ウスバカゲロウ

イメージと実態の乖離

 世の中にはイメージが先行してしまい、実像とそぐわないものが多々ある。大型の毒蜘蛛として知られるタランチュラなどは、そのサイズと毛むくじゃらな姿、太い足などから殺人蜘蛛のように恐れられる。007シリーズの初期作品にも、ジェームズ・ボンド氏の寝ている肩口にタランチュラが落ちてきて、冷や汗を全身に浮かせたショーン・コネリーが静かに身体をずらせ蜘蛛が身から離れた瞬間、大慌てで踏み殺すシーンがあった。実際には、人を死に至らしめるだけの毒性はないという。少なくとも、合法的な殺人のライセンスを持つ大物スパイにベッドの下で踏み殺されるのはどう考えても理不尽だ。どうも蜘蛛というものは、人間の感覚には忌み嫌うべきものという観念を植え付けるような造形を持っているのだろう。
 逆に姿形がたおやかで、生命力が薄いものと誤解されている種もある。フォーク・シンガー(アンド・ソングライター)の小室等が「陽炎の歌」という曲で、「一日のうちに生きて、死んでゆく陽炎に生まれ変わりたい」などと唄っているが、実際の陽炎(ウスバカゲロウ、クサカゲロウ、ツノトンボ等)は羽化してから一日で生殖活動を終え、落命することなどなく、一〜二週間は生きるのだそうだ。また、ウスバカゲロウなどは幼虫期を二〜三年過ごすという長寿の昆虫と言える。同じく儚い命とされるセミの幼虫期はその数倍に及ぶのだが・・・。とにかく越冬して一年以上命を長らえる昆虫は珍しい。

 ウスバカゲロウはその繊細な姿と幼虫期の奇妙な生態で知られる。幼虫と成虫は似ても似つかぬ姿をしているが、これは珍しいことではない。陽炎は暖かい(暑い)季節に坂道の上などでたなびいている陽炎に、その儚げな姿を準えたネーミングだろう。しかし一方でカゲロウは蜻蛉でもある。本朝三美人の一人(他の二人を失念。小野小町と誰かか?)「道綱の母」の蜻蛉日記の蜻蛉はカゲロウなのだろうかトンボなのでろうか。いずれにせよ、上流階級の結婚制度を暴露的に扱った決して上品な文学ではないので、カゲロウもトンボもその栄誉には浴したくはないだろう。もしかすると分類学などなかった時代、カゲロウもトンボも同じ種類の蜻蛉だと考えられていたのかとも思う。実際には翅の在り方に大きな相違が見られ、近接する種類にも位置付けることができない。
 ウスバカゲロウの幼虫は有名なアジジゴクである。林の木陰や人家の軒下の雨が当たらない渇いた地面に、擂り鉢上の穴をいくつも見ることができる。これがアリジゴクの巣である。中に巣くうのは、大きな大顎を持ったダンゴムシが尻つぼみになったような形状の虫で、何に似ているかと問われてもアリジゴクの形状としか応えようがない。土塊そっくりの色をしているし、サイズもその程度だ。アリやダンゴムシ、蜘蛛類などの小昆虫が罠である巣に陥るのを静かに穴の底で待っている。獲物がかかると、自然に足場のない罠をいずれ滑り落ちてくるようにも思えるのだが、ここぞとばかりに大顎で土を投げつけ、より確実に獲物を捉えようと試みる。
 獲物は身体ごと食われるのではなく、大顎で捉えた後は体液を吸って、用が済めば巣の外に放り投げ捨てる。ある程度の大きさ以上の昆虫は、陥穽に落ちても巣の縁の固い足場にしがみついて逃れてしまうらしい。

 特徴的なのは身体の構造が後退にしか適さぬようになっていること。肛門がないことだという。擂り鉢方に営巣する種だけが前者の生態を持っており、営巣せずに土に潜ったまま大顎を広げて獲物を待つオオウスバカゲロウなどの種は自由に前進も出来る。クサガゲロウの幼虫も草木を自在に動き回り、アリマキに対してホロコーストを実施する。これらの幼虫は形態からすると、前進可能なアリジゴクの様相を呈している。大仕掛けの罠を拵えるにも拘わらず、補食の効率はウスバカゲロウが最も悪いようにも思われる。オオウスバカゲロウも積極的な動きは見せないが、少なくとも餌場を変える釣り人程度の機動性は備えている。逆にこの非効率さが成虫になるまで二,三年という長寿の由縁となっている。
 幼虫期に排泄をしないのも、補食の非効率さを物語る。糞は宿便として保たれているらしい。成虫に羽化して初めて肛門を持つので、羽化直後に宿便を排泄するらしい。おぞましいという見方もあるが、全く変わった姿に羽化した際に以前の老廃物ごと捨て去るのはかえって潔い感じがしないでもない。
 他に杜氏が気づいたこの昆虫ならではの特徴がある。他の昆虫は成虫に羽化する前の幼虫(終令近く)、蛹より体長が短くなる傾向がある。例えばヤママユガなどは翅の開帳こそ150mm以上と長大だが、体長自体は100mm程度の巨大な幼虫よりはコンパクトになる。他の鱗翅目も同様である。甲虫も動かない成虫の趣がある蛹はともかく、幼虫よりは成虫の本体は小ぶりになる。マジックではないのだから、容積に差はないだろう。翅に費やされる嵩が必要なのであろうと思われる。
 ところが、500mm前後と昆虫としてはかなり長い体長を持つウスバカゲロウだが、成虫以上の体長を持つアリジゴクにはお目に掛かったことがない。たかだか1cmを越えるものがせいぜいである。いや500mmを越えるアリジゴクがいたとしたら、人間の感覚ではかなり怖いシロモノとなる。アジジゴクは充分に成虫に成りうる栄養を摂取した際に、擂り鉢の底で繭を作って蛹化するが、蛹の殻の中で更に成長しているのだろうか。これはどうと言うことがないように見えて、不思議な現象である。

 こういった待ち伏せ型の肉食生物は稀な訳でもない。営巣する種類の蜘蛛がそうだし、サソリなども同じだ。砂漠で数少ない獲物を待ってくらしている生物が大概このタイプで、極力エネルギーを消費せずに、水分などを貯えておくシステムを身体に持っている。また営巣型かつ待ち伏せ型では、自分の居所を外敵から明らかにしやすいので、巣自体の仕組みや擬態保護色に特徴があることが多い。アリジゴクの体色やサイズ、形もその類であろう。雨と湿気も大敵である。擂り鉢型の巣は確実に雨を貯える水たまりとなる。底に棲むアリジゴクが溺死するのは必定である。また湿っていると、巣の斜面が滑り易さを失ってしまう。トラップとして機能しなくなる。
 こういったことを勘案すると、ウスバカゲロウは砂漠にも対応可能な昆虫だ。いやもしかしたら、元々砂漠に棲む昆虫だったのかもしれない。日本列島が今の状態に至る途上で砂漠に被われていたり、大陸と陸続きだった頃、砂漠から版図を広げたウスバカゲロウが、砂漠に近い森陰の雨の当たらない渇いた地面をニッチに選んだとて不思議はない。トンボもカゲロウも太古から地上に存在した古い昆虫であることが確認されている。いずれにせよ時代の変化が環境にもたらしたものを克服してきたことは確かである。オオウスバカゲロウなどは、営巣による補食の非効率さを捨てて、自ら機動性を獲得することで進化してきた種なのかもしれない。

 灯火に寄ってくるウスバカゲロウのたおやかな姿や頼りなげな飛翔に、人間は儚さを感じ、哀れみを覚える。しかし、当のウスバカゲロウは攻撃者に対して噛みつき返すほどのイメージとはそぐわぬ、したたかな面も持っている。やはりあの地底怪獣アリジゴクの末なのである。人間は自分達が最も身近に接する姿がその昆虫の本質なのだと考え勝ちである。生殖が昆虫の最重要イベントだとしたら(実際にそうなのだが)、その考えは正しい。生殖行為をして一生を終える仮初めの死装束であっても、昆虫はその姿になる為に多くの危険をかいくぐろうとする。だが、期間にすれば、チョウやガでは成虫の姿でいられるのは一生の4%。ウスバカゲロウでは1%強。セミに至っては0.3%程度。ウスバカゲロウの本質はアリジゴクなのだ。このように完全変態を遂げる昆虫について、しばしば人間は本質を見誤る。それほどに幼虫と成虫の姿が著しく違うことには、何らかの意味が隠されているのだろう。それが何なのかは、人間の浅い知恵などで窺い知ることは出来ない。

 もしアリジゴクがもっと頻繁に餌を捉えることが可能で、より活発な昆虫だったら、ニ〜三年という長寿は与えられなかっただろう。じっと不遇を耐え忍び、成虫になるまでのエネルギーに足る栄養を肛門を塞いで排泄すべきものからも再摂取して賄い続けるからこそ、昆虫としては希な生命の維持が可能になる。人間でも夭折した天才は多い。彼らは人の何倍にも濃縮された生を大急ぎで駆け抜ける。凡庸な才にしか恵まれていない杜氏も、アリジゴク、ウスバカゲロウに学ぶべきかもしれない。



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