

一時期ハリウッドに版権を売り渡したゴジラは悲惨な運命を辿った。ゴジラが人気を博したのは暴君龍ティラノザウルスのような恐竜を現代の映像に再現したことに拠らない。寧ろ目が正面に向いていたり、小さな耳があったりするような、恐竜にはない造形の功績が大きいと感じる。ハリウッド版ゴジラは「トカゲ」に過ぎなかった。米国でキング・オヴ・モンスターなどという称号を得ていても、米国人が如何にゴジラの本質への理解が希薄であるかが浮き彫りにされた。少なくとも作り手の意識の安易さは被うべくもなかった。国家ではなく、州兵に駆逐されるという情けなさも、あれがゴジラではなくトカゲだと思えば納得できる。アメリカの州兵というものは、日本人が想像するよりは遙かに強力で、それこそ日本におけるゴジラのライヴァルで、専守防衛の自衛隊よりは強いのだろうが。そういう問題ではない気がする。子供の怪獣好きは奇矯なるものへの憧憬から端を発している。異形についての考察に怠惰だったと言わざるを得ない。
ゴジラ、キングギドラなどはデザインの勝利と思われるが、多くの想像上の怪獣、怪人は造形的にあまり成功しているとは思えない。自然のモティーフを誇張し過ぎて陳腐化させるか、矮小化して失敗するかのいずれであることが多い。円谷プロのTV本格進出となった「ウルトラQ」が、過去の映画の資産の二次利用を中心にしながらも以外と健闘して、未だカネゴン、ピグモンなどのキャラクタでバンダイを潤しているのも、自然の生物のデザインを加工せずにそのまま活用していることが多かったせいかもしれない。蜘蛛男爵の「タランチュラ」や予言怪獣「ピーター」などがその例だ。結局自然に優るデザイナーはいないということなのかもしれない。
半翅目、つまりセミ、カメムシの類の水棲昆虫はどれも卓越した形状を示している。鞘翅目の水棲昆虫も、ゲンゴロウ、ミズスマシ、ガムシ等、それぞれに魅力的ではあるが、鞘翅目には及ばない。タガメ、タイコウチ、コオイムシ、ミズカマキリ、マツモムシ、アメンボ・・・etc. どれも水中生活という昆虫にとっても普通ではない環境に耐えることを通じて、独自の生態を編んでいるように見受ける。怪獣に異形を見出す子供にとって、魅力的な類であることは間違いない。
ここに挙げた半翅目水棲昆虫は例外なく肉食である。しかも吸血型。毒液を差し込んで獲物の動きを封じながら体液を吸う。犠牲になるのは小型の水棲昆虫かメダカのような小魚、オタマジャクシ、カエル。アメンボも水中に引き込まれて犠牲となるケースが多いようだ。タガメなどは身体も大きく、食欲も旺盛だが、タイコウチは逆に日常は緩慢で補食の際にだけ俊敏になる。前脚二本でのみしか獲物を捕らえるのに用いない影響で、自分より身体の大きなものを狩ることができない。タガメをややスリムにして尾を長くしたものがタイコウチ、更にその傾向を強めたものがミズカマキリであると言えなくもない。
補食に用いる前脚はカマキリの鎌のように機能する。それを鼓手が太鼓を叩くような動きで用いるので、タイコウチの名がある。長い尾の先端を水面に出して、そこから呼吸する。忍びが水中に潜み、水面に竹筒の先を出して呼吸するのは、このタイコウチやミズカマキリの生態にヒントを得たに違いない。この二つの特徴だけでも、子供達にとってタイコウチは「実在する怪獣」に成りうる。
ミズカマキリはカマキリと類似した体型を持ち、頭の形、目の付き方まで似ている。同じ補食性の昆虫として必然的にそういう形に帰着するのかもしれない。豪州の有袋類が他の大陸の動物に似た形状を持つような適応分散なのかもしれない。ミズカマキリとタイコウチの相違は体型などもさることながら、活動量にもあるらしい。ミズカマキリはかなり積極的に補食を行う昆虫であると聞く。タイコウチと比較するとかなり飛翔も巧みで、灯火などに寄ってくるのも珍しくはない。
タイコウチはその攻撃的な形状に似ず、典型的な待ち伏せ型の肉食昆虫である。よく動物園、水族館で、獰猛さを伝えられるワニが生きているのか死んでいるのかわからない程の怠惰さで静止しているのを見掛けるが、タイコウチもそれに似ている。ひとたび獲物を発見した際の迅速な動きへの豹変も含めて。普段は浅瀬で身体を斜めにして尾を出しながらジッと動かない。だから流れのない、または停滞している浅い水中を好む。待ち伏せ型の特徴としてアリジゴク(ウスバカゲロウ)などと同じく、飢餓にも大変強いそうだ。普段は不活性な動きしかしないせいか、寿命も長いらしい。成虫で越冬するらしく二〜三年は生きる。もっとも、タイコウチよりは活動的なタガメも同じ程度の寿命を持っている。
飛翔は苦手であるらしい。水から上がって甲羅干しをして、身体(翅)が渇いて軽くなるのを待って飛ぶらしいのだが、凡そ自然な状態でこの昆虫が飛翔するのを見た試しがない。ゴキブリやカマキリの方が余程よく飛ぶ。かといって泳ぎが巧みなわけでもない。この昆虫には「子供の頃には体育が苦手だったけど、狙った獲物は必殺必中で逃さない凄腕の狙撃者」を思わすものがある。飛翔と水泳の能力を犠牲にして、補食に全てを賭けている印象だ。
このような生活に適した浅い止水または半止水の淡水という環境には自然の状態でさほど恵まれている訳ではない。だが、とても適した場所がある。田圃である。多分タイコウチは元々沼の浅い部分などで細々と暮らす昆虫で、元々がミズカマキリやタガメよりも個体数が少ない種類だったに違いない。それが人間の作った水田という環境に適合して、爆発的に繁殖したのではないだろうか。人間が水稲を耕作し始めたのはここ数百年のことだったろう。とても長い時間のように思えるが、人間が登場する遙か以前から、地上に暮らしてきた昆虫にとっては「最近のこと」とも言える。人が居住する空間をフルに利用しながら繁殖し続けているカブトムシ、クワガタムシとその点はよく似ている。タイコウチを増やしてきたのは自然の野原に水を引き込み、米の栽培を促進してきた人間だと言える。したがって、田のカメムシを意味するタガメの名は、タガメより寧ろタイコウチにこそ相応しい気がする。外見の押し出しからして、タガメが半翅目の代表と目されるのも致し方ないところだが。
その同じ人間の手によって、田は減反政策で水田を減らし、残ってはいても農薬によってタガメ、タイコウチはニッチを圧迫されている。夏〜秋の繁殖期にプールという人口の止水が一時的に出来る。人が泳ぐことなく塩素による消毒が施されなくなったプールには水棲昆虫が当然の如く集まり生殖を試みる。勘違いではあるが、そのそも、人間の側の事情など昆虫が斟酌するはずもない。それらの昆虫をプールから水を引く前に救出しようという試みが都市部を中心に組織的に行われている。主に救出されるのはトンボ、つまりヤゴだが半翅目昆虫も数多く見出されるらしい。だが、その中にタガメは殆どおらず、飛翔という移動手段と浅瀬に限定しない泳力を持つミズカマキリに較べて、タイコウチの出現率は数分の一であるという。プールという緊急避難的で人間の保護なしには繁殖場とは成り得ない環境すら、タイコウチの安住の地とは言えないのだ。
Easy come, easy go. 田という一時的な特需によって版図を拡げたタイコウチは当然の報いを受けただけなのかもしれない。いや、特需が去った後の報いは農薬や都市/宅地開発によって、それ以前より悪い状況をこの昆虫にもたらしているようにも思える。だが、日本人が米を主食にし続ける限り、減反は為されても田はなくなりはしない。そのうちにタイコウチも田に代わる新たなニッチを見つけ、再び繁殖し始めるような気がする。それがならなければ、滅亡するまでのことだ。レッドブックに載るか否かなど、昆虫にとっては知ったことではないし、人間がそのような独善的なものを編み出す前に、絶滅してしまった種は数知れないだろう。それも必然であったのだ。それでも、おそらくは人間の減反政策よりはタイコウチの生存策が上手を行くような気がする。伊達に怪獣もかくやと思われるような奇矯な生態を示しているワケでもあるまい。
小学生の頃、通学路には田圃が拡がっていた。杜氏達は道を降り、畦道を伝って家路を辿ることが多かった。ある日、田圃の中に成虫となった大きなタイコウチを見つけた。杜氏はそれを手にしたくなり、矢も楯もたまらず田圃に足を踏み入れた。結果はご想像の通りである。足を泥濘に捕られ、膝から下が田圃に没してしまい、足を進めることがままならなくなってしまった。目的のタイコウチまでは数メートル。だが断念せざるを得なかった。獲物を発見すれば敏捷、飢えには辛抱強く長寿で生命力旺盛、隠遁も巧みという稀な特徴を持つタイコウチは、動きが鈍く決して捉えにくい昆虫ではない。しかし、この一事を以て、杜氏にはあと一歩で掴まえることが出来なかった幻の昆虫となった。
程なく田は消え、その跡に住宅が林立した。住宅地が定着してもう久しいが、そこを通る度にあのタイコウチの行方に思いを馳せる杜氏である。
Winery 〜Field noteへ戻る