

野球の投手がスターター、セットアッパー、ストッパー、(敗戦処理、捨てゲーム担当)と完全分業制になっているのと同様、住居の構造物の製作、修理などには専門業者がいるのに、人間は自分で直せたり作ったり出来るものは自分で処理してしまったりする。いわゆる日曜大工である。DIY(Do
It Yourself)などと言う英語まであり、それがDIYセンター(金物屋ではどうしていけないのだろう)などという流通機構の一角を成しているところをみると、欧米にも日曜大工は浸透しているのだろう。これが苦手な男は、「棚ひとつ自分では吊れない」などと罵倒される屈辱を味わう。杜氏は幼い頃からプラモデルひとつ出来ない不器用さで、美術も技術家庭も大嫌いだった。仕事で半田付けをしなくてはならない仕儀に陥ったが、途中でのダンゴ状のダマだらけのテータラクのおかげで免除になったこともある。
住まいの設計・施工に関して専門の役割分担があるワケではない昆虫は、その必要が生じる際は独力、または営巣に関わる集団でそれを為さなくてはならない。杜氏が営巣を必要とする昆虫だったら、即刻野垂れ死にしていただろう。人間に産まれ、しかも机上で作業する技術者に育って良かったと思う。
スズメバチ、アシナガバチの類は集団生活を営むことが多い。巣は集団で住む必然なのか、切り口が六角の六角錐を微妙な曲率で折り曲げたものの組み合わせである。この六角形の形状は、人間の文化にも応用されている。ハニカム構造と呼ばれるそれは、強度、機能の面でとても豊かな恩恵を、人間にもたらしている。
ただ、単独で生活を営み、営巣も単独で行うものもいる。トックリバチはそのひとつである。ただ、その営巣は成虫が生活する為ではなく、外敵から殆ど無防備な力しか持っていない卵、幼虫、蛹と育ってゆく次世代の個体のために作られる。
分類上は形態からみてもスズメバチ科だが、生態から前にも載せたジガバチ、ベッコウバチなどと並んで、狩人バチと位置付けられる。幼虫の食糧の為に、獲物を生きたまま麻酔針で捉え、巣に貯蔵して産卵する生態が狩人バチの特徴である。ジガバチの類でもキゴシジガバチのように土を素材として営巣する種もいるが、トックリバチの場合、巣の形状、営巣の過程がとりわけ精緻を極めている。
盆に墓参りをした際に、墓石を水で洗っていると刻まれた文字の溝に妙なものを見つけた。ただの土くれのようだが、中心に穴が開いており、その周辺が襟のように突出している。トックリバチの巣であった。墓石の字の中という妙な場所であったので、変則的な形状になっていた。トックリバチの中でも特に完璧な巣を拵えると言われるキアシトックリバチのものではないと思われた。でも、トックリバチには違いなかった。周辺の草取りをしていたところ、ヨトウムシ(よく見るイモムシでヨトウガの幼虫)を見つけたから、獲物には事欠かない環境なのだろう。
キアシトックリバチは直径1.5センチほどの完璧な球形の巣を作る。陶芸家がロクロを用いたように精緻なもので、見つけると息を飲んで見つめてしまうほど見事なものだ。襟付きの入り口の穴があるので、球形の徳利のように見える。無論、その名も徳利から来ている。一目瞭然である。
仕留めたイモムシが生きたままの状態で、幼虫の食糧として約十ヶ月近く腐敗せずに保つのと同様、ただの土くれで出来たとしか思えない巣も激しい風雨の中、壊れずに揺籃として機能する。単なる土くれではないのだ。営巣するときに成虫が自らの唾液を取ってきた土に混ぜて捏ねるらしい。この唾液に含まれる高蛋白質が人間の住居の外壁の漆喰に相当する役割を果たし、強度を保つ。何でも食してしまう中国人が、イワツバメの巣を海に切り立つ崖から、わざわざ危険を冒して採取し、スープにして高負荷価値をつけて売っている。スープとして重要なのは、営巣に用いる唾液のゼラチン質であるらしい。(杜氏はそのようなものを食したこともないが) トックリバチもイワツバメ同様、血の汗を流すようにして唾液を巣に塗りこめてゆく。初めから湿っている土の方が細工もしやすそうに思えるが、それでは充分な強度が確保できないらしい。このためトックリバチはわざわざ乾燥した土を選び、自分の頭より大きな塊を何度も建設中の巣まで運ぶ。
ロクロの機能を果たすのは自分の身体らしい。回転するロクロが使えない為に、自分自身が回転して壁を塗ってゆく。当然、巣の径の寸法は自分の体長が基準になる。壁の厚さ、入り口の径、高さ、形状なども触覚を中心とした自分の身体の各部位を基準にするらしい。産卵される卵はたったのひとつ。ということは、トックリバチは複数個こういった巣をせっせと築いていることになる。成虫の期間は数ヶ月と、他の昆虫に比べて長いが、それも道理である。ただ、その間に自然の条件で生活していれば翅などの各器官は磨耗してゆく。晩年の営巣は寸法の基準となる器官の欠損などで、「手抜き工事」気味になるらしい。そこで育つ幼虫の生存率にも影響はあるだろう。トックリバチの世界では末子へ向かうほど損であるようだ。
餌となるイモムシは先に述べたようにヨトウムシ、メイガの幼虫などの鱗翅目の幼虫、簡単にいえば蛾になるイモムシである。大小に贅沢は言っていられないらしく、様々な大きさの幼虫が狩られるらしい。だが確かなのは巣が一杯になるまで獲物が押し込められるらしい。大きいイモムシなら数匹で一杯になるが、小さいものだと数十匹に及ぶという。そこに巣ただひとつの卵が産みつけられる。
襟がなぜあるかという疑問が残る。これには判っているだけで少なくとも二つの意味合いを持つという。ひとつは獲物を搬入するときの導入。穴の径に対してそれ以上の太さを持つイモムシの場合、昔の量り売りの酒屋が使う漏斗のように、広い径から細い径への獲物を導入するという。イモムシの身体は柔軟であるから、トックリバチが押しこめば容易に変形して穴をすり抜けて巣の底に落ちる。もうひとつは古代の貯蔵庫の鼠返し、戦国武将の城の忍び返しと同様、外敵の侵入を防ぐ機能。天敵であるアリが入れないように出来ているのだ。アリジゴクの構造からの判るように、アリは案外自由が利かない。滑らかな面で出来た外に向かう曲率を持つ構造には対応できない。手抜き工事の場合、その当たりから齟齬が生じることは想像に難くない。
ロクロ、漆喰、漏斗、防犯装置。少し考えただけでもこれだけの人間文化との相似関係を見出すことが出来る。しかも、これは人間のように叡智の産物ではない。トックリバチにおいて成虫と幼虫が同じ時間を共有することなどない。増してや、成虫が集まって営巣講座で学習するような馬鹿馬鹿しいこともない。つまりこの見事な習性は教育の産物ではなく、遺伝子に刷り込まれた本能に帰着するのだ。人間の建築学において、様々なノウハウが蓄積されてきただろう。でも、それは人間が本能を失ってしまい、生まれながらに理に適った住まいを作れなくなっていることを物語っている。
「昆虫の営巣に学ぶ」のもいいが、大切なのは叡智が本能を上回るものではなく、功利主義、企業競争の原理などの輻輳した価値観により、簡単に安全性を損なう可能性を秘めることを強く認識することだろう。バベルの塔の教訓は、現代において充分に活かされていないように見受ける。映画「タワーリング・インフェルノ」は絵空事ではないし、「タイタニック」は単なるラヴ・ストーリーとは違う史実である。トックリバチは決してそのような愚は冒さない。
(蛇足)
とここまで結論付けておいて、ふとあることに思い当たった。営巣、狩猟、産卵の大変な一連の作業は、すべて雌バチによって為されるのであって、雄バチは何ら生産的な作業をしない。その前の交尾が雄バチの役割の全てである。第一、トックリバチに限らず、およそハチの類で雄という存在は殆ど意識されない。ハチの特徴である針は産卵管でもあるから雌特有の器官である。つまり、ハチの雄は敵を刺すことすらできないのだ。集団で暮らすハチのハタラキバチはすべて生殖機能を持たない雌であり、雄は巣の中でグータラしている。唯一生殖能力を持つ雌は女王バチだが、女王などは人間の想像の産物で、位が高いワケではない。女王バチもまた、巣の中では産卵を際限なく続ける機能に過ぎない。集団生活をする種のハタラキバチ、トックリバチ(ジガバチでも)の雌こそが、ハチとして意味のある生産活動をしているように見受ける。
この分なら、杜氏のような不器用な男がハチに生まれたとしても罵倒されて野垂れ死にしなくて済むのかもしれない。動物にも性による較差は存在する。産卵を司る雌の方が大きく、雌を呼び寄せるために雄の方が美しかったり、鳴くことが出来たり、ダンスなどの芸があったり、フェロモンを発したりするケースの方が多い。一方でトックリバチのように、活動をするのは全て雌というケースもある。それは生物がそういうふうに出来ているからだ。
かつて人間の男が外で食い扶持を得るための狩猟を行い、女が家で育児と銃後の守りをする習性を持っていたのも、当時の人間がそういう生物だったからだろう。そして他の生物に何ら生命を脅かされることがないまでに強大となった今、自然のフィードバックから人口の抑制が少子化、大量殺人などによって起きているとも考えられる。「女性も男性と等しく外で狩りをする」傾向が顕著となれば、出産機会も制限され、マクロで見れば人工抑制の方向に機能する。性差の撤廃が叫ばれるのも、今の人間がそういう生物であるということであろう。
思想、哲学、宗教などの遥か上空の高みで、自然の営みが全てを制御している。
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