スミナガシ

雅な意匠

 杜氏の親は小学校に上がるか上がらざるかの幼い息子が昆虫や岩石に凝り始めたのに乗じて、図鑑を次から次へと買い与えることをした。昆虫、岩石のポケット図鑑は学校で一括販売されているもので購入した。良くある話であるが、杜氏はそれでモースの硬度計を諳んじられるようになった。東海道線の駅を全て暗誦できたり、神武から平成に至るまでの天皇の名を列挙出来るような、役に立たない知識である。その上に当時小学館で出していた「昆虫図鑑」「植物図鑑」「魚貝図鑑」「鳥類図鑑」まで買った。昆虫、植物、魚貝まではいざ知らず、鳥は正直言ってノー・サンキューだった。その上、学研の昆虫、植物図鑑まであったと思う。

 図に乗った親は「日本歴史の図鑑」「理科実験の図鑑」まで買い揃えた。今思うと、何でも図鑑になるものだと感心してしまう。ここまで行くと図鑑オタクである。杜氏がではなく、親が。その理科実験の図鑑には、水を入れると火に掛けても燃えない紙の箱とか、蝋燭の炎の温度分布とか、水を入れると浮かび上がる洗面器の中の十円玉とか、他愛のない実験がしこたま載っていた。その中で、「墨流し」というのがあった。張った水に書道で使う墨を静かに落とすと、墨は水に混じらず、表面で渦を描いたり濃淡の差で縞模様を成したりする。これに和紙を落とすとその模様を写し取ることが出来る。平安時代の典雅な遊びであったらしい。水面の表面張力で墨が中の層まで浸透しないことを利用した遊びだ。意図しても不可能な不規則で味わいのある模様を得ることが出来た。

 スミナガシという名のチョウがいる。タテハチョウの類で、今まで扱った中ではミスジチョウに近い。ニッチから言っても、ミスジチョウと同じく森林に棲む。個体数がさほど多くないとも言われるが、杜氏が子供の頃には、夏に山に入ると必ずとは言えないが、結構頻繁に見ることが出来た。日陰で見ると黒っぽい地に白っぽい斑点を翅の縁に細かく並べたようにしか見えない。それはそれで華やかな満艦飾に彩られた他のチョウには見られないフォーマル・ドレスを纏ったような気品を感じるのだが、それだけではない。日の当たった場所に出ると、地色が黒なのではなく、青や緑や紫を帯びた藍色に近いことがわかる。それが見る角度によって異なる光彩を放つ。

 墨というのは煤、つまりアセチレン・ブラックのような炭素を膠で固めたものである。それを使うときに水で擦る。擦った墨はよく見ると膠の成分も溶けるせいなのか、表面に虹彩が出ることがある。シャボン玉の表面に虹色の縞が渦巻く様と同じだ。濃過ぎるコーヒーを淹れた時にも、脂肪分が表面に虹彩を描くことがある。これを杜氏はレインボウ・コーヒーと呼ぶ。胃には決して良くない。スミナガシの翅の表面にもその趣がある。昔の人はそこまで考えてスミナガシの名を付けたのだろうか。

 小柄なチョウと思われ勝ちであるが、開帳55mm〜65mmとかなり大きい。同じく100mm以上にはなるオオムラサキほど大きくはないが、決して鱗翅目昆虫としては小さくはない。同じタテハチョウでもあり翅を拡げて止まる佇まいや翅の縁の紋がオオムラサキと少し似ているところがある。そういえば、形態はかなり違うがオオムラサキの幼虫もユニークな角上突起を頭部に持つことを思い出した。渋めだが意匠を凝らした装いにも準えることが出来るが、一点目を射るように直裁的な鮮やかなものを持っている。普段は螺旋状に巻いている口吻だ。これだけがワンポイントのように真っ赤なのだ。伸ばすと赤いストローのように見える。

 スミナガシは他のタテハチョウ同様、獣糞や樹液によって来て栄養補給をする。杜氏が夏に山に入ったのは、殆どがカブトムシ、クワガタ採りが目的だったので、樹液を求めてクヌギ、コナラ、ミズナラの樹にやってくるスミナガシと目指すものが同じだったのかもしれない。意外と機敏なチョウで、木の高い場所の葉に止まり、テリトリを上から見張っているのが常だ。侵入者に対しては弾丸のように飛んできて、たちまち追い払ってしまう。見張り塔から縄張りを睥睨している兵士の趣がある。見掛けによらず気が強い昆虫であることが窺える。

 幼虫はかなり奇抜な形態を採る。第一令から脱皮するごとに色や形が変わってゆくが、成長するに従って頭の角上の突起が大きくなってゆく。終令にまでなるとバッファローさながらの立派さである。この角の機能はよくわからない。実質的な役、例えば食草を貪ることには機能していないように見える。イモムシではスズメガの幼虫のように尾に角を持っている種も多いので、尾と頭を捕食者に誤認させる効果はあるかもしれない。終令近くなるとシャチホコガの幼虫のように身体を反り返していることも多い。何かのカムフラージュか、威嚇なのであろう。体色も単一ではなく、個体差があるが、緑か緑がかった淡褐色と褐色のトゥ・トーンで、異なった服を重ね着したような、これまた渋めなデザインだ。だがこれが食樹であるアワブキの木では巧みな隠れ蓑となって容易に見つけることなど出来ない。終令になると、途中まで褐色の色合いが濃かったものも、鮮やかな緑が支配的な50mm以上の大きなイモムシとなる。そして前蛹となる段階で褐色に変化する。

 何を思ってか、アワブキの葉を主葉脈を残して先端から根本の方へと食べ尽くして、主葉脈の先端に静止していることが多く、その知識があると見つけやすい。

 蛹も変わっている。枯葉そっくりの色と形をしている。蛹のままで越冬するが、年一化であるので、枯葉の形状で一貫している。頭の方にはアルファベットのCの字型の切り欠きのようなものがあり、枯葉が丸まっていたり、虫食いで欠けているようにしか見えない。念の入った仕組みである。

 平安の雅な遊戯だった墨流しは、遊び手の予測もつかないような偶発的な模様を楽しむものである。スミナガシの不規則に見える翅の輝き、幼虫の百面相のような脱皮毎の変化、謎の立派な角の存在、反り返った奇妙な形、蛹の見事な木の葉隠れ、これらは人間にとっては奇抜で予測を越えるような生態であるが、スミナガシにとっては普遍的なルーティンなのである。その生態に奇抜さを覚えるのも、翅の光彩に平安のやんごとなき階級の遊戯の典雅を見るのも、人間の勝手でしかない。スミナガシはスミナガシであるために生命力を振り絞って、今のスミナガシの姿、在り方に到達したに過ぎない。



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