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産卵管はその生態に合わせ、単に産卵以外の目的にも耐え得るように発達させた昆虫もいる。蜂の類がその代表だろう。蜂以外の動物が蜂を恐れる原因でもある針は産卵管が発達したものだ。だから、集団生活を営み、その巣に一匹しか居ない女王に生殖、繁殖を任せるミツバチ、アシナガバチ、スズメバチなどは、圧倒的多数を占めるハタラキバチは生殖力のないメスである。メスだから産卵管でもある針を持ち、外敵に抗することが出来る。蚊は産卵管ではなく発達した口吻で哺乳動物から吸血するが、そういう挙に出るのはメスだけで、よく見かける蚊柱を成して集団で性フェロモンを噴霧しながらメスを誘っているオスは植物の果汁などを糧としている。生殖、産卵という作業が生物にとって優先的なことであるのを痛感させる生態だ。多大なエネルギーを要するからこそ、産卵管は武器ともなり、草食の昆虫を吸血に走らせる。
蚊に食われたあとが腫れて痒くなるのは、抗体抗原反応、つまりアレルギーである。血が固まらないような作業を施しておかないと、蚊の口吻は血の凝固で抜けなくなるらしく、再び同じ箇所から吸血する目的で蚊は体内のヒスタミンを働かせるような試みを必ずするらしい。それが人間にとっては虫さされであり、虫さされの薬は抗ヒスタミン剤であることが多い。蜂も攻撃の際に遠大な罠を仕掛ける。蜂に一度刺された動物は、やはり体内に抗体を作ってしまう。蜂に刺されてショック死する者は決まって複数回被害に遭っている。いわゆるアンフィラニ毒死である。蜂のもたらす毒自体ではなく、体内の抗体抗原反応が自身を死に至らしめるような働きをするのだ。複数回そういう目に遭う動物は蜂にとって攻撃を繰り返しかけてくる危険な敵である。蜂に刺されることはそれ自体で立派な危険信号となるが、それでも懲りない連中は遠大な時をかけて自らの体の反応によって葬り去られるのだ。ある意味で呪いのようなものかもしれない。これもメスのみが為せる業だ。生物の生殖、繁殖に対する執着を象徴している現象なのかもしれない。
タマバチという微小な昆虫がいる。姿そのものよりも、その昆虫が為した行為の結果によって強く認識される種である。虫えいと呼ばれるものがある。植物の葉の一部が変形して瘤のようになった状態である。中には無数の昆虫の幼虫が変形した植物を食用にしながら暮らしている。一般的には虫こぶと言われる。サクラ、ケヤキ、クヌギ、クリ、漆の一種のヌルデなどに見られる。タマバチ、タマバエ、アリマキなどの昆虫がこの虫こぶを作る。アリマキは知らぬが、タマバチ、タマバエなどは産卵の物理的刺激で植物が反応し葉の一部を変形させたものであると考えられる。ヌルデの虫こぶからはタンニンを抽出することが可能であるそうだ。ヌルデの虫こぶは没食子(もっしょくし)と呼ばれ珍重される。これらの昆虫は肥大させた葉、つまり虫こぶを食糧とすると同じに、外敵から身を守る住まい=幼虫の揺籃として利用している。桜に出来る虫こぶなどは葉の緑に対して赤紫に変色して、人間の皮膚なら爛れを思わせる痛々しさだ。
タマバチ、タマバエが異常なのは産卵によって虫こぶを生成することばかりではない。繁殖期の到来によって、春から夏にかけて一度、両性生殖(つまりはオスとメスによるノーマルな生殖)によって繁殖した後、もう一度秋から冬にかけてメスだけによる単性生殖をすることだ。中には単性生殖しかしない種もあるという。
カタツムリは両性具有であるらしい。だが交尾をしない訳ではなく、つがいのカタツムリが互いに刺し違えでもするかのように生殖行為を同じようにかわすのだという。だが単性生殖の昆虫にはオスは必要がない。我々男性にとっては恐ろしいことだ。考えてみれば、子孫を産むことが出来ないオスは、メスだけで繁殖が可能だとすれば存在価値はない。発達した産卵管で戦うことも、動物の血液から貴重な蛋白源を奪うことも、植物にアレルギーを起こさせて幼虫の食糧とねぐらを確保することもできないオスは極論すれば必要がないのだ。事実、蜂や蟻のオスは生殖のみの役割を果たすだけで、巣の中で右往左往しているだけに見える。生産性は皆無に近い。巣のライフサイクルが一巡すれば、ひっそりと処分される不遇な存在だ。
旧約聖書では神がアダムのあばらからイヴと作ったとされている。男性主導の人間社会を反映した身勝手な解釈に過ぎない。性というものが不要ならば、最初の人間は当然イヴであり、最後に残るのも当然イヴになるだろう。
虫こぶは奇妙な形をしており、興味を引くが、植物のアレルギーまで利用するのは実際にはメスだけである。虫こぶを見掛けるたびに、ありとあらゆる生物のオスの立場の危うさを覚え、同じ生物のオスとして存在価値の危機をかすかに感じざるを得ない。
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