

吸血鬼という架空の存在は、いつの世にも人の心に粟粒のような無数の恐怖の種子を植えつけると同時に、どこか官能的な気持ちを喚起させる。映画などで吸血鬼を演じる俳優は概してエキセントリックではあるが上品で、艶っぽいところがある。「ひとつ、人の世の生き血を啜り・・・」というのは般若の面をつけた桃太郎侍で、自身が吸血鬼のような振る舞いをするのかと思えばさにあらずで、勧善懲悪の健康優良児だったりする。だが、桃太郎を演じる高橋秀樹が吸血鬼であっても、結構納得してしまうかもしれない。うら若い処女の血を吸って、犠牲者までも吸血鬼に変えてしまうという行為は、男女間で交わされる愛の行為よりも官能的な図式を秘めているのかもしれない。
最近では、トム・クルーズがアン・ライス原作の「インタヴュー・ウィズ・ヴァンパイア」を映画化した「夜明けのヴァンパイア」に主演したが、アン・ライスの原作が下品で、クルーズが俗っぽいほど、吸血鬼の官能性は引き立つような気がしてくる。ピーター・カッシングとかクリストファー・リーの気品を感じさせるヴァンパイアもそうではそれで、とてもセクシーなのだが。女性吸血鬼の代表であるカーミラは、レズビアンの象徴のようになってしまい、どこか矮小化された印象が否めない。そもそも吸血鬼の代名詞となってしまったドラキュラは、ルーマニアのトランシルヴァニア出身の実在の貴族で、ヨーロッパ列強の十字軍遠征において、隣国トルコと戦い、大変な戦果を示した武人だった。トルコは宗教的な忠誠心に裏打ちされた死をも恐れぬ士気を以て十字軍を恐怖に陥れる存在だった。聖地への思いは、遠来の十字軍よりも、トルコ軍の方が強かったに違いない。モーツァルトの作曲で知られるトルコ行進曲は洗練された美しい旋律にアレンジされたが、元々それを聴くと十字軍が震え上がったと伝えられるトルコの進軍のシンボルだった。
ホラ吹き男爵で知られるバロン・ミュンヒハウゼンも十字軍としてトルコと戦った経緯から、話が飛躍して誇大妄想的な展開となっている。テリー・ギリアムの「バロン」は、メルヘン仕立てではあっても、その辺りを忠実に描写している。何度派兵しても埒が明かなかった欧州軍は、聖戦だからこそ負けを認めるワケにはいかなかったのかもしれない。第×次十字軍というのは×−1回の敗戦の結果に過ぎない。ヨーロッパ人も業を煮やしたのだろう。そのうち、近隣の「アジア諸国」に援助を求めることになる。
旧ソ連が解体して、中央アジア付近に位置するカザフ、ウズベク、タジクといった国が、こぞってアジア大会に出てきたときは驚いた。極東のアジア人にとって、彼らはコーカサス人そのものである。アジアに住んではいてもアジア人のイメージとは程遠い。古来中国も彼らを胡人と呼んで夷狄扱いした。楊貴妃の寵愛を得た安碌山はその代表的人物かもしれない。安碌山つまりアレクサンダーである。中国最初の統一国家である秦を脅かし、万里の長城を始皇帝に建設せしめたフン族も、今のハンガリー人である。だが、ヨーロッパ人は、彼らをアジア人としか見ていないらしい。それどころか、ヨーロッパ人にとって恒久的脅威はアジア人からの侵略であり、最大の脅威はロシア人なのだという。当然、北欧三国などはヴァイキングの末裔、漁夫達、イナカッペ大将としか見ていないに違いない。フィンランドがやけに親日的だったりするのも頷ける。
従って当然、ルーマニアなどはアジアの小国程度の意識しかない。十字軍にしては毒を以て毒を制すだったのかもしれない。ドラキュラは勇猛果敢の武人だったらしい。その戦功が華々しいほど、残虐さを敵からも味方からも疎まれ、戦の明け暮れのうちに没したらしい。そして後には栄光ではなく、残忍な行状だけが残った。ヨーロッパ人達は、自分たちが為し得なかった軍功を無視して、ドラキュラに吸血鬼の汚名だけを被せた。このエピソード、今も中東辺りで繰り広げられている内戦への介入と、介入によって勃興させた独裁者への仕打ちに似ているような気がする。介入戦争を繰り返す超大国へのゲリラ戦術による暴力がテロリズムなら、超大国の理不尽な暴力は何と呼ぶべきなのであろうか。
吸血鬼の正体などそういったものだ。実在したドラキュラも人々の幻想から、思い切りセクシーな存在となっただけ浮かばれるのかもしれない。
昆虫の中で吸血鬼さながらの生態を持つものは案外多い。吸汁性の草食昆虫は数知れないが、それが何かの拍子に肉食に転じたような存在である。肉食昆虫といっても、固いキチン質で覆われた他の昆虫を丸ごと食べてしまうものは少ない。多くがアリジゴクのように体液を吸って残りを放り出すか、消化液を獲物に注入して、その肉体を溶かしながら流動食化する。ハチなどは口で獲物をミンチにして食べ易くしてから、肉団子として巣に運ぶ。カメムシの殆どが植物を吸汁するが、その一部が明らかに肉食化してしまった。アオクチブトカメムシなどは近似種の草食カメムシと区別がつきにくいのに、鱗翅目の幼虫を襲うという意表を衝いた生態を見せる。だが、アオクチブトカメムシにしても吸血鬼に完全に転じたワケではなく草食性も依然として残っており、進化の過程の過渡期を思わせる。だが、タガメ、タイコウチ、ミズカマキリ、コオイムシといった水棲のカメムシはすべからく肉食であり、しかも吸汁性である。
サシガメという一族のカメムシがいる。形状から見て明らかに半翅目昆虫で、カメムシとしか見えないのだが、体型はスリムで動きは敏捷。他のカメムシとは一線を画している。胸部と腹部の接合部がやや細くくびれ気味で女性の柳腰を連想させなくもない。肢も身体に比べて長く、活発な運動量を連想させる。概してシックな黒っぽい色彩を帯びており、翅は他のカメムシよりも薄く、特に前翅は甲虫に近い質感を感じさせる他のカメムシとは違って、半透明な薄膜のような感じだ。それだけに飛翔は達者である印象がある。数ある吸汁性の肉食昆虫の中でも特に吸血鬼を想起させるのがこの類だ。どこかアメンボに似ているところがある。アメンボも同じく水面を滑る吸汁性昆虫。何かの手違いで水上を好むようになったサシガメの末裔かもしれない。トコジラミ、つまりはナンキンムシの翅を退化させた
ヘリカメムシ類は外見がサシガメに似ているかもしれない。この類あたりからサシガメが生まれたのであろうか。ヘリカメムシはその名の通り身体の側面が縁取り模様になっているが、サシガメでは、その部分が明確な縞模様を成している。人間を刺したり血を吸ったりする昆虫は縞模様のものが多い。ハチ、アブがそうだし、ヤブカの縞模様を見ると刺された痒みを連想してしまう。サシガメにもそういった種と共通するものを感じる。だからここでは多数のサシガメを代表して、シマサシガメをタイトルに使わせてもらった。
何といっても、この昆虫が吸血鬼らしいのは、人家に誤って紛れ込んだ個体が、人の寝床に潜り込んだ挙句、手ひどく人を刺すという噂である。相当に痛く、跡も暫く残るとのことだが、杜氏には勿論その経験はないし、直接刺された人からその話を聞いたことがない。一種の都市伝説なのではないかとすら思ってしまう。そもそもサシガメは鱗翅目昆虫の幼虫などを食糧にするのであって、哺乳類から吸血しているワケではない。
サシガメの多くが樹皮の下などで群生している。噛まれると痛いという情報もあってか、その様子には気持ちのいいものを感じない。ヤニサシガメなどは全身をヤニのようなもので覆われているが、松に住むこともあって、樹液のヤニを身体に付着させているように思える。こういうところも、印象を落とす要因なのかもしれない。
要はサシガメを巡る不穏な噂はすべからく濡れ衣のように思える。ヨーロッパ人が身勝手から、トルコと激しく戦ったドラキュラを残虐な吸血鬼に仕立て上げてしまったように、サシガメもその攻撃性から実像以上の危険さを印象付けているのではないだろうか。損な性分の喧嘩っ早いヤツなだけなのかもしれない。だがその過剰な人間の反応が、エレガントでやや退廃的、大いに官能的な印象につながっているのも事実である。そして、その神秘性は魅力に満ちた肉食の水棲カメムシである、タガメ、タイコウチ、ミズカマキリ、コオイムシなどの系譜へと連なっている。
ハチと同様、サシガメも過剰な反応や攻撃姿勢を見せなければ、人間などは相手もしない獲物以外には温和な昆虫であろう。サシガメを室内で見つけたとしても、不用意には刺激しないことだ。セクシーな吸血鬼に誘惑されたい向きは別だが、それも人間の妄想に過ぎない。
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