ツマグロヨコバイ

どうしてあなたはツマグロヨコバイなの?


 東国のことをいにしえよりあずまと呼ぶ。なぜだろうか? 東征に一段落つけた日本武尊は、それに大きな犠牲を払った。三浦半島から房総へ渡る際に船が暴風雨に遭い、神の怒りを鎮めるために妃である弟橘媛が荒れ狂う海に身を没して果てたのだ。横須賀に箱崎という地名がある。実は現在の横須賀市民にとっては無意味な地名だ。そこは半島に殆ど接した島であり、全土が米軍基地の管轄でしかない。だが、その地はある意味で歴史上意味がある場所である。ここに身を投げた弟橘媛のつけていた櫛が流れ着いたのだという。おそらく漂着したのは櫛ではあるまい。それは別のもっと明確な遺物の暗喩であろう。
 日本武尊は東の方角を見て、「吾妻」(ああ我妻)と嘆いたのだと言う。それが当方を指す固有名詞となったらしい。哀切なエピソードではあるが、杜氏から東国は中央にとって、まつろわぬ民が跋扈する夷荻の国であった。でなければ征夷大将軍などという役職名が戦国末期まで意味のある言葉であったハズもない。征夷、つまり東夷を征する将軍である。
 そンなことを言いたいのではなかった。万葉の昔、愛する男女は妹背で呼び合った。これなら男女の区別は明白だ。だが今でも妹尾という苗字の妹は「せ」と読むし、明確に男性であった小野妹子の名に妹が入っている、「つま」にしても妻、嬬だけではなく、夫も「つま」と読ませる。男女の呼び方の混乱が窺われる。これは今も一部の特殊な人種が第二人称代名詞を「ワレ」(我)とか「テメェ」(手前)とか「ボク」(僕)というように使うのと似ている現象なのだろうか。相手に自分を投影して話すとこういう現象は起き易い。子供の立場で話そうとすると、夫婦は概して自分の親でもないのに、「お父さん」「お母さん」と呼び合うし、自分の親を「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼ばわる。考えてみれば、これはおかしい。
 ツマグロヨコバイの「ツマ」は妻でも夫でもない。刺身のツマと同じ、端である。まさか、昔は妻を家の端に置いていたからツマとなったワケではあるまい。性差別発言ではない。なぜなら夫も「ツマ」なのだから。ツマグロヨコバイの前翅は全体に薄い黄緑色をしているが、端が黒いのだ。これはツマグロシロチョウとか、ツマキヘリカメムシ、ツマグロヒョウモンなども同じで、翅の端の色に特徴がある場合によく用いられている命名方法である。ツマグロヨコバイの場合、全個体の翅の端が黒いのではなく、その特徴を持つのは雄だけである。つまり妻のツマは黒くはない。何とも紛らわしい。
 アニメ・「おじゃる丸」の従者は人間ではない。おじゃる丸自身、妖精であり人外の存在であるのでそれも当然かもしれない。昆虫の形をしているが昆虫ですらない。デンボ、つまりデンキボタルなのであって、何と平安時代からタイムスリップしたのにもかかわらず、昆虫型のロボットである。他に「ウシ」というのもいるが、それはどうも本当に牛であるらしい。人間の言語を解す、超能力者の牛なのだが。その甲高い声で話すデンボは、形態上、どうも鞘翅目のホタルと言うより半翅目のセミ、カメムシに近い気がする。原作の絵がそうなっているのだし、そもそもロボットなのでデザインは自由だ。ツマグロヨコバイも半翅目昆虫であり、セミによく似ている。おじゃる丸のデンボを少しスマートに引き伸ばしたような形をしている。およそどこにでもいる昆虫で、灯火にもよく飛来する。シンプルで明るい緑とアクセントの黒がお洒落で、可愛い印象もあるのだが、可愛いなどとたわけたことを言っていると、ぶっ飛ばされかねない生態を持っている。
 以前触れたアオバハゴロモにも近く、ハゴロモと同じように外敵の気配を察知すると、横に這って止まっている植物の茎や枝の反対側に逃げようとする。そンな横着なことで逃げ切れるものかと心配になってくるような情けない動きをする。一部の鞘翅目昆虫にも似たような行動を取るものもいる。鳥などには有効な方法なのかもしれない。横に這うからヨコバイである。体長は1cmにも満たない程度。類似種のオオツマグロヨコバイでも1cmを越える程度だ。人体にはまったく害はない。人の手を噛むことはあるらしいが、多分大した痛みを伴うこともない。アレルギーを誘発するでも、毒を残すでもない。病原菌を媒介するのでもない。その代わり、人間にとって最も大事な作物に被害をもたらす。その植物とはイネである。
 人間には無害でも、萎縮病などの病気をもたらすウィルスを媒介する。また、排泄物が葉を汚し、正常な生育は無論のこと、収穫がまったく出来ないような事態を招く。そもそもこの昆虫は多食傾向にあるらしい。セミに近い種であるから口吻をイネ科の植物の茎に突き刺して吸汁する。そしてその傍から排泄を行うらしい。この排泄物に糖質が吸収できない分、多量に含まれており、それが葉に着いてすす病という葉や穂が黒ずんでしまう症状を招くという。また、萎縮病はこの虫が媒介するウィルスによって生じる生育を妨げる症状であるらしい。稲作農家にとって不倶戴天の敵であるに違いない。
 一時期はウンカと並んで大量発生し、甚大な被害を与えたらしいが、最近その影響も小康しているように見受ける。駆除の方法が進んできたためだろう。だが、農薬も万能ではないらしい。ツマグロヨコバイは世代を重ねるうちに、農薬に対する抵抗力を持つらしい。多分、農薬散布から生き延びた個体は元々これらに対する抵抗力を多少なりとも持っていたのだろう。生き延びたもの同士の交配で農薬に強い遺伝子が強まっていった結果だろう。これが自然の摂理である。無論、ツマグロヨコバイが意図して農薬に攻しようとした結果ではなく、人間が恣意的に曲げることなどできない自然のフィードバックと言える。ツマグロヨコバイに人間が自分の種だけに好都合なように決めたルールを守れなどと言い聞かせることは出来ない。
 そもそも植物を食糧確保の目的で一箇所に集中して栽培し、人工的に水路を引き、その生育の妨げとなる他の動植物を排除するという行為が不自然なのであるが、ツマグロヨコバイ、ウンカ、メイガなどにはその水田という環境自体が自然の一部でしかない。水田という温床のおかげで必然的に個体数を増やされてしまったこれらの昆虫にとっても、決して一概に肯定的な側面ばかりとは言えない。数が増え過ぎれば必ず弊害も伴うものだ。農薬による大量虐殺といった単純なことではなく、生態系の歪みが巡り巡ってツマグロヨコバイに災厄をもたらすことになる。
 ツマグロヨコバイにとって、口吻が突き立つ程度の柔らかい茎を持ち、吸汁可能なだけの水分、養分を与えてくれるイネ科の植物であれば、カラスムギであろうとエノコログサであろうとイヌビエであろうと、何でもいいのかもしれない。だが、イネは人間によって保護され、潤沢な栄養が保証されるツマグロヨコバイにとっても優れた植物であるに違いない。食物として優れたものに殺到するのも道理である。事実、ツマグロヨコバイは同じイネ科植物であるスズメノテッポウで越冬することが多いという。この昆虫は年に四、五化というめまぐるしいサイクルで世代交代するが、冬には水田は刈入れを終え、休耕状態となる。そして水田の傍らには雑草としてスズメノテッポウが生えていることが多い。このように必ずしも食草はイネでなくともいいのだ。ただ、イネが最適であるというだけのことだ。最適にしたのは何か? 人間である。
 減反政策や郊外のベッドタウン化で首都圏から水田は殆ど姿を消した。だが、ツマグロヨコバイが牧場の現象でニッチを追われたダイコクコガネのように出没しなくなったワケではない。多分、放置しておくと庭を原っぱにしてしまうようなイネ科の植物(人間の立場から言えば雑草)を食草にしているに違いない。こうなると、害虫もヘッタクレもない。蔓延る雑草に歯止めを掛けてくれるのなら、大助かりだ。

「ああロミオ、あなたはどうしてロミオなの?」
 未だ幼いと呼ぶに相応しいジュリエットは詠嘆する。モンターギュ家とキャプレット家にどのような確執があったのか、杜氏の知るところではない。だが、過去における利害の対立があり、どちらも自らの正当性を疑わないから遺恨は続く。満員電車で「押すな」と怒っているヤツこそ一番押しているという説がある。圧力を感じていることは、本人が動いていない以上、圧力に抗して押し返していることを意味する。まつろわぬ民は能動的に反抗しているのではない。一方的にまつろわせようとするから、まつろわぬ行動に走らざるを得ないのだ。数ある害虫の由縁が人間の言いがかり的なものに過ぎぬのは、前々から述べてきたが、「イネの大害虫」という言葉にはたじろがざるを得ない。日本人である以上、イネまたは稲作農家の恩恵をありがたく受けていることは紛れもない事実である。ツマグロヨコバイ、ウンカ、メイガなどが害虫であることは抗弁し難い。ジャングル大帝レオが、仲間の動物を捕食しなければ生きていけないということに近い命題である。
 だが、イネも地球上に存在する植物である以上、人間のみが独占することなど出来ない。他の生物とてその恩恵によくする資格はある。手塩に掛けたものを横取り? ツマグロヨコバイにはそれが人間の栽培によるものだとは認識できないのだ。横取りとは言い難い。もう少し視野を広く取れば、ツマグロヨコバイも可愛く見えてくる? やはり、そンなことはないか。



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