ツチカメムシ
珍しいというのは相対的な価値でしかない
小学校三年生で、横浜の境に位置する横須賀の北の外れから、横須賀南部で東端の町へ引っ越した。父の勤めていた大きな電機メーカーの工場は横須賀北部にあり、通勤には元いた社員寮の方が好都合だったが、一生社員寮住まいというのも苦しいものがある。父は一念発起して一戸建てを持った。だが、地の利がいい場所はなかなかあるワケではなく、新規に山林を切り拓いた造成地は横須賀の外れで、歴史に名高い黒船来航の浦賀と日本最古の洋式灯台で有名な観音崎の間に位置していた。鴨居と呼ばれるその一帯は、神を意味する古語であるカムイから来ていることからして、人手が入りにくい秘境だったに違いない。つまりは横須賀自体が首都圏の幹線道路から外れ、軍港も米国に召し上げられて街の存在意義が薄らぎつつあった田舎であったのに加え、杜氏は更に「横須賀のチベット」とも呼ばれる田舎に引っ越してきたことになる。
だが、考えてみれば、元いた横須賀の北端の町にしたところで、ムラサキトビケラやヘビトンボといった珍獣のフゼイを醸す昆虫が平気な顔で跳梁跋扈していた結構な田舎であった。
杜氏が引っ越してくる直前まで、引越し先は住所に「字」がつく土地だった。横須賀市鴨居字早稲田といった。そンな住所では格好が悪くてなかなか人が集まらないと思ったのか、早稲田団地は二葉二丁目という、名前の由来がいかにも不明瞭で取ってつけたような地番となった。
杜氏は教師に徹底して嫌われるタイプであったらしく、前の土地では偏屈な性格の担任に徹底してイジメられた。今思うと、教師全員に嫌われたワケではなく、デモシカ教師で劣等感を持っているか教師というステイタスに自負が満たされず不満を抱いている偏狭なタイプの教師に、専らターゲットにされた感がある。成績がいい反面、優等生ぶりっ子の演技が出来ず、忘れ物や落し物をしても平気な顔をしていた杜氏には、こうしたタイプの教師の鬱屈を刺激する要素があったのだろう。三年生の担任は杜氏が遇った教師の中でも最低最悪な男だったので、12月12日というあと二週間足らず我慢すれば二学期も終わる時期に、そそくさと転校してしまった。
引越し以前に転校先の学校の風土のようなものは、子供なりに情報収集していた。人懐こくて、好奇心が強いとのことだった。要するに、いい意味で田舎ということらしい。転入してみると正にその通りで、杜氏は概ね好意的に受け容れられた。前の担任教師に酷い目に遇わされていたから、戦々恐々としていたところがある。転入先は確かに元いた町よりは不便ではあったが、杜氏と同じサラリーマン子弟も多く、首都圏のベッドタウンという意味合いからは、さして環境の変化はなかった。横須賀には自衛隊子弟も多い。彼らは自衛隊の拠点がある舞鶴とか江田島とか三沢とかを転々とする傾向がある。適度に転校生には慣れていた。だが、小学生にとって単調な学校生活の中で、ニュー・カマーを迎えるということは、好ましい刺激には違いなかったようだった。単純に言ってしまえば、物珍しいのだ。それは一方で、転入する側にとっても同じことだった。
珍しい昆虫と人が口にする場合、それはその人にとって目に触れる機会が少ないことを意味する。昆虫は概して目立たぬ場所も含む、地球上の陸地、淡水域のありとあらゆる場所に拡散しているのであって、個々の人間が立ち寄る領域以外にもニッチを確保している。個体数が多くても、ある人にとって馴染みの少ない場所をニッチとしている場合、その昆虫は珍しいということになる。よくあるのが、珍しい昆虫を捕らえたと、虫に詳しくない人が興奮しているのを見て、「虫屋」などと特権階級を気取っているのか、そンなことにカマけている自分を卑下しているのかよくわからない「屋号」を僭称している連中が、「それは普通種ですよ」などとシタリ顔で指摘して、興奮している人を落胆させる図式である。いやはや、虫屋(チョウ屋、甲虫屋、天牛屋、カメムシ屋、オサムシ屋、etc.)センセイにはなりたくないものだ。その人にとって、珍しくて感興をそそる虫であれば、それでいいではないか。こういうヤカラを野暮天と呼ぶ。
希少種の標本蒐集などに血道を挙げる連中にとって、普通種という言葉は差別語に近い。魚で言えば雑魚と言っているようなものだ。子供の世界でも、カブトムシ、クワガタムシを求めて林縁のクヌギ、ブナ類の樹を訪れる者達は、カナブンを見ても、「何だ、カナブンか」という反応しか示さない。増してや微小なヨツボシケシキスイなどは存在すら無視される。普通種を蔑むとはつまり、そういうことだ。もっとも、カブトムシ、クワガタムシの大半が普通種に属するのではあるが。
ゴールデン・ウィークから盛夏にかけては、生物達の活動も旺盛な時期であり、植物の生育の著しい。おかげで数年前までは休みになると、家の近くの誰の土地でもないゾーンの草むしりに駆り立てられることになっていた。今はそのゾーンはコンクリートで塗り固められ、草一本生えなくなってしまった。こうなるとかえって寂しく感じるのだから、人間という生物は身勝手なものだ。
ご承知の通り、草むしりというものは、地表に露出している茎や葉を除去すればそれで済むものではなく、根から引き抜くことが肝心だ。植物は根さえ健在であれば、多年草や樹木の場合容易に再生する。ユリなどの場合、成長点と呼ばれる植物の設計図が縮小されて格納された部分を潰されると、その年はもう花をつけないが、そういった繊細な植物ばかりではない。種類によっては、ハンマーを投げるのと同じ程度の労力を費やして、やっと引き抜くことができるようなものもある。植物とて生物であり、草むしりは殺戮にほかならない。殺生を好まない杜氏ではあるが、まあご近所には雑草一本生えていない空間をお好みの御仁もいらっしゃるので、それも致し方ない。
草むしりをしていると、草が根を張っている地面を必然的にほじくり返すことになる。実に種々雑多な昆虫やその他の節足動物、場合によっては両生類、爬虫類が地面の下で平穏な生活を貪っている。卵や幼虫を抱えて右往左往するアリ、何か起きたのか判断がつかず丸まって擬死するダンゴムシ、幼虫の時分は何の種類か特定不可能なコガネムシの幼虫、何だかいい加減な命名をされてしまっているゴミムシの一種であるゴモクムシ、人間から見ればコミカルな仕種で親しまれているケラ、etc. ウチの会社のライヴァル企業が、地デジをもじった地底人をコマーシャルに登場させていたが、正に地上で昆虫などとは無縁な生活を営んでいるサラリーマンにとって、それらは地底人のような存在である。
その中にちょっと違和感を誘う種を見ることが出来る。カメムシである。しかも、地上で頻繁に見られるカメムシとは、少々趣きが異なっている。全体に黒光りして翅の端だけ褐色を帯びている。普通のカメムシのように角張ったり、ゴツゴツした感じはない。体長は5〜10mm程度だろうか。微小とは言えないものの小さい。ゴキブリのような印象だと言う人もいるが、そうとは感じられない。カメムシはカメムシなのだ。身体の構造は明確に半翅目のものだ。だが、主に草原、樹上などの地上をニッチとする典型的なカメムシとは、どことなく違って見える。草むしりをしている最中にコイツに出くわすと、レギュラー・メンバだとはわかっていても、いつも意表を衝かれてしまう。
身を隠すのは地中であるが、食餌は地上で得るらしい。ヤツデ、クスノキ、クズといったよく見られる木の実が地上に落ちたものを、カメムシ類の共通的な口吻である吸汁型の口で啜るという。また地中で草の根を吸うこともあるらしい。桜の実、つまりサクランボを住処である地中に持ち込み、吸っていることも観察されている。殆ど人間の生活には無害と言っていい。だが、例によって「不快害虫」だ。ターゲットとなる木の実、草の実は別段限定されているワケでもなく、多岐に渉っているし、争って奪う合うようなものでもないことからも、効率的な食餌を実現しているとも思える。哺乳類で言えばリスのようなものだろうか。だが、リスほど人間に注目されることなどは決してない。リスのように愛玩を受けるようなこともない。
ツチカメムシの属には、18mmと大型(巨大と言っていい)のヨコヅナツチカメムシや、体色の紅色が美麗なベニツチカメムシ、特徴的な紋様を持つヨツボシツチカメムシなどがある。いすれも似た生態を持っている。成虫は4〜盛夏に活発に活動するようであるから、正にゴールデン・ウィークや夏休みの草むしりの時期に一致している。越冬は成虫の姿でするらしい。カメムシ特有の臭気を発するかどうか、文献には示されていない。だが、草むしりをしている限り、そうした被害に、少なくとも杜氏は見舞われてはいない。
休みに草むしりでもしない限り、この昆虫には滅多に出くわすことなどない。また、地上でツチカメムシを目にしたとしても、目立たないし大きくも立派でもないので、まず目にとまることなどないだろう。だからと言って、珍しかったり、蒐集家に珍重される種ではない。普通種である。草むしりをしていれば、必ず数頭は目にする程度の種でしかない。
姓が少し耳慣れないだけで、珍名さんなどと呼ばれる。杜氏なども鈴木、佐藤のようないわゆる普通の姓ではないので、よく「珍しいお名前ですね」などと指摘されることもある。だが、そういう珍名さんに限って、出身地の一帯では集落全体がその名前だったりする。(区別は「屋号」でされたりする) ツチカメムシが珍しいとされたり、絶滅危惧種の軽度なグレード付けをされたりするのも、それとよく似た事情からであるように見受ける。
人間にとって珍しかろうが、そうでなかろうが、ツチカメムシは安住の地である地中と、そこかしこに落ちている植物の実がある限り、人間の目に付かぬまま生き延びてゆくと思われる。
珍しい、変わっているというのは得てしてネガティヴな評価に属する。反面、希少価値を活用して、負を正に転換することも可能だ。局所ではとてもありふれたものであっても、置かれた場によって相対的に希少価値が見出されることも少なくない。そういったことを有利な要因に活用しない手はない。普段目に付かぬ普通種であるツチカメムシは、こうした教訓を人間に物語っている。当のツチカメムシ君達には、そういった意図は無論サラサラないのではあるけれど。
Winery 〜Field noteへ戻る