻き込み葉巻様の包みを作る。そして主葉脈を包みが落ちない加減に噛み切って仕上げをする。ファーブル昆虫記では、手順の決まったこの作業の手際の良さについて語られている。
どうしてこのような手の込んだ作業をするのか? そもそも包みは何の役割を持つのだろうか? それは幼虫の揺籃である。オトシブミは包みに卵を植え付け、卵から孵った幼虫は幾重にも重ねられた葉を食糧として育つ。揺籃は保存食であると同じに幼虫を外敵から保護する住まいにもなる。主葉脈が微妙に断ち切られないのには重大な訳がある。幼虫を育む揺籃を枯らせない為に、葉脈は水分を未だ葉として機能している部分に送り続けるのだ。ジガバチで触れた幼虫に生餌を与え続けるための麻酔針と共通した部分がある。
ご多分に漏れず、人間の論理で言えば植栽の一部を食糧とするオトシブミは害虫と位置付けられるのだろう。しかし、人間によるオトシブミ殲滅作戦など聞いたこともない。駆除対象となるのは稲を食用とするもの、カレハガ類のような大量発生して甚大な被害を及ぼすもの、帰化直後のアメリカシロヒトリのような天敵が見当たらず大量に繁殖してしまったものなどだ。オトシブミの取る生態はその点、大変に効率的だ。幼虫が羽化するまでに必要な葉はたかだが一枚に過ぎない。たとえば同じ木に一〇匹のオトシブミが落とし文を作ったところで、木にとってさしたる影響はない。
植物は自分から動いて身を守ることが出来ない。その代わり葉に毒素を仕込んだりする。その毒さえも効かない動物、昆虫が必ず存在する。植物は自然の中で周囲と調和するために、葉や実を以て税を納めているような印象すらある。納税に際して植物はとても大らかである。自分達の利害に不利な条件をもたらすものを悪と呼ばわるような道具と言葉を弄する動物とは対極を成している。
他人の家の前で大騒ぎしてドアを揺るがすような行為は、決してほめられたものではない。しかし、経済的に恵まれ、社会的にも大きな認知度を得ている者が、しかも自分の生活の糧をもたらす客でもある子供に、その程度のことで目くじらを立てるのは如何なものだろうかと今にして思う。その結果、永遠に守られることのない待ち合わせを心に背負わなければならなくなった少年のことを、未だ存命であることが確認されているその歯科医は意識することなどないであろう。
オトシブミの揺籃を目にするたび、杜氏は苦い記憶を噛み締めると同じに、自分より若い者には「税金」を惜しむのを慎もうと思う。福沢諭吉の肖像が象ってある手持ちの葉がいつも不足しているのが残念である。
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