

北へ向かう旅の歌は日本に数限りなくあるが、どれもうら寂しいものだ。逆に北から東京へやってくる歌にはどこかしら希望が窺える。伊沢八郎の「ああ上野駅」などは、当時の東北地方からの集団就職をモティーフにしたもので、くすんだトーンに覆われてはいるが、少なくとも絶望的ではない。スタインベックの「怒りの葡萄」にも共通している「一山当てるンだ」という意識が感じられ、その希望の多くが裏切られることへの空しさを伴うにせよ。「ああ上野駅」のルーツは、もしかして啄木の「故郷の訛り懐かし停車場に・・」なのだろうか。
朱里エイコの「北国行き」、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」、八代亜紀の「愛の終着駅」、イルカの「なごり雪」、新沼謙治の「悲しみのヘッドライト」・・・。う〜ん。「走れ歌謡曲、コックピットのあなたへ」の世界だ。奥村チヨの「終着駅」は北に進路を取っていたかは不明だが。これがアメリカとなると「500マイルも離れて」にせよ「悲しみのジェットプレイン」にせよ「恋はフェニックス」にせよ「恋の片道切符」にせよ、方向性がはっきりしない。ヒッチコックの”North by nothwest”「北北西に進路を取れ」は方角こそ明確だが、悲哀に満ちた逃避行ではない。
その中でも極めつけが「北帰行」だ。元々が外地の旧制高校であり、最後に開校された旧制高校でもあった旅順高校の寮歌だったらしい。一高から何かの事情で旅順高校へ辿り着いた作者が、当地の高女の学生との恋がきっかけでその旅順高校まで追われることになった際に残したものだという。それをメジャーにしたのが映画「渡り鳥北へ帰る」での小林旭の歌唱だったのには鼻白むところがある。あのハイ・トーン、ノンヴィヴラートでは哀愁が感じられない。小林旭のファンにはそこがいいのだろうけど。
それにしても「渡り鳥」の故郷が北海道だとは思わなかった。あの無国籍な、ギターを弾きながらの乱闘シーンから、ラテン系を想像していたのに。もしかしたら、ラテン系道産子だったのだろうか。
東京で希望を断たれて、南へ帰ってゆく歌はない。西日本の人は東京での成功に幻想など持っていないということか?(そンなこと、あるまいに) 北にだって希望はあるに違いないが、歌謡曲の世界では傷心の帰郷の記号は「北へ帰る」ことだ。
ウスバキトンボは特に大型でも小型でもなく、黄土色の体色と薄いきれいな翅を持ったアカトンボ(特にアキアカネ)に似たトンボだ。このトンボも地方によっては盆の時期に出現するので盆トンボ、精霊トンボとも言われる。どうも、日本人はトンボに霊的なイメージを重ねる習性がある。前翅、後翅双方の上端に黄色い紋があり、支脈を美しく透かせた翅にさりげないアクセントを加えている。
要は見た目には何の変哲もないトンボなのだが、その行状にはとても変なところがある。まず止まらない。飛んでいるところはよく見掛けても、止まって休んでいるウスバキトンボを見るのはとても難しい。飛翔に長けたトンボの中でも、その能力には瞠目すべきものがある。そして、その飛翔能力を活かしてとても長い距離を移動する。元々が南方系の昆虫であるらしい。寒さには弱い。だが、ウスバキトンボの飛行旅程は南へ向かうとは限らない。
普通のトンボが最低一年のライフ・サイクルを回しており、オニヤンマなどの大型種には二,三年かけて成長するものもある。ところが、ウスバキトンボは信じられないほど短期間で成虫になる。このトンボは結構長い間成虫として観察されるが、初夏のものと晩秋のものでは世代が異なっているのだ。孵化から羽化まで、つまりヤゴで過ごす期間は四週間と言う。よく、学校のプールにトンボが産卵に飛んでくる。こンな場所に産卵しても、すぐに水を抜かれて無駄になるだけなのに、などと哀れに思う。最近ではビオトープと称して、プールの水を抜く前に中の生物を生徒達に掴まえさせ、観察してから別の環境へ移すような運動が盛んだが、ウスバキトンボはプールが閉鎖される8月末に産卵された卵が、水を抜く9月にはもう羽化して飛び立つのだという。つまりはせっかくのビオトープが不要なのだ。張り合いがないことだ。
ウスバキトンボは孵化した場所から、北へ南へと移動するのが常であるらしい。そうやって得意の飛翔力を活かし、生息域を拡げてきたのだろう。面白いことに、一旦北へ方向を取ったもの達は親の目指した方向を継承するがの如く、羽化しても北を目指す。群で行動することが多いトンボなので、個体の意思、親(前世代)の遺志というよりは、群自体が疑似個体としてそう働いているに違いない。群で行動することは、捕食者からの攻撃に際しても有利であるし、流体解析上からも飛行を楽にする効果がある。
こうして、ウスバキトンボは世代を繰り返しながら北へ向かうことがあるらしい。まるで北征である。ところが元々が寒さに弱い種である。津軽海峡を越えて、北海道にまで達したウスバキトンボは産卵したとしても、北の大地の極寒を凌ぐことなど到底出来ずに、そのまま死に絶えるらしい。北への旅は片道切符であることが約束されているのだ。なのに性懲りもなく、それを繰り返す群が後を絶たない。
考えてみれば、人間でも同じことをした者達がいることを、歴史が物語っている。大河に軍の志気を沮喪させられたアレクサンドロス、冬将軍に無敵の侵攻を阻まれたナポレオン。稀代の英雄と呼ばれた人達ですらそうなのだから、滅亡へのマーチを繰り返すウスバキトンボのことなど決して笑い飛ばせそうにない。
もしかすると、ウスバキトンボは人間の英雄と同じく、領土を拡げようとする本能に駆られて盲目的に北を目指しているのだろうか。人間からは無謀な挑戦にしか見えなくても、その途方もない徒労の末に、寒さに強い突然変異が生じて、寒さに耐えうる形質を持った種が大量に発生し、ウスバキトンボの生息域の地図が塗り替えられるかもしれない。そうなったら、ウスバキトンボではなく別の遺伝子を持つ別種となっているのかもしれないが。
日本人には北へ向かうことは最果ての旅路を辿る絶望的な道なのかもしれない。だが、昆虫にはそういう認識などない。本能が北へ向かうことを避ける種は無論多く、津軽海峡に横たわる見えない線、ブランキストン線を越えられない動植物は確かに多い。昆虫でもゴキブリやカマキリがそれに相当する。だが、本来南方系であるはずのウスバキトンボですらそれを越えようとしている。もういい加減に北=都落ち、没落といった意識は捨てて欲しいものだ。北海道の住民にも失礼であろう。
西日本の側から、都会(北ではなく東だが)へ向かう歌がないか、もう一度思い浮かべてみた。一曲、思いついた。「木綿のハンカチーフ」である。もっとも、この詞はボブ・ディランの「スペイン革のブーツ」のイタダキだという話だが。
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