

親と子の姿が全く違っており、どこをどう育てばああいう姿になるのか想像もつかない生物は、醜いアヒルの子で有名な白鳥に限らず案外多い。「つくし誰の子、スギナの子」というのは、池内淳子か誰かの主演でなさぬ仲の親子を扱った暗いドラマのテーマになっていたことがあるが、明らかに認識違いである。ツクシはスギナの幼態ではなく、地下茎でつながった胞子のつく茎に過ぎない。
昆虫は幼虫、蛹、成虫と明確に姿を変える完全変態の方が、幼虫が成虫と同じ姿をしている不完全変態よりも主流であるから、幼虫を見ても成虫が全く想起できないことも珍しくはない。だが、幼虫も成虫も変わった形態をしていると、「どうしてそうなるの?」と訝る度合いは強くなる。後ずさりしか出来ない擂り鉢の底に潜む怪獣、アリジゴクが、幽玄とも思えるウスバカゲロウに羽化するなど、知識として持っていなければ到底想像がつかない。
スズメガの類はハチドリのように空中でホバリングしながら留まり、長い口吻を伸ばして花蜜を吸う鱗翅目昆虫で、ガというよりは独立した類としてユニークな生態を持つ。昆虫に興味のない人たちにとっては、ガはガでしかないのかもしれないが。セスジスズメは鋭角的に尖った腹部と翅を持ち、流線を思わせる腹部から胸部の筋や前翅の筋を持つ、すっきりした形状のスズメガだ。開帳7cm前後とスズメガとしては中型の部類だが、いかにもスズメガらしい種と言える。見分けにくい種として、コスズメ、ベニスズメが挙げられるが、飛行機を思わせるシャープな体型、ニートな模様のデザインが出色である。主に夕方頃採蜜する姿を見かけるが、夜に灯火にも寄ってくる。
その幼虫がまた奇抜な形状、生態を持っている。スズメガの幼虫は概して巨大なイモムシで、イモムシといえばスズメガを連想するほど典型的名ものである。コスズメですら終令では10cm程度になる。それがブドウ、ツタ、サトイモ、ヤマノイモといった比較的馴染み深い植物にいるので、よく目に着く。セスジスズメの幼虫はサトイモ科、ヤブカラシのようなブドウ科の植物でよく見られる。紫がかった黒の地に蛇の目模様が体節に一個ずつ几帳面に並んでいる。潜水艦に丸い覗き窓が規則正しく並んでいるようでもあり、小さな蛇が闇から無数にこちらを窺っているようでもある。蛇の目自体が凝った構造になっており、濃い黒の縁取り、その内側に白い環、更にオレンジ掛かった黄色い円と同心円デザインになっている。またそれ自体でイモムシの胴体というよりは蛇の腹にも見える。とにかく、覚悟なしにいきなり出くわすと、驚かされることは確実だ。つまり、意表を衝くデザインと言える。一見して、こンなものがイモムシであるものか、と感じてしまう。蛇の目模様を鳥が避けるのは実験的にも証明されているようだ。ゼリーでイモムシ型の疑似餌を用意して、一方に蛇の目を一つでも入れれば、鳥は蛇の目のない方ばかりをつつくと言う。最近ではカラスなどに見破られ無力化している案山子がわりに、田にたくさんの蛇の目を象った風船のようなものを見かけるが、あれは伊達ではないようだ。
セスジスズメの幼虫は黒地のものが多いようだが、緑地型も見られる。いずれもがそれ相応に蛇を連想させる。終令になると、まるで蛇にしか見えない淡い褐色地となるようだ。終令は成人男性の中指一杯に及ぶ長大さだから、やはり10cm前後はあるだろう。リラックスしているときは頭が伸びており、余計に身体が大きくなるが、捕獲されそうになるなど緊張すると頭部を縮めようとする。スズメガの幼虫は一様に尾状突起を持つが、これもセスジスズメの場合、根元がオレンジで先端が白というユニークなものだ。突起は外敵への威嚇か、頭部と尾部を取り違わせる欺瞞のためにあると思われるが、他のスズメガでは動くことがない。セスジスズメの場合のみ、これをフリフリと動かすことが出来る。犬が尾を振っているのに似ている。犬は俗に尾を振って喜怒哀楽を伝えていると言うが、セスジスズメの幼虫もどこか表情を尾で示しているようにも感じられる。
幼虫の成長は目覚しく、一日で数ミリ、三日で一センチというようなハイ・ペースを刻む。人間に当てはめたら、一日に10センチ大きくなるような勘定だろうか。食欲は凄まじく、食べていないときは寝ているようであるから、力士の日常生活から稽古を除いたようなものかもしれない。食草は雑多だが、サトイモ科の植物やヤブカラシを好む。サトイモだけではなく、同種のカイウ、カラーといった栽培植物にも着くし、ヤブカラシも雑草として庭に生えやすい。つまりは庭に育ち易い昆虫と言えるだろう。春から夏にかけて成虫として活動し、秋には卵から孵化してグングン巨大化するが、秋が深まる頃、土に浅く潜って繭とは呼べないようないい加減な糸で身体を不規則に覆って蛹化する。最初白っぽい褐色だったものが、時間を追って黒くなってゆく。その時の気候条件によるのか、もう一化するのか蛹のまま越冬するのかはケース・バイ・ケースのようだ。蛹化して二〇日前後を境に羽化しなかったら、そのまま越冬するか、寄生虫に冒され死亡した可能性が高い。観察した人の記録によれば、11ヶ月、つまり一年近くも羽化しなかったのが無事成虫となったという。これなど、もしかしたら自然の環境化ではあまりないケースかもしれない。人工的な環境に置かれたために、冬が終わって羽化に相応しい季節となっても、羽化を促す機能がうまく働かなかったのではあるまいか。一年近くということは普通の昆虫のライフサイクルに相当する。蛹と言う活動を止め、成虫として外に出ることを保留するシステムの有効性を窺わせるケースと受け止めることが出来る。その観察者の根気強さにも敬服させられる。
杜氏は小学校高学年の頃、自分の家の庭でよくセスジスズメとは同定できないものの、スズメガ(コスズメ、エビガラスズメ、キイロスズメ、ベニスズメ、セスジスズメのいずれか)の蛹を見つけたものだった。土に潜ると言ってもいい加減な潜り方であったことが窺われる。刺激すると腹だけが動くので死んではいないことがわかった。
スズメガは平面的な印象が強い鱗翅目昆虫に似ず、文字通り雀や他の哺乳類を連想するような三次元的要素を窺わせる類である。実際に薄っぺらな身体の構造しか持たない他のチョウやガと比較して、スズメガは身体の厚みがありより生活観を窺わせる体型を持つ。セスジスズメの成虫もその縞模様からリスなどの齧歯類のような印象を与える。で、幼虫は毒蛇を思わせる爬虫類然としている。別々に見れば全く違う生物であるとしか思えない。「みにくいアヒルの子」などの比ではない。まるでギリシア神話の数々のメタモルフォーゼを仲介するのが、一見何のためにあるのかわからないような蛹の期間だ。時間の流れを保留してスキップさせるタイムカプセルか、イリュージョンを演出する筐のようだ。爬虫類から哺乳類へ。
「モラトリアム人間の時代」というベストセラーが1970年代に存在したが、人間はせいぜい大学生時代などを執行猶予期間に利用するに過ぎず、セスジスズメのような鮮やかなメタモルフォーゼを実現したりはしない。しかも、フリーターという概念が誕生し、執行猶予期間だけ徒に延長するシステムを、人間は見出してしまった。もしかすると、一生蛹のままで羽化せずに過ごすことが社会に許容されつつあるのかもしれない。ピーター・パン症候群もその罹患者が無視できない数を越えれば症候群ではなくなる。人間の世界でもシンデレラ症候群を一気に解決するような蛹システムが現れないものだろうか。無理に決まっている。変身は一日にして為らずである。
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