ヤママユガ

大きいことはいいことか?

 日本が戦後の復興に一段落を着け、高度経済成長時代に突入したのは昭和四〇年前後だったろうか。東京オリンピックは色々な意味で象徴的なイベントだった。イザナギ、イザナミ景気を招き、四五年の万国博覧会開催を経て、イケイケドンドンの目まぐるしい時代が訪れた。池田勇人が幕を開け、佐藤栄作がレールを突っ走った。杜氏達の生活も目に見えて変わった。つましい生活は影を潜め、消費は美徳とまで言われた。
 産業も重厚長大時代だった。「大きいことはいいことだ」のマーチと共に、お先棒担ぎの似合った山本直純が浮かれて踊った。やがて半導体の登場がすべての電子機器のサイズに革命的な小型軽量化をもたらす。ただ、それによって実現する機能、性能は限りなく肥大化していった。米国人が”Japan as number one”などという本を著したとき、「最早戦後ではない」と言われつつ戦後を引きずっていた時代に生まれ育った杜氏達は、何かの悪い冗談だとしか思わなかった。
 だが、日本をモデルにした低賃金の極東諸国の追い上げに遇い、今また日本は深刻な経済問題をいくつも抱え、危機に瀕している。

 馬も象も犬も猫も、そして植物も昆虫も、古代では今より大きかったことが化石などで確認されている。隆盛を極めたとされる恐竜にしたところで、小型で敏捷な類もいたものの、概して大型だった。生物は成長を阻害される要因が取り除かれると大型化を辿るのだろうか。
 いや、そうとは限らない。日本人の体格は今の状態で一定していたのではなく、様々に変遷してきたらしい。そして最も標準的な体格が小さかったのは、二七〇年もの太平の眠りを貪っていた江戸時代だったという。逆にその直前の戦国時代では、戦う必然に迫られてか、人は概して大きかったらしい。
 徳川家の菩提寺である芝増上寺に累代将軍とその妻女達の遺骨が安置されているらしい。それによると婦人達は大概一三〇センチ台後半、将軍達にしたところで一四〇センチ台だったらしい。武にも長けていたらしい中興の祖、吉宗などはその中で一七八センチもあったらしく、さぞや威圧感を伴う為政者だったのだろう。犬公方で有名な綱吉など一二〇センチ台の矮小さだったことが証明されている。
 生物にとって戦うには大きい方が好都合かも知れないが、肥大し過ぎた身体を維持するにはそれなりの代償を支払う必要があるのかもしれない。

 ヤママユガの類は他の蛾に較べて桁外れに大きい。スズメガの類も大型な方だが、ヤママユガに較べるとかなり小さく感じてしまう。翅の開帳が150mm以上、つまり大人の掌に匹敵するものが殆どで、日本でも沖縄の与那国に棲息するヨナクニサンなどは世界最大の蛾である。その開帳たるや300mmとなる。ちょっとした鳥のサイズと言える。クスサンなども大きくなる。クスサンのサンは蚕、つまりカイコである。ヤママユガのマユも繭。つまり、この蛾の類は蛹の時期を繭の中で過ごす。身体が大きなだけあって、繭も非常に大きい。これを獲って蚕糸のように加工する。あまり珍しい類ではないが、何しろ養殖が出来ないので量産も不可能だ。山に分け入って獲るのにも労力を要する。非常に繊細な細工品となる繭であるが、希少価値が高く珍重される。繭は黄緑色の深みのある色合いで、風合いも素晴らしい最高級品とされる天蚕糸(テグス)となる。釣り糸の代用品にもなるらしい。釣り糸には張力の強さが要求される。ヤママユガの繭の堅牢な作りが窺われる。色合いがあまりに鮮やかで味わい深いので、そのまま加工しても染色したものと誤解されてしまうらしい。「これは天蚕糸本来の色合いです」と但し書き付きで売られることも多いと聞く。
 このように大変な生産性をもたらす蛾でもあるのに、その身体の大きさに比例した旺盛な食欲のためか、やはり害虫扱いされる。この蛾の種としての強みに幼虫の食樹のストライク・ゾーンが非常に広範であることが挙げられる。コナラ、クヌギ、カシワ、クリなどのどんぐり類以外にサクラなどにも順応が可能だ。広葉樹ならかなりの範囲に対応できる。これらの葉を食い尽くす勢いで貪るのだから、クリ農家などはたまらないだろう。幼虫は7cmにも及ぶ大きさにまでなる。黄緑色の綺麗なイモムシだが、初期段階の令の幼虫はパッとしない毛虫である。それが目立つような大きさに成長するに連れ、かえって目立つような美しい姿に変わる。スズメガの幼虫のように体長が長くてもスリムなのではなく、身体の厚みあり重厚な印象だ。近似種のクスサンなどは、その大きさに加え、背中に淡い青みを帯びた白い毛をびっしり生やしているので、白髪太郎とも呼ばれる。言い得て妙なネーミングである。
 幼虫、蛹(繭)、成虫とすべからく目立つ姿をしているということは、天敵から身を守る上では決して好都合ではない。成虫の翅にはジャノメ模様が施されており、捕食者に蛇の目を想起させて怯ませる効果があるらしいが、とにかく目立つ。

 古代、隆盛した種の辿る必然的な流れで巨大化した生物は、その身体を維持することが出来ず滅びたと思われる。もしくはその矮小種のみが遺伝子継承の機会を多く得ることで生き延びた。しかし、ヤママユガ類の巨躯はその方向性と逆行しているように思える。もしかすると、身体の大きさは依然捕食者に対する優位性を呈しているのかもしれない。アリなどのサイズの捕食者にしてみれば、ヤママユガはモスラのサイズに匹敵する。
 モスラは無論想像上の生物で、その姿からはチョウともガとも判別し難いが、身近な鱗翅目昆虫で最も近いのがヤママユガ(或いはヨナクニサン)だろう。モスラの幼虫も東京まで辿り着くと、東京タワーをへし折って繭を掛け、小休止とばかりに蛹化している。翅の形状は異なるが、飛翔はヤママユガに近い。いや、黒褐色でアピール度の低いモスラの幼虫より鮮やかな色合いのヤママユガの幼虫の方が美しいし、極彩色でかえってゴテゴテした印象のモスラの成虫より、落ち着いた風情のヤママユガの方が風格がある。やはり、模倣者は自然の産物を越えられないということなのだろう。
 モスラはインファント島(小児島?)の守護神であったように、非常に希少価値で絶滅寸前である。事実、映画「モスラ」の続編でも役名では「小美人」であるザ・ピーナツのどちらか(見分けがついてもあまり意味はないが)が「一匹死んじゃったけど、もう一匹は元気」(そんなんで次の代へ繁殖出来るのか?)と明言している。ヤママユガ、クスサンには今のところレッドブックに載る気配などない。

 人間社会の市場要求変遷のように、自然界が生物達に示唆する最適なサイズは目まぐるしくは変わらない。大型昆虫が次々と絶滅する中で、ヤママユガはかえってその大きさを差別化要因とし、一種類のホスト植物に依存しない体質を活かして営々と地上に踏み止まり続けたのだろう。
 カイコは実のところ、自然界に存在する生物ではない。人がオオカミ、ジャッカル、ハイエナなどを犬に変え、ヤマネコを猫へと飼い慣らしたように、人為的に品種改良された種である。その元となったのがやはり桑の葉を食べ繭を作るクワゴである。古代中国でクワゴは長い年月をかけてカイコへの姿を変えたらしい。これは猪から豚、バッファローから牛といった家畜の成り立ちとも共通しているのかもしれないが、大変なことで、ある意味でバイオ・テクノロジィとも言える。進化を人為的に操作したのだから、遺伝子組み替え同様、罰当たりな振る舞いなのかもしれない。

 クワゴより遙かに生産性が高かったはずのヤママユガが、どうして人間の手に落ちて飼い慣らされなかったのか不思議である。その巨大さや大変な食欲が人間の手に余ったのだとしたら、依然、自然界では「大きいこともいいことだ」というコピーが意味を持っているのかもしれない。



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