

とてもなじみの深いものだったのに、いつの間にか見かけなくなってしまったものがたくさんある。行商人の通り相場は冬は焼き芋で夏は金魚のはずだった。事実、この屋台車は夏冬で同じものが転用できたという。今は焼き芋の売り声は妙に客に媚びたような不自然なものに入れ替わったものの、何とか健在だ。鳴く虫を売る虫売りもいなくなった。昭和40年頃まで虫売りからキリギリスなどを買った記憶がある。生き物は行商ではなく、インターネット通販でもっぱら取り引きされるようになった。それに対して焼き芋の石釜とあの熱さはインターネットでは伝えることが出来ない。
市街地では道という道がアスファルトで覆われ、雨が降ると必ずそこかしこに出来た水溜まりが消えた。子供は長靴で水溜まりを跳ね上げるのが大概好きだったものだ。そこにはアメンボがどこからともなく姿を見せて優雅に滑走し、晴れれば消えるものとも知らず、様々なトンボが表面に尾を打撃する産卵風景を披露していたものだった。
市街地近くに湖沼とまではいかなくとも常に泥濘を貯めていた湿地も消えた。これらの多くは表面をコンクリートで固められて駐車場となった。湿地に生えていたヨシやガマなども同じように姿を消した。
露出していたどぶ川は側溝となり蓋で封じられた。これではザリガニはおろかアメリカザリガニすら棲めない。どぶの底に群をなして貼り付いていたイトミミズなど子供達は全く見たことがないだろう。ボウフラがオニボウフラに蛹化し、水面に漂っていることも。
その当時、南関東の住居の生け垣のほとんどがマサキだった。安価で丈夫だったせいだろうか。いかにも灌木らしい灌木だが、あまり面白みのない樹ではある。生け垣のマサキの葉をよく見ると、不健康な感じで斑が入っていることが多かった。うどん粉病である。保健所が定期的に(といっても稀ではあるが)、消毒と称して殺虫剤らしきものを散布していった。水鉄砲の親玉のような簡易ポンプ式の散布器を用いていたのが印象的だった。どこか親に聞かされた戦後子供達にGHQが施したシラミ撲滅のためのDDT散布を思わせるところがあった。消毒後の生け垣の脇は薬剤の強烈な臭いがして、人間にも確実に有害だと思われた。こういう光景もさすがに今では見られない。
マサキが多かったということは、自動的にマサキを食草とする昆虫も多く見られたことを意味する。
シャクガといっても何のことかわからない人が多いだろうが、シャクトリムシならおなじみだろう。シャクトリムシはシャクガの幼虫である。身体の先端と後端の脚を使って、人間が指で尺を測るように前進するのがシャクトリムシ。無論、尺取虫である。シャクトリムシが成長した蛾ということで、幼虫の通称が成虫の命名の由来となったのには疑う余地もない。木の小枝によく似た体型をしており、休むときは後端の脚で木の幹に掴まり、糸を出して背中の方に回し、糸に身体をまっすぐ伸ばして静止する。それを木の小枝だと間違えた農作業の休憩中の農夫が、お茶の入った土瓶を誤って掛けてしまい、土瓶が地面に落ちて破損することから土瓶割りとも呼ばれるが、そのような愚かな粗相が頻発するとも思えない。そういう滑稽なエラーが想起されるほど小枝に似ている程度のことだろう。
杜氏が子供の頃は、シャクトリムシが手首の周りを百回回った者は死んでしまうなどと、まことしやかに喧伝された。無論、シャクトリムシに呪詛の能力など無い。江戸っ子及びその近郊の人間は「ひ」と「し」の区別がおぼつかない。シャクトリがヒャクトリと訛り、更にトリが命取りと結びついたのだろう。都市伝説の元祖のようなものだろうか。似たデマにしゃっくりを百回すると死んでしまうというのがあり、こちらの方が実現可能性は高そうだった。これもしゃっくりがひゃっくりと訛った結果だろうが、シャクトリムシとしゃっくりのどちらがこの伝説の元祖なのかは知る由もない。いずれにせよ、シャクトリムシが手首を百回回るのには少なくとも一時間は掛かりそうで、そンな悠長なことを許しておく人間はいない。つまり、さほど敏捷な昆虫ではない。
マサキを食草とするシャクガはユウマダラエダシャクだった。このエダシャクは一般的にシャクガの種類に多く、エダは無論幼虫の姿に似ている枝を示す。杜氏は頻繁にこの蛾の成虫をモンシロチョウと間違えた。どの文献を繙いてもユウマダラエダシャクとモンシロチョウが似ているなどとは記されていない。これはおそらく杜氏だけの思い込みであろう。ただ、フワフワと情けなさそうな飛翔力、短時間しか飛べす、すぐにどこかへ止まってしまう点、飛んでいるときの視覚的な印象がそっくりに感じた。ユウマダラエダシャクの翅はほんの少しの白地に薄いグレーの斑紋、中央のオレンジ色の斑紋が特徴的である。白とグレーがほぼ半々の比率である。モンシロチョウの翅の貴重は白であるが、黒っぽい筋が翅脈に入っており前翅の嬬も黒く、飛翔するとややグレイがかって見える。また飛翔力もユウマダラエダシャク同様、さほど高くないように見受ける。唱歌の蝶々に歌われているように、「止まれや遊べ」といったふうに、さほど長くは飛んでいない。飛んでいる時間帯も、昼間や夕方によく飛ぶというユウマダラエダシャクとモンシロチョウは近いような気がする。そして何と言っても、生活圏が似ているように思えた。マサキが人家のそこかしこに生け垣として植わっていた時代、ユウマダラエダシャクもモンシロチョウ同様、人間の生活圏に極めて密着した場所で生活していた。
ユウマダラエダシャクの紋様は鳥の糞に似ていると言われる。なるほど、グレイの紋様もオレンジのワンポイントもそう言われれば代表的な鳥の糞と見分けが難しい。鳥の糞と見間違えて見過ごす捕食者も多いかもしれない。だが、杜氏にはモンシロチョウに似ているとしか思えない。
この蛾の特徴的である生態は、年に二回繁殖することである。初夏に羽化した成虫はすぐに産卵して、秋には次の世代が羽化する。秋に羽化した成虫はやや小型で、そこから誕生した幼虫は越冬して育つ。冬眠に近い成長が滞る時期は経るのかもしれないが、秋の成虫から生まれた幼虫の方が時間を掛けて育つように出来ている。そして奇しくもモンシロチョウも生育が早く、春型と夏型の二回羽化することになっている。どちらかがどちらの擬態モデルであるという論文は目にしたことがないが、もしそうだったら面白い。
前述のマサキの葉に見られるうどん粉病の犯人はユウマダラエダシャクであるらしい。だがガーデニングの影響か、植木の多様化のせいなのか、首都圏の生け垣からマサキがめっきり減ったような気がする。ユウマダラエダシャクの情けない飛翔もここのところ、とんと見掛けなくなった。保健所の消毒のせいなのだろうか。インターネットを当たっていたら、ユウマダラエダシャクはある地方では林に多いとあった。金魚売りや路地の水溜まりと同じく、当たり前過ぎるほど当たり前に見られたこの昆虫も姿を消しつつあるのだろうか。
明治維新同様、敗戦も日本の文化に大きな影響を及ぼし、動植物の生態系もねじ曲げられてしまった。杜氏達はそれがねじ曲がる直前の自然の姿に接してきたのだろう。GHQがいかに性急であろうとも、その介入の影響が定着するには数十年が掛かる寸法である。二〇世紀から二一世紀に掛けての文明の変化は、昆虫達にこれ以上の圧迫を強いるのだろうか。決してそうあってほしくはない。
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