ヤブキリ
妄想で巨大化する偶像
幼い頃、図鑑か何かでその姿を見て、あまりの衝撃にそのイメージが実態以上に膨張してしまう種がある。タスマニアデヴィルは居たのか居なかったのか今となっては伝説化しているフクロオオカミ亡き後、オセアニアでは最も凶暴な肉食獣であるらしい。子供の頃、大きな口を開き鋭い歯を剥き出しにして、どこか狂的な目つきで吠えているタスマニアデヴィルの図版を見て、ショックを受けた憶えがある。その名が悪魔だからそう思ったのだろうか。幼少時の杜氏にデヴィルを悪魔と解釈するほどの語学力があったのかどうかは甚だ疑問なのであるが。
だが、実際にオーストラリアへ行ってみて、動物園で実物と遭遇した際には、軽い幻滅を覚えた。何かくりっとしたつぶらな瞳を持つ、タヌキのような愛嬌のある動物に過ぎなかった。悪魔とはいっても、キャンディーズが歌う「やさしい悪魔」のような可愛いイメージで、想像していた凶暴な姿にはほど遠かった。
ヤブキリは文字通り主に藪に棲む大型のキリギリスである。藪のキリギリスで、ヤブキリである。草のキリギリスならクサキリ、茅のキリギリスならカヤキリ、笹のキリギリスならササキリのデンである。クサキリやクビキリギスやカヤキリはショウリョウバッタのように三角形頭を持ち、鋭角的なシェイプをしている反面、ノッペリした印象は否めない。だがヤブキリは頭が四角で、よりキリギリスに近い形状をしている。
コイツが幼い頃親しんだ小学館の図鑑では、ミンミンゼミかアブラゼミのような大型のセミを襲う獰猛な姿に描かれており、子供心に恐怖心すら湧き上がるようなイメージであった。中国人や東南アジア人は、セミをから揚げにして食してしまうほどであるから、案外美味なのかもしれない。本当はセミの幼虫の終令が最も美味らしいが、ヤブキリは土中にまで食糧は求めないので、幼虫を餌にするのは不可能である。図はセミを遥かに上回る大きさで描かれており、さぞ巨大な肉食昆虫であろうと考えていた。
実際のヤブキリは体長45〜50mm程度。翅端まで図っても約80mm。かなり大型のキリギリスではあるが、杜氏の妄想はそれを遥かに越えていた。セミを捕らえるのも事実で、それどころか、カエルにまで襲い掛かり食糧としてしまうこともあるようだ。昆虫が昆虫以外の両生類、爬虫類、哺乳類を餌とするのは意外な気もするが、タガメなどを考えるとさして珍しいことでもない。カエルとは言っても、小型のアマガエルなどを仮定すれば、不思議なことではない。
子供の頃から、藪に潜んで「ジキジキジキ、・・」と連続的に濁った音色で六月頃から盛夏にかけて鳴くこの昆虫のことは認識はしていたが、図鑑のイメージが一人歩きして、ヤブキリだとは考えていなかった。食性から窺えるように、大顎はかなり強烈な威力を持つ。スッポンのように一度噛み付いたらなかなか放してはくれないようだ。この辺りはクビキリギス、クサキリにも似ている。ある人のHPでウマオイ、クビキリギオス、カヤキリの大型キリギリスで噛まれて最も痛かったのはカヤキリだとか。だがおそらく、肉食性がカヤキリよりは強いヤブキリの大顎の威力も相当なものと考えられる。杜氏はこれらのキリギリス類が捕らえられそうになると噛み付くことを、かなり早い時期に知っていたので、あまり被害に遭ったことはない。
いずれにしても、実際に目にしていたヤブキリと、杜氏のヤブキリのイメージは、あまりにも乖離していた。
主に藪にニッチを定めるヤブキリであるが、天敵の脅威の危機を逃れるためか樹上生活もしばしば営む。そのために必然的にセミを狩るようになったのではないだろうか。この類としては唯一、土中に産卵する性質を持つ。卵は長さが1cm程もあるという驚くべき大型のものらしい。周囲に合わせて土色をしている卵のうは一見ゴキブリのそれに似ている。頑丈で長大な産卵管が土中への産卵にモノを言うのだろう。大概の昆虫は一度交尾して、いっぺんに産卵するものだが、ヤブキリは何度か交尾を行い、その都度産卵するらしい。分散して点在することも、外敵から卵を守る効果があるのかもしれない。
他の多くのキリギリス類同様、ちょうど盛夏の草原の色合いの緑色で綺麗な昆虫である。胸部上部(つまり、人間からすれば背中に見える部分)の褐色の紋様のワンポイントも際立っている。肢の先の関節、人間の脛、二の腕に相当する部分は、かなりの密度で棘状の突起に覆われている。これは食肉性キリギリスに共通する特徴であるらしい。獲物を捕らえて、逃がさないようにガッチリ固定するのに適しているように見受ける。
幼虫は成虫が寸詰まりになったような形態をしており、身体が小さいので他の昆虫、動物ばかりを食うワケではない。タンポポ、アザミなどの身近で花粉が豊富な花を訪れて、花粉を食べている姿が印象的である。幼虫の頃から褐色の筋が背中に存在し、ヤブキリの幼虫であると識別できる。
子供の頃、惜しいところで取り逃がしたトノサマバッタ、闇夜の行く手に突然現れて捕まえたが、同じ社員寮に住む年上の仲間に召し上げられてしまったヒキガエル等、目の前から失われたもののイメージは誇大に膨張するものだ。単なる図版とはいえ、それは無限に拡散しうるイメージである。
人間は夜の闇をライトで照らし、森や林を宅地への造成し、人工の耕作地でありながら消極的に動植物にニッチとして解放していた田畑ですら、減反政策で制限し、農薬で封じ込めてしまった。イメージの産物である妖怪も跳梁跋扈するスペースを奪われている。「もののけ姫」で、エボシらはシシ神を殺し、人間の文明を展開するスペースを得た。だがそれは人間のためのスペースに過ぎない。トトロらが活動する空間を確実に圧迫する行為である。王蟲の幼生を、ナウシカの「殺さないで!」という悲鳴を無視して、卑近な利害によって退ける人間は、確実に神殺しの罪を深めてしまう。
イメージは妄想なのかもしれない。だが、一方で神が見せている警鐘のヴィジョンなのかもしれない。
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