スズメバチ

猛 獣


 ヴァイオリン曲には大まかに分けて二通りある。むせび泣くような長く尾を引くやるせない感情のうねり、弾け飛ぶような目まぐるしいテンポの狂騒。ツィゴイネル・ワイゼンは前後半で、その両極端を容易に行き来する。好むと好まざるとに拘わらず、放浪を生業とするジプシーの悲哀と情熱。父がこの曲、特に後半の爆発的な舞踏を思わせるパートが好きだったことを思い出す。あのような情熱的な面など表に出さなかった人なのに。
 駆け抜けるような速いテンポなヴァイオリニストの超絶技巧の見せ場なのかもしれない。ホ・ラ・スタッカートや熊ん蜂の飛行はその系統の代表曲であるかもしれない。リムスキー・コルサコフによる後者は、群を成す大型の蜂が振動音を辺りに響かせながら飛び回る様が臨場感を以て伝わってくる佳曲である。ギター演奏に応用されることも多く、確か寺内タケシとブルー・ジーンズも採用していた。
 この場合の「熊ん蜂」がスズメバチなのかクマバチなのか、常に疑問だった。昆虫に詳しくない人は混同しやすいが、この二種は全くの別種である。共通点は大型であることぐらいかもしれない。スズメバチが肉食性の強い昆虫で、カブトムシなどと同様、クヌギ、ミズナラ、コナラなどの樹液も好むのに対して、クマバチは大型のミツバチで花の蜜を好む。スズメバチはミツバチ類の巣を襲うことが多いから、クマバチにとっては天敵かもしれない。ややこしいことに腹部が黒く熊のように毛が生えているクマバチのクマは熊ではなく、球磨または久万、つまり九州南部広域を示す。球磨焼酎の球磨なのだ。英語で言えばスズメバチがワスプかホーネット、クマバチはビーかもしれない。だからリムスキー・コルサコフの曲はスズメバチをモティーフにした可能性が高い。だがクマバチの重厚感もあの曲に相応しい気もする。捨てがたいところだ。
 ご承知の通り、スズメバチは最も危険な昆虫といえる。その毒で殺人までに及ぶのはスズメバチ以外にあまり見当たらない。しかも、数回に及んで刺された人間のみが蜂の毒よりもそれによって喚起された抗体により中毒死する。スズメバチの刻印は執行猶予付きの有罪判決と言える。何度も巣を襲ったり、害を為した人間は実刑を受ける寸法だ。
 それだけスズメバチの巣はある地方ではビジネスになるほど価値がある。よく行政組織が人家に巣くったスズメバチを駆除することがあるが、スズメバチ・ハンターのプロは営利目的で巣ごと掘り出して、中の幼虫を食料品として市場に卸す。蜂の仔である。長野の特定の地域ではザザムシ(カゲロウなどの水棲昆虫の幼虫)、イナゴなどと並ぶ高級食材となる。実際に旨いらしい。あれだけエネルギッシュな昆虫である。固いキチン質の鎧を纏う前の幼虫が旨いのも頷ける。ただ度が過ぎると罰が当たるということだろう。大変なリスクが伴う食品であるから価格が高いのも道理だ。
 杜氏達が子供の頃、カブトムシ、クワガタムシを穫るのにスズメバチは関門のような昆虫だった。樹液バーの客の中でもスズメバチは上位クラスであり、カブトムシ、クワガタと一緒に居ることが多かった。年長の遊び仲間は木の枝で巧みにハチを抑えつけ、更に細い木の棒で尻から針を手際よく抜いていた。ミツバチと違って針は一度刺しても内蔵ごと抜けたりはしないが、無理にこそげ取られれば、スズメバチの針もさすがに抜ける。やはり内蔵も引き出されることになる。それだけで生きてはいけないのだから、冷静に考えればそのような回りくどい技術を駆使せずとも、踏み潰して殺してしまった方が手っ取り早かったように思える。杜氏はその伝統技術を継承しないうちに、他所へ転居してしまった。
 人家にもよく舞い込んできたものだ。婦女子は悲鳴を挙げて怖がるが、それはハチを刺激するのでかえって危険だ。攻撃のサインと受け取られ、「カチ、カチ」と威嚇音を発し始めたらもう危ない。静かに害意がないことを示し、窓を開け放ってお引き取り願うに限る。だが困るのは、スズメバチが案外人家を営巣の対象として好むことだ。普通林の土の中などに巣を作るが、人家の縁の下、天井裏、軒先などに営巣され、被害に怯えながら暮らすようになる人も多い。古くからの日本家屋は結構隙間を多く造る構造で、しかも安全がある程度保証されているから、スズメバチには好都合なのかもしれない。
 クロスズメバチ、キイロスズメバチ、モンスズメバチなど複数種日本に棲息しているが、最も大型で危険なのは単なるスズメバチである。体長40mmだが、実際にはもっと大きく見える。恐怖を伴うせいだろう。アシナガバチもスズメバチ科で、やはり刺されると痛いし、著しく腫れる。実は杜氏は小学校低学年でアシナガバチの洗礼には遭ったことがある。数日間、顔が歪むほど腫れ上がって難儀したものだ。カリウドバチのトックリバチやスズバチ、そのスズバチに寄生する「空飛ぶ宝石」セイボウもスズメバチの類である。セイボウなど同種のスズバチを害していることになる。変わったヤツらである。

 前述したスズメバチのミツバチへの襲撃は、スズメバチが人間から被っている捕獲、駆除と似ている。スズメバチもミツバチの幼虫を狙うのである。養蜂家にとってはスズメバチは大敵であるらしい。スズメバチが狙うのが幼虫でしかなくとも、蜜を取る成虫もろとも滅ぼすこともある威力だからである。ミツバチの体長はスズメバチの1/3〜1/4程度だが、堆積にしたらその二乗、つまり1/9〜1/16に相当する。しかも針や大顎の威力を考えると、ミツバチにとっては怪獣の襲来に匹敵する。ただ、ミツバチも巣を怪獣に蹂躙されるに委せている訳ではない。ミツバチは襲来したスズメバチを多くの仲間で覆い隠すように組み付き、翅を震動させる。そのことにより大変な熱が生じる。熱に包まれたスズメバチはその攻撃(防御)により灼き殺されるのだという。スズメバチにとってもミツバチ襲撃は大きなリスクが伴うのだ。そのリスクに見合うだけの魅力がミツバチの幼虫にはあるのだろう。スズメバチが栄養源としてとても魅力的なミツバチを襲い、そのスズメバチが幼虫を狙われて人間に襲われる。食物連鎖の短絡形であろうが、よりわかりやすく残酷な形態をそこに見出すことが出来る。

 杜氏は先日、クコの実を摘んでいる最中に近くをキイロスズメバチの飛翔に見舞われた。クコは結実と同時に来年の実のための花を咲かす。実を摘む杜氏と花の蜜を採取するキイロスズメバチの利害が重なってしまったのだろう。杜氏はなるべくハチの活動の邪魔をしないように実を摘み続けた。最初は耳の近くを飛んで不穏な動きを見せていたハチも警戒音を発することなく、よそへ他所へ飛んでいった。危害を加えようとしなければ、ハチと人間は共存できる。
 確かにスズメバチはターミナル・アニマルである人間をも殺害しうるほどの威力を持つ、昆虫界唯一の猛獣であるに違いない。その姿に似せた昆虫達が恩恵を被っていることからもそれは明らかだ。だがその最大の武器である針も元は産卵管である。生殖を女王蜂に任せ、それ以外の多くのハチが生殖機能を持たぬ雌バチとして巣、いや種全体の繁栄を図ろうとしている健気な昆虫とも言える。危険はあるものの、スズメバチを見掛けたら、捕らえて針を抜くなどということをせずに、穏便に見守るのが最善策であると杜氏は思う。



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