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忠臣蔵は平和で刺激的な事件が少なかった時代の格好のゴシップだったに違いない。戯作家はこの時代、男女の心中があるとそれを取材し、脚色して世間の下世話な興味に応える作品に仕立てていたようだかが、赤穂浪士事件のような社会派ネタは得難い素材だったに違いない。当時に限ったことではない。NHKの大河ドラマとて、戦国物、明治維新物、源平合戦物、その他と併せ、忠臣蔵を中四年程度のローテーションで登場させるのが慣習となってしまったいる。
忠臣蔵は色々な有名な劇と間接的に組み合わされており、鶴屋南北の「東海道四谷怪談」も原作の半分は忠臣蔵、残りの半分を田宮伊衛門とその妻、岩のエピソードに当てている。
冷静に考えると、これほど不可解な事件も珍しく、話の展開はとても不自然だ。藩主の突然の錯乱、浅野家取り潰しの経緯、大石の潜伏期間中の頓狂、「討ち入り」に対する民衆の反応、そして処刑、etc.、どこからどこまで変である。きっと政治的な暗闘が裏で渦巻いていたに違いない。忠臣蔵を語るコラムではないから、何がどう変だか、ここで論じる気などないけれど。
政治的にデリケートであったことは、芝居屋の常套手段だったのかもしれないが、時代を鎌倉時代末期〜室町初期にシフトさせていることからも窺える。当局の検閲を逃れるために、興行側はあらゆる手を尽くしたのであろう。検閲側も以心伝心でそれを心得ており、核心に触れなければそれで良しという関係が成り立っていたと思われる。今の映倫、ビデ倫と変わりがない。敵役は吉良上野介ではなく、室町幕府開闢の功績者にして実力者であった高師直となっている。師直は大きな決断は下すが、細かいことは部下任せであったある意味理想の上司に近かった足利尊氏の下で実力を遺憾なく発揮した人物で、尊氏から委譲された権限に実力者ゆえに溺れて増長著しく、自滅していったようなところがある。婆沙羅という言葉が当てはまった存在だったのかもしれないが、この時代、最も婆沙羅ぶりを示したのは、実は後醍醐天皇なのではないかと思えるふしもある。跳梁跋扈した怪物的人物の一人に、高師直も数えられる。
吉良氏は源氏嫡流に極めて近い足利の親族の末裔で、江戸時代には「高家筆頭」を務めていた。そこにも師直とのつながりを感じる。吉良は現在の静岡県を古くから領地としており、今川の陪臣にもなっていたのではあるまいか。吉良という地名は残っているようであるし、清水の次郎長と共闘した吉良の仁吉は吉良町に本拠を置く任侠だったし、尾崎士郎の「人生劇場」に登場する吉良常はその末裔だった。早稲田大学の「第二校歌」でもあるらしい「人生劇場」(ヤァコォの歌じゃン!)の三番に「吉良の仁吉は男じゃないか 俺も生きたや仁吉のように」とある。吉良上野介が討たれて、そのまま没落したような根の浅い一族ではない。
吉良はかつて製塩が盛んであったらしい。一方、赤穂も今にブランドとして通用する塩の産地である。忠臣蔵は単なる復讐劇などではなく、産業や利権をめぐっての権力抗争だったことは想像に難くない。で、江戸時代の忠臣蔵で、高師直に対する大名、実際には浅野内匠頭に相当する人物の名が塩谷判官である。やはり、塩に由来があるネーミングをしたのは、この事件のキー・ポイントを暗喩しているように思える。
浅野家の方は、豊臣家ゆかりの一族で織田家配下だったのが、秀吉の台頭と共に権力の中心近くへ上っていった。だが、播州の浅野は福島正則の謀殺後、広島に移封された本家から分かれた分家筋であった。源氏嫡流に近かった吉良から比べれば格が落ちると見られても致し方ない。そういう力関係も変な話に一役買っているのであろう。何しろ、源氏の嫡流に近いということは清和源氏の名の通り、天皇の裔ということだ。いつの世でも、そういう意味のないことを金科玉条にする人種はいるものだ。
昆虫の名前でシオヤという接頭語は、「塩を思わせる」という形容を示す。腹部の末端に白い綿毛をつけているシオヤアブがそうだ。シオヤトンボは名前からしてシオカラトンボに似ており、形状、色彩も見分けがつきにくいほどである。雄の腹部はシオカラトンボ同様、爽やかな青だが、全体に白い粉が噴いている。これが塩のように見えたからシオヤの名がついたのだろう。シオカラトンボ同様、雌は黄色と黒褐色のコントラストが特徴で、別の種類に見える。シオカラトンボと同程度に普通種ではあるが、より清浄な環境を好むようだ。シオカラよりやや小型で、腹部がやや太い。成虫が活動する時期は明らかに異なる。四月から姿を見せ、シオカラが羽化し始める六月にはひっそりと姿を消す。活動期間は短い印象がある。特徴である白い粉は、鱗翅目の鱗粉同様、生活を経るうちに剥離し、老熟成虫は青が濃くなる。
日本人にとって単にトンボと口にしたとき、最初に浮かぶのがシオカラトンボだと思う。それに似た形状を持ったシオヤトンボは、まるで強力な影響力を持った昔ながらの頑固オヤジに似ているが影が薄い叔父さんのような存在だ。
仲のいい友達というのは、性格が全くの正反対であるか共通点を多く持っているかのいずれかである。後者の場合、背格好、姿形まで似てくることがある。またいつも一緒に行動したりすると、その印象は更に強まる。そういう二人組でもどちらかに比べて他方が印象が強いのが常だ。強い印象を持つ存在がA君だとしたら、他方はA君ジュニア,A君ダッシュなどと呼ばれ、密かに心外に感じたりもする。シオヤトンボもそういう経緯で優勢なシオカラトンボに対して拗ねてしまい、登場時期をずらしたような印象がある。
シオヤトンボの白い粉は、羽化直後には見られず、若令成虫の時分に徐々に顕れるものであるらしい。直裁的な原色よりも、粉を介して見えるぼんやりした青はとても美しく目に映る。
実際には強力な繁殖力を持つシオカラトンボとの棲み分けを行う必要性が生じて、テリトリ、羽化時期(繁殖時期)が長い年月のうちに自然とシフトしていったのに違いない。湖沼、水田などに多く見られるが、止水域よりはわずかな流れがある緩水域を好む傾向が、微妙な棲み分け加減をよく示している。従って平地を好むシオカラトンボと比べて、微妙に山地寄りにテリトリを定めるようだ。多くの人がシオヤトンボの有無を、その環境の良し悪しのバロメータとして用いている。
そういった性質も相まって、シオヤトンボの姿にはどこか奥ゆかしさのようなものを感じてしまう。
吉良上野介が毛並みのいい家柄の出身だったのみではなく、領民に対して名君であったことは、あまり知られていないかもしれない。高師直の暴力的、背徳的な臭いは皆無だ。地場産業の深厚に心を痛めていたからこそ、新興勢力である浅野、いや赤穂の動向にセンシティヴになっていたことは大いに考えられる。こうして考えてゆくと、元々理不尽な暴力を仕掛けてきた浅野を善玉に、吉良を悪玉に仕立ててしまったマスヒステリーにも見えてくる。それが忠臣蔵の怖いところだ。
シオヤトンボは人間が急激に変えてゆく環境に順応したからこそ、今日の繁栄を見ている。シオヤトンボはそれを拒絶し、普遍的な自然に敢えて留まることを選択した。どちらがどうということなど、おそらくはない。影の薄そうに見えた叔父さんが実はある方面で大変な才能の持ち主であり、それが一気に開花するようなこともある。現在の姿をその人の全てだと断じると妥当ではない判断を下すこともある。大切なのは近視眼的なモノの見方に陥らないことであろう。忠臣蔵の価値観が逆転して、暴力によって討ち取られた吉良が善で、幕府の不手際を暴力を以て指弾したに過ぎない赤穂浪士が悪だと、気まぐれな大衆の視点が覆る可能性があるのと同様に、環境の改善によってシオヤトンボがシオカラトンボを駆逐する日が来ないとも限らない。
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