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動物の世界では、大概雄の方が見た目に派手で、変わった技も持っている。生殖相手に「求愛」する目的でディスプレイが必要となるからである。またテリトリを広く持っていると食糧を確保し、生殖相手に出会う機会が多いことから、戦闘能力や情報伝達の機能も有していることが多い。雌が有しているのは生殖と子育てに関する能力だが、後者に関してはコオイムシのように雄が担当する種もいるので一概には断定できない。
動物の生態を擬人化して、人間の価値観に立って見るのはタブーである。しかし、見た目の美しさについては雄の方が優っていることの方が多く、人間とは逆であると感じざるを得ない。具体的に言えば、カブトムシの角、クワガタムシの大顎、セミ、コオロギの鳴き声などが雄の特性であり、カの吸血、カマキリの生殖相手に対する扱いなどが雌の特性である。どちらがどうということではなく、そういうものなのだ。
昆虫においては、身体の大きさも人間とは逆転しており、雌の方が大きかったりする。生殖という行為は昆虫のように大型でもたかだか十センチ以内の生物にとっては大事業であり、受け皿としての身体の大きさが求められるのだろう。
雄と雌で著しく姿が違うものも少なくない。前に書いたミノガなど、雌は一生蓑の中で過ごすために翅が生えない。雄のみが翅によって移動し、雌の暮らしている蓑に通う。またシオカラトンボは雄と雌で色が違い、雌はその体色からムギワラトンボとも呼ばれる。知識がなければ別の種類と見られても不思議はない。
雄雌の差が最も大きいのが、ショウリョウバッタとオンブバッタの二種であろう。ショウリョウバッタは雌の場合、体長8cmからある。日本最大のバッタだ。ところが雄ときたら5cm程度しかない。倍までは違わないが一.五倍よりは差が大きい。これは一次元で評価した数値に過ぎず、三次元の容積ともなると、長さ、幅、高さの積となるので、倍率は体長の差の三乗、実に五倍以上ということになる。オンブバッタは特に、身体の小さな雄が雌の背中に乗って、つがいを成している。身体の差は更に大きく感じられる。
ショウリョウバッタの雄はキチキチという音を立てて、敵から逃れて飛ぶ。そのためキチキチバッタとも呼ばれる。でも杜氏が子供の時分、キチキチバッタと呼ばれる種類の昆虫は別におり、それが飛んでもキチキチとは鳴かないために、とても紛らわしかった。今はその種はショウリョウバッタモドキと呼ばれている。不適切な命名をされた挙げ句に、それを取り上げられ、更に付いた名前がモドキである。気の毒千万だ。もしかすると本来の「キチキチ」は擬声音ではなかったのかもしれない。
ショウリョウバッタは少量バターでも商量打者(バッター)でもない。(ダジャレが苦しい) 精霊飛蝗である。因みにショウリョウバッタモドキは擬精霊飛蝗。精霊流しなどという過去の自分の作品を小説、TVドラマ、映画と、二番煎じはおろか四番煎じにまで持ち込んで儲けようとしている人もいるが、その精霊(せいれい、しょうりょう、しょうろう)である。葬うべき死者の霊である。そういえば、ショウリョウバッタの長細い身体、顔つきには幽玄な印象があるかもしれない。
草むらがあればどこにでも棲む。いや枯れ草の上にも棲息する。緑の個体が多いが、褐色だったり、ストライプ入りだったりするのは、棲んでいる環境に依存するらしい。代表的な保護色と言える。飛行能力はさほどなく、少なくとも飛蝗と化して新たな生活環境を求める能力があるトノサマバッタよりは弱い。勢いよく飛び立ちはするが、すぐに疲れて人間が容易に捕捉できる程度の場所に降りる。身体は軽量に出来ている雄の方が、どちらかと言えば飛ぶことには長けている。ショウリョウバッタモドキは更にモノグサで、敵が襲って来てもまず飛び立つよりも、留まっている草の反対側の死角へ回ろうとする。アオバハゴロモ、ヨコバイといった種の逃げ方とよく似ており、そのようなことだからモドキなどと命名されてしまうのだ。
雌の後ろ肢は強靱であり、両方手で持って他の部位を放してやると、グングンと跳ねてみせる。この動作が米搗きに似ていることからコメツキバッタとも呼ばれる。よく「コメツキバッタのようにペコペコ頭を下げる」という慣用句に用いられるが、その様子に卑屈なところなどない。
なぜこのような極端な性差がついてしまったのだろうか。これでは生殖のみを共にする別の種と呼んでもおかしくないかもしれない。多分、雌の身体の大きさは数多くの卵を産む機能を有しているのではないだろうか。生物はすべからく自分の遺伝子をなるべく効率的に次世代につなげようとする。数が多いということは、その遺伝子継承という目的からすれば有効な戦略となりうる。大多数が他の肉食昆虫の犠牲となるにせよ、生き残りの確率は確実に高くなるだろう。それ以外には理由が考えられない。オニヤンマにせよ、シロスジカミキリにせよ、肉食、草食にかかわらず、身体の大きな種は武器を持ち、身体の優位性を活用しているように見える。ところが、ショウリョウバッタの雌はその巨大さゆえか動きが鈍重であるし、これといった武器を持っていない。飛翔能力にしても前出の通りのていたらくで、子供にも容易に捕らえられてしまう。
雄は多少俊敏で捕まえにくい。産卵する必要のない雄は小さな身体のまま、天敵の爪をかいくぐって生殖を遂げるまで生き延びる形態を採ったのであろう。オンブバッタのように明確なつがいの形ではないので、果たして雄と雌が一対一で生殖の名目で対応するのか不明だが、雄と雌の個体数の比較は興味深い。そのようなデータは手許にないし、比較を試みた人などいないかもしれない。杜氏の予測としては、動きが遅く敵の手にかかりやすい雌が孵化した段階では多いのではないだろうか。それが生殖を迎える段階で同数程度になるように思える。
一見奇妙に思えるショウリョウバッタの性差も、おそらく自然の必然でフィードバックが働き、現在のような形に収束したのだと思われる。自然が下す解はひとつではない。
人間はあまりの文明の発達ゆえに本能のかなりの部分を失ってしまった動物である。文明はある程度を越えると発達から爛熟へとステージを移す。サッフォーの時代からレズビアンは存在し、プラトニック・ラヴはプラトンが本来の男女の性愛を唱えたものだった。バッタより人間の方が男女の愛の本質を見失っているのかもしれない。
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