シャチホコガ

怪獣デザイナー泣かせ?


 ハワイの原住民語はアルファベットに当てはめると20に満たない英字で表現可能なのだと言う。クリスマスの時期に赴いたことがあるが、Christmasは現地語でKalikimakaだったか。CとRとSが使われていないのがわかる。原始的だとは一概に言えない。言語が練れて無駄がなくなった、つまり成熟したのかもしれない。日本語の青は、緑も同時に意味する。いやそれどころか、蒼、藍、翠、碧などの多様な彩を包含する概念で、日本人は前後の脈絡からそれを使い分け、識別する能力を持っている。こういう言語の方が文化的に洗練されていると感じるのは、色弱の杜氏だけだろうか。
 因幡の白兎の中に、兎に騙される鰐が出てくる。鰐は日本には動物園以外にはいない。たまに川や湖沼に出てきたとすれば、それは一般家庭でペットとして飼いきれなくなったものだ。山陰地方では鮫のことを鰐と呼ぶらしい。なるほど、鰐という字は「ジョーズ」を意味する。いや、今の日本人が鰐として認識している爬虫類動物は最初は未知の動物だったワケで、鮫に市民権を奪われてあぶれていた鰐という字を、あの鰐に当てはめたということだろう。だから魚類でもないのに、鰐には魚偏がついている。
 漢字は中国から渡ったものであるので、日本にはそもそもいない生物を示す漢字もある。獏やら犀やら麒麟やらがそうだ。麒麟はビール会社でもなければ、非常識に首の長い草食獣でもない。空も飛べる龍に似た想像上の動物だ。叡智の象徴らしく、飛びぬけて優秀な子供を麒麟児と呼ぶし、あるファンタジィ作家は一国の宰相が麒麟である話を延々と編んでいる。そうそう。ビール会社はこの想像上の麒麟の方をシンボル・マークにしている。缶ビールやビール瓶のラベルに描かれているあれである。
 鯱という動物は古来は日本の沿岸にもいたのだろうか。イルカはもう沿岸にはやって来ないが、少し沖に出れば東京湾の近くにもいる。杜氏が幼い頃、親の帰省で函館に赴いた際には、青函連絡船と並行して泳ぐイルカを見たこともある。だが、鯱にはお目に掛かったことがない。英語ならKiller whale、殺し屋鯨だ。「オルカ」という映画の中で、愛情と奸智と復讐心と尊厳を持った動物として描かれている。子供の頃の絵本で見る鯱は、巨大な鯨をも難なく倒す恐ろしい存在だった。「オルカ」でもタンジェリン・ドリームが奏でる音楽が、その恐ろしさと豊かな感情を物語っていたと記憶している。
 恐ろしく、賢い動物であるがゆえに、豊臣秀吉は名古屋城の天守閣のシビに巨大な金鯱を掲げたのだろうか。想像上の動物としての麒麟と同じような感覚で。なるほど、魔除けとしてはとてもご利益があるようには思える。もっとも、現代の名古屋人はそれを名古屋の象徴としてお菓子などにしてしまっているが・・・。知識として知ってはいても、戦国の昔から現代に至るまで、鯱が日本人の生活に直接影響を及ぼすことはなかっただろう。

 だが、その名を冠している昆虫が案外身近にいる。シャチホコガである。鯱というよりは、名古屋城の金鯱の不自然に反り返った様から来ている命名であるし、そもそも成虫ではなく幼虫の生態から、その名が付いた。シャチホコガと一口に言っても、シャチホコガ科の蛾は案外多く、クヌギ、カシ、アベマキ、ヤナギ、カエデ、サクラ、ナシ、ビワ、スモモなどの、広範囲な広葉樹の葉を食べて育つ。命名の由来となったのは、幼虫が外敵に遭ったときの威嚇ポーズである。大きな頭を九〇度以上に後方へ反らし、四対ある腹足で木の枝にしがみついて、尾も反らせた頭に近づけるようにはね上げる。そうすると背中のギザギザ状の突起がますます怪獣じみて異様に見える。確かにシャチホコガの天敵と思われる鳥ではなくとも、このポーズに出会うと一瞬たじろがざるを得ない。
 シャチホコガはほぼ全世界に繁殖しており、英米ではこのシャチホコ・ポーズが海老の反転、俗に言うエビゾリに見えるらしく、ロブスター・モスと呼ばれているらしい。ご馳走といえばステーキ・アンド・ロブスターしか頭に浮かばない英米人らしい発想だ。
 威嚇ポーズを取らなくても、シャチホコムシ(幼虫の俗称)は充分に異常な姿をしている。腹足は普通の芋虫とさして変わらないが、既に成虫のように三対の肢を持っており、これをかなり自在に操る。葉を食べるときには、これらで口まで手繰り寄せ、掴むのが常である。尾足も発達して二本の角状となり、尾の方の模様と相まって蛇が舌を出して獲物を窺っているようにも見える。一見してどちらが頭で尾なのか判別できない人もいるに違いない。蛾の幼虫は概して毛虫であるが、シャチホコムシには毛はなく、前述のギザギザでいかめしい甲冑のような突起が顕著だ。怪獣のようなデザインであるが、怪獣デザイナーならこれほど異常な意匠を凝らすとかえって不自然に見えることから不可能な設計だ。だがれっきとした自然の存在なので、それが少しも不自然ではない。怪獣デザイナー泣かせの造形と言える。
 普通に考えると、このシャチホコ立ちは敵に襲われたときの臨時のポーズであるように思えるが、幼虫にとってこの状態がストレスフルなものではないらしく、それを常態ととして過ごす個体も少なくないらしい。だが杜氏にはシャチホコ立ちよりも、三対の発達した肢で生活するありさまの方が異常に感じる。一見、鱗翅目昆虫の幼虫には到底見えない。種類によっては黄色や黄緑といった目立つ基調に縦縞といった奇抜な体色を持っており、保護色とはほど遠いことも不思議だ。威嚇ポーズにそれほどの効果があるのだろうか。それとも警戒色なのだろうか。
 人間にとって結構有用な植物に着くが、大量発生することはどの種も稀であるらしく、特に駆除の対象とする必要もないらしい。

 成虫はどの種も結構大型である。普通種のシャチホコガで翅の開帳が5cm〜6cm以上、比較的大型のセダカシャチホコでは85mmにも達する。ただ、奇抜な幼虫時代が嘘のように、成虫は地味な存在だ。大概が木の幹に一体化して溶け込んだような色と模様を持ち、明らかな保護色を呈している。目の錯覚で木の葉が丸まっているようにしか見えない種もいる。幼虫は徹底して目立つこと、成虫は徹底して隠れることで生存を図るという在り方が面白い。子供時代は賑やかで騒がしかったのが、大人になるとすっかり落ち着いた人格になったかのようだ。だが、この戦略で、シャチホコガは全世界に広く繁殖することに成功したのであろう。

 そもそも鯱という日本人の通常の概念にはない動物の、更に想像上のポーズであるシャチホコ立ちを習性としているシャチホコムシは、日本人が城の天守閣の鯱に込めた願いである魔除けを、図らずも具現化している。気の遠くなるような時間、繰り返される世代交代が、やがてシャチホコムシにとっての最適解として、この一見奇妙な生態を磨き上げたに違いない。多様な言葉、豊富な語彙を以て物事をきらびやかに表現するよりも、最少の言葉、最短の表現で意を伝えることが、日本語、いや言語の成熟であり、人という生き物の進化の最適な方向なのかもしれない。



Winery 〜Field noteへ戻る