タガメ
不倫も略奪も?
個々にはとても強い存在なのに、環境に適合せず、種としては繁栄しているとはとても言えない存在もある。室町幕府末期の足利義輝は元々体制が弱体であった足利氏支配の復興を志し、塚原卜伝と上泉信綱に師事して剣の道を極め、剣豪将軍などと後世に伝えられているが、将軍家を差し置いてのさばっていた三好家の家臣、つまりは陪臣に過ぎない松永弾正に久秀に責め滅ぼされてしまった。剣術の腕前ばかりではなく、器量の大きさも謳われた義輝も個々の強さだけでは、時代の流れは如何ともし難かったのだろう。
謀略で信長包囲網を築こうとした弟の義昭(足利最後の将軍)と並んで、腕っぷしの強さで勢力を盛り返そうとした義輝も、時代の趨勢を弁えていなかった滑稽な人物と評されるに留まっている。剣豪将軍という賛辞の中にも、冷ややかな揶揄がかすかにこもっているように感じるのは杜氏だけであろうか。
タガメほど、有名で人気があって、しかも自然の状態で滅多にお目にかかれない昆虫も珍しい。杜氏もミズカマキリ、タイコウチ、コオイムシは目にしたことがあるが、タガメを野外で見たことはない。特段清浄な環境でなければ生き延びられないというほどではないらしいが、好適地であった田への農薬散布、減反の影響を大きく受けてしまったらしい。
水棲昆虫だけを母集団に取れば、食物連鎖の頂点に位置する存在である。だが、環境自体の変化には順応し切れていないということか。タガメは田亀で、田のカメムシを示す。最も顕著な特徴はその大きさで、成虫は体長5〜7センチにも達する。正に突出した大きさである。無論、肉食性でその生態はミズカマキリ、タイコウチ、コオイムシに似ている。強靭な鎌状の前肢で獲物をがっちり押さえつけ、管状の口吻から消化液を獲物の体内に流し込み、組織を溶かしてから吸い込む。体外消化と呼ばれる方法を採る。
獲物は小昆虫から小魚、カエル(オタマジャクシ含む)など、身体の大きさに比例して多岐に渉る。特にカエルを襲うのが有名なのは、生息域がカエルとほぼ一致していることや、人目につきやすい田でそういったシーンを見かける可能性が高いからであろうと考えられている。平べったい体型や翅の畳み方など、確かにいかにも半翅目昆虫らしい特徴を持っている。大きさ、強さ、造形の良さなど、人気が高い要因を持ち合わせてもいる。
その人気は悪役の魅力を帯びる。水中のギャングと異名をとる通り、その生態は獰猛さを示しているし、かなり大きな生物すら駆逐してしまう。悪役が魅力的ではないアクションもの、ヒーローもの、スポコンものほど腑抜けたものはない。悪役の条件として、主人公より身体的、頭脳的な能力に優れており、ルックスも主人公を凌ぐ美しさを持っていることが挙げられる。主人公がまともに太刀打ちなど出来ないのだが、ご都合主義の信じられないような偶然(悪役にとっての不運)や、主人公側の非合理的な精神主義によって悪役側のアドヴァンテージが消え、ハンディがなくなるという展開がしばしば採られる。
映画「ダイ・ハード・シリーズ」など、構成としては魅力的な作品なのだが、悪役がへっぽこ過ぎるのが玉に瑕となっている。良心的であろうとして、そういう欠陥に陥ってしまう作品は案外少なくないような気がする。お伽噺、少女マンガなどで、悪役のお姫様、継母、異母姉妹などが、主人公より経済的に恵まれていながら性格が悪いのも、そのヴァリエーションではあるが、裕福な環境で育った人間が悪いヤツだというのは貧乏人の僻み根性で、実は性格的にも豊かであることが多く、概ねの傾向と反していること夥しかったりする。
ゴジラは純粋な破壊者であり、決して行動原理が邪悪なワケではないが、人間の利害に照らせば明らかな悪役だ。それと似た要素がタガメにはある。しかも、ゴジラもタガメも美しいとは言い難いものの、大変魅力的な造形を示している。いたいけな子供達がヒーローものに夢中になるのも、表向き主人公のカッコよさに惹かれるからではあるが、心のどこかで悪役の存在感に憧れに近い気持ちを持っているからなのである。
実際のタガメは肉食生物の多くがそうであるように、狩猟方法は待ち伏せ方を採る。普段はじっと静かに構えているが、チャンス到来となれば巨大な体躯からは信じられないようなスピードで獲物を捕らえる。その方がエネルギー効率、狩猟成功確率、天敵からの護身等、様々な面で有利だからであろう。従って、水中のギャングとの異名は、見方を変えれば妥当ではない。少なくとも年がら年中暴れているような乱暴ものではなく、隠遁者に近い物静かなライフ・スタイルなのだ。
かと思うと、タガメは案外陸生も強く、飛翔力も強い。水中より陸上、空中の方がむしろアクティヴかもしれない。ゲンゴロウあたりよりも飛翔力は高く、飛行速度も速い。灯火に寄ってきて、電灯の周囲を旋回する様は豪快であるそうだ。水陸空、いずれも条件でも堅牢に武装化された万能兵器を見るかのようだ。だが、一方でその行動範囲の広さ、活発さが仇となり、夏の道路で車に轢かれて命を落とすことも少なくないらしい。活動は基本的には夜行性で、灯火に寄ってくるのも、その生態を物語っている。
大型昆虫の常で、個体の生命力は強く、一年で一回、または数回のライフサイクルに留まる多くの昆虫とは趣を異にし、生殖行為を終えても成虫越冬して翌年まで生き永らえるケースも少なくないという。水と一緒に凍り付いてしまっても死滅することなく、氷が溶ければ再び泳ぎ始めるという。人間に飼育されているものでは、寿命が三年に及ぶ個体も少なくないという。無論、一回の生殖で一年の命に留まる場合も少なくはないのだが。
雄と雌では、大差はないのではあるが、雌の方が明らかに強大である。雄は掴まっている水草の茎などを揺さぶって振動を起こし、雌を誘引する性質がある。カマキリはほとんどの場合、交尾後、雌が雄を食い尽くすが、タガメにもそういう傾向があるという。もっともカマキリは動くものを全て獲物と認識する性質があるが、タガメはそうではなく、ほとんどの雄は交尾後も生き残る。そして、産み落とされた卵塊を敵の襲撃から守る習性を持つ。この辺りはコオイムシとも似ているが、タガメの雌は雄の背に産卵するようなマネはしない。水草の茎をぐるりと回るように約100個程度の卵を塊で産む。
コオイムシの交尾、産卵は人間の文化であり「一夫一婦制」を思わせるが、タガメの生殖はそれとは著しく違っている。交尾が終わっても、産卵が済んでも、生殖行為は決して完結しないのだ。タガメの雌は何と産みつけられた卵とそれを守る雄を襲うらしいのだ。直接的には卵を破壊する行為で、卵塊破壊と呼ばれる。雄は当然、卵を守ろうと努めるのだが、強大なのは雌の方で、大概空しく敗れてしまう。そして、他の雌が産みつけた卵を破壊し切った後の雌は、それを守っていた雄を何と誘惑してしまう。最初は抵抗する雄なのだが、身体的不利は覆すことが出来ない。しまいには唯々諾々と手篭めにされ、結果的に嬉々として交尾に及んでしまう。つまり、不倫、略奪が公然と罷り通る世界であるらしい。
トンボ、それもカワトンボの多くが、交尾後、雄が既婚の雌に襲い掛かり、前の雄が残した精子嚢を掻き出して、自分のものを挿入するということは以前にも触れた。昆虫の世界でも、最初の婚姻が成立すれば生殖が完了するというワケでもないケースがあるのだ。これはタガメが強大であるがゆえに、一回の生殖、産卵ではセックス・ライフを完了することなく、何度も交尾、産卵を繰り返すことが可能であるという身体構造にも依存していると思われる。また、個体密度が過密である際に、生存の過当競争が必然的に生まれ、生殖の意思において支配的な雌が自らの種を残す欲求によって為される行為でもあるのだろう。いずれにしても、強大であるがゆえに再婚、略奪婚に及ぶという面で、どこぞのターミナル・アニマルの習性にも似ている。違うのは、雄と雌の役割が逆転していることぐらいである。
そういった習性を擬人化して、面白がるのは人間の勝手であるが、それはタガメにとって必然であると思われる。略奪の憂き目に遭った雄にしてみれば、守ろうとしていた卵があえなく破壊されたのは不本意かもしれないが、自分の種が絶たれるよりは目の前の略奪者と交尾して新たな卵を産んでもらうという選択しか残されていない。これがもう子種が一回で尽きてしまっているのなら、そういうワケにも行かないが。
多くの水棲昆虫と同じく、水中でのタガメは尾の部分の突起から空気を取り込む。従って、尾を上にしている姿勢を水中で保つことが多い。呼吸の代謝への効率はとても良好らしく、静かに水中に潜んだり、冬眠で無呼吸状態を長く続けても生き永らえるシステムが出来ているらしい。陸での活動、飛翔のメカニズムの他の水棲昆虫よりは優れているらしい。ならばどうして、現状において水中がタガメのワンダーランドとなっていないのだろうか?
おそらくタガメは水棲昆虫の中ではあまりに強大な存在となり過ぎ、自種の好都合な方向に自在な進化を辿っていったのではあるまいか。それはたとえば天敵である鷺などの水鳥の影響下では最適な範囲だったかもしれないが、人間というより恣意的な進化を遂げたものが支配する環境には適合しなかった。清浄で酸素を多く含んだ豊かな水という強者のみが享受出来る都合のいい環境も、人間が自らの作物のために散布する農薬に圧迫されてしまった。
「不倫は文化だ」などと言い放った、不遜なというより頭が足りない俳優がいた。彼など、「成功した俳優」という立場からの勝者の論理を恣意的に操っているに過ぎなかった。彼の棲む狭いフィールドではそれも通ったかもしれない。だが、彼と一緒にして欲しくないマジョリティという、より優先的な階層にとっては冷笑され、排除されるべき存在でしかない。彼がTV界に踏み留まっている理由は、そういったことをかつてノタまった成功者が、いかにして凋落を辿るかの見世物的な価値でしかないと感じる。優秀な機能を兼ね備えているハズのタガメが今歩んでいる経路も、この俳優と似ているような気がしてならない。あるいは恐竜滅亡の謎もこの辺りにあると考えれば納得が行く。制限を受けることなく恣意的な進化を遂げてしまったものには、ハイ・リスクが伴うのだ。
そう考えると、タガメの魅力的な特長である水中での強者振り、陸での自在な活動、高い飛翔能力も、颯爽として立派であるがゆえに、そぞろ哀れにすら感じられる。ただ、人間がタガメを上から見下ろしてそのようなことを考えるのは、そのこと自体、人間が恣意的な進化を遂げ過ぎて、既にタガメと同じ道を歩んでいることを意味する。すでに産業革命以降のほんの数百年で、人間という種は地球環境を大きく歪め、ウィルスの蔓延、温暖化、オゾンホール破壊、二酸化炭素増加といった自家中毒によって、自らの首を絞めている。タガメの方がマシと言えるだろう。
杜氏はそういった傾向にしたり顔で警鐘を鳴らしているワケではない。地球環境保護という命題にすら、人間本位の発想しか出来ない種に最早未来はなく、滅亡は必定である。杜氏ひとり、それを押し留めようとしたところで、ゴマメの歯軋りでしかない。言えるのは、現在の人間が存命中にカタストロフが起きるワケではないということだけだ。そういう絶滅危惧種の最たる存在である人間から絶滅を危惧されているタガメであるが、もし人間の方が先に絶滅を迎えることになったら、かつての水の王者は再び、世界中の河川を席巻するであろう。
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