ヤホシゴミムシ

らしからぬ者達


 人は空を飛ぶことに憧れるが、生身の身体では飛翔は不可能だ。毎年夏になると、鳥人間コンテストなどが琵琶湖畔で催されたりもするが、落ちることを前提の飛翔でしかない。中には精巧な作りの人力飛行機で何分も飛び続けるチームも出てくるが、あまり長く飛ぶのもかえって興ざめである。

 高い土地で生活することも、飛行願望ほどではないが、普段では実現できない夢なのかもしれない。「××と煙は高いところが好き」などと言うが、××ならずとも高い場所から下を見下ろすのは快感である。だが、山頂からの眺望を得るには、登山というまともな頭では思いつかないような労力を要する活動が伴う。トレッキングなどという、ヘリコプターである程度の高さまで登る罰当たりな方法もあるが、多額な出費を伴うし、第一、ヒマラヤ山脈級の山でしかやっておらず、ベラボーな出費がかかる。

 飛行も登山も苦手な怠惰な人間は、樹の間にハンモックを吊って、揺れながら眠ったりすることに憧れる。子供の頃、林の樹に細工をして秘密基地をこさえたりするのは、誰でもが通り過ぎる経験であるが、そこには樹上生活者へのそこはかとない憧れを見出すことが出来る。ロビン・フッドは山賊であり、反社会的な存在だったのかもしれない。だが、為政者、権力者への反抗は痛快だし、礼節や友誼や騎士道精神を重んじる徳の高い人物という印象が強い。それにも増して、この民間伝承が魅力的なのは、ロビンらに樹上生活者の自由闊達さが感じられるからだと、杜氏は思っている。

 ゴミムシ、オサムシは基本的に地を這う虫達である。その多くが地上
の他の動物の死骸や、ミミズ、カタツムリ、ナメクジといった動きの遅い生物を餌食にする。オサムシの類は翅の彩りが美しいので、ゴミムシ同様強い臭気を放って外敵から身を守る手段を取っているものが多いのに、愛好家が多い。腐肉採集法というものがあって、腐肉を餌に広口瓶を地面に埋めて寄ってくる虫を捕らえるトラップがある。別名オサムシトラップと呼ばれることからも明らかのように、それにかかる多くの昆虫がオサムシの類である。オサムシ、ゴミムシの中には、地を這うことのメリットに安住するあまり、飛翔する能力を失ってしまったものも多い。鞘翅目昆虫の殆どが後翅を有効に使って飛ぶが、オサムシ、ゴミムシの多くが美しい前翅を閉ざしたまま、開かないようになっている。ゴキブリやカマキリですら意表を衝いて飛ぶことがあるのにである。
 ところが世の中には例外というものが必ず付き纏う。類の中にはヘソマガリが必ずいるものなのだ。アトキリゴミムシという属がある。ゴムムシなどという人聞きの悪い名前がついてはいるが、これらは決してゴミの中で餌を漁ったりはしない。樹上生活者なのだ。春の林の潅木の間を自在に飛び回る姿はとてもゴミムシとは思えない。ハチに見間違えそうになることもある。そして、アトキリゴミムシが餌とするのは若令の鱗翅目昆虫の幼虫、つまりはケムシ、イモムシの類である。多くが美しい翅を持ち、10mm程度とゴミムシの中では比較的大柄であるから見映えがする。ヒラタアトキリゴミムシ、オオヒラタアトキリゴミムシなどは、キャラメルに透明感と艶を持たせたような黄褐色だが、飴色としか形容できない彩をしている。その後翅に左右対称だが、どこか不均衡な左右四つずつ、都合八つの紋を持った種がヤホシゴミムシである。八つの紋は金箔を貼りつけたようにも見え、一際艶やかなゴミムシと言える。飛ぶのだから一般的なゴミムシの生態とは無縁だと思っているとさにあらずで、うっかり手に触れると刺激性の液体を発せられて酷い目に遭う。ゴミムシの防衛手段はしっかり身につけていたりする。
 おそらくはこれらの幼虫も、他のゴミムシと同じく土の中で自分の身体よりもっと微小な生物を食べながら成長していくのだろう。元々アトキリゴムムシのように自由に飛び回っていたゴミムシ、オサムシが次第に飛翔能力を退化させていったのか、元々飛ばなかったゴミムシ、オサムシの中から、闊達に飛ぶことを志す先祖帰りのような連中がアトキリゴミムシへと進化していったのか、それは杜氏にはわからない。だが、なぜか杜氏は後者であって欲しいと願ってしまう。
 ロビン・フッドにはモデルとなった人物はいたらしいが、架空の人でしかないらしい。中世の少数の特権階級の封建制度の圧政に苦しむ民衆の夢が、痛快なヒーローを生み出した。可憐なマリアンも、愉快な大男リトル・ジョンやタック坊主も人々の幻想に過ぎないらしい。ターザンもロビン・フッドも、元々は特権階級に生まれた者が奇禍に遭い、森に暮らすしか選択がなくなった者達だ。一種の貴種流浪譚に近いのかもしれない。源頼朝も義経も流浪の貴種だったが、貴種の貴種たる立場に回帰した。そして、育った環境のまま、振舞った義経には不幸が次々と、ある意味当然のことのように襲い掛かり、「ジンギスカンになった」というヨタ話を残して破滅した。生き残った頼朝とて、最高権威者となったが、権力抗争に翻弄され幸福とは言えなかった。だから恐妻に隠れて浮気を性懲りもなく繰り返す。だが頼朝には浮気を重ねるのがせめてもの幸福だったのかもしれない。北條氏に利用され、晩年はその北條氏からも疎まれた頼朝は、ある日、八幡宮に詣でた帰り、安徳天皇や義経といった自らの権力の犠牲となった霊を見て落馬してほどなく絶命してしまう。その頓死ぶりからは、北條氏の陰謀すら邪推可能だ。北條氏に好都合に記された正史、東鏡はそのようなことはおくびにも漏らさないが。
 ロビン・フッドは権力者をその智謀と武勇で懲らしめても、決してそれになり代わる権力を手にしようとしない。アウトローに留まり続ける。それが民衆の願望だったのだろう。頼朝に限らず、民衆の上昇志向を具現化した豊臣秀吉も、生身の人間であったゆえに、一旦権力を掌握すると、朝鮮征伐のような愚挙に出てそれまでの業績を台無しにする。田中角栄の不幸も、「今太閤」などと呼ばれた絶頂期から既に始まっていたのかもしれない。そこへもっていくと、端から架空の人物であるロビン・フッドは強く、西洋ちゃんばらキングのダグラス・フェアバンクス、エロール・フリンはおろか、ショーン・コネリー、ケヴィン・コスナーなどの当代一流の大物俳優が競って演じ、メル・ブルックスのような稀代のコメディアン(「キング・オブ・タイツ」、ケヴィン・コスナーをからかうのだけが目的だったせいか、ブルックスにしては駄作だが)にも採り上げられる。
 ヤホシゴミムシが頼朝よりもロビン・フッドであって欲しいなどと願うのも、人間の勝手に過ぎないのだが・・・。自由に樹上を戯れるヤホシゴミムシの美しい姿に目を奪われていると、ゴミムシなどという身も蓋のない命名を施した人間が愚かに思えてくる。



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