ヨトウガ

夜勤するイモムシ


 ある外食産業のチェーン店で、商品からガの幼虫が発見されたことが報道された。同チェーンは以前にもおまけの景品から、裁縫作業で残ったと思われる針が発見されたりで、ここのところトラブル続きに見舞われている。今回のガの幼虫騒動は中国産のホウレンソウの葉についたものが見過ごされたようだったし、針入り景品も中国の業者に製造を任せていたのが災いしたようだ。実際には人間より食品の毒物には敏感である昆虫が食べていることは、寧ろ安全な食品とも言えるのだが、虫を食べに来たのではない客には通用しない論理である。
 そのフラインチャイズ・チェーンは、全国展開する前から横須賀、しかも杜氏が出た、いや入ることになる高校の近くにあった。時に1971年。公式に日本進出する前に、パイロット店としてテスト的にオープンされたのだろう。米軍があるせいか、横須賀にはアメリカ資本のこういったチェーン店が先行オープンするケースが多い。そこでのセールス実績を試金石とするためだろう。おかげで、高校時代は休講になると、学校を抜け出してそこで時間をつぶしたものだった。1972〜74年頃のことである。所ジョージ氏のCM、さねよしいさこのやる気がないようでやっぱりやる気がないヴォーカルのCMソングが印象的だった。博物学を扱った番組でコメンテイターとしてしばしば登場する實吉センセイがさねよしいさこの実父であるのは、意外だったがそう言われると納得できたりもする。そンなことなどどうでもいい。

 今朝そのチェーン店の会社から最寄の店舗に入ったところ、新製品のポスターに「レシピにはないおいしさ云々」といったキャッチ・コピーが用いられていた。なるほど、イモムシはレシピにはあるまい。タイミングの悪いことだ。

 その本社からのコメントでは、問題の昆虫の正体は「ヤガの類の幼虫」とあった。やはりと思った。断言は不可能だが、件の幼虫はヨトウムシなのではあるまいかと感じていた。

 ヨトウムシ。ヨトウガの幼虫である。いや、ヨトウガがヨトウムシの成虫であるとも言える。なぜならヨトウガの名は幼虫の生態から由来しているのだ。ヨトウムシは典型的なイモムシでどこにでもいるように思えるほどの普通種だ。およそえり好みというものをしないのではないかとあきれるほど、様々な植物をホストとする。その数、実に45科、107種というが、半端な数字からしても確認されただけでそうなのであって、実際にはもっと多くの植物を蝕んでいるに違いない。ヨトウは議会で右側の席に就く政党のことではない。夜盗つまりは窃盗犯だ。完全な夜行性なのだ。しかも夜に凄いことをしでかす。

 その食欲は貪婪と表現すべきもので、時として畑の作物の葉を一夜で食い尽くすほどだというのだ。無論少数の個体でそのような壮挙が叶うワケではなく、ヨトウムシは集団行動をする。つまりは群盗でもあるのだ。その食べ方は葉脈を残して歯の部分を貪り、葉であったものを網目状のものに変えてしまうものだ。昼に人間がそれを見つけ、犯人を捜そうとしても無駄な話である。多くの鱗翅目の幼虫が食草にしがみついたまま生活するのに対して、ヨトウムシは昼の間は土の中で眠っている。あまり大きな印象はないのだが、大きな幼虫は5cm以上にもなる。大きな身体を維持するにはそれなりの量の食料が求められるのだろう。

 およそ雑食性の強い昆虫であるが、中でも特別に好む植物はあるらしい。イタドリを被害に遭う可能性が高い畑に置いておくと簡単におびき出される。以前、何かの拍子に会社からの帰途つまりは夜に、道端のイタドリをむしって持ち帰った。明るいところでよく見るとヨトウムシが一匹ついていた。なるほど夜盗だと思った。

 何しろ、貪欲であるので、農家、園芸家にはとても嫌われる。だからとても有名な虫である。高名なワリにさほど頻繁には見かけないのは、日のあるうちは地中で休息しているからなのであろう。

 幼虫はこれぞイモムシと呼べるようなシロモノで、それ以外に表現しようがない。ケムシにはならない。成虫は大きくも小さくもない開帳4.5センチ程度の中型のガだ。灰褐色の地味なガでこれまた、これといって特徴がない。灯火にも寄ってくるので、写真を見れば誰もが心当たりがあるだろうが、取り立てて覚えておいてご利益がありそうなガとも思えない。初夏と秋に二化し、大概は卵で越冬するが、ここのところの温暖化の影響なのか、成虫で越冬するようなヴァリエーションも出てきているらしい。

 産卵は例外なく葉の裏に為される。びっしりと密集した百個前後の集合体となる。何に似ているかと訊かれれば、子持ち昆布かもしれない。考えてみれば子持ち昆布も昆布に魚卵が産み付けられたものだ。似ているのも当然だろう。卵は時を経るに連れ変色し、孵化前には黒ずむが決して死んだワケではない。一頭の雌が産む卵は数千個ということだから、雌は何回かに分けて産卵を繰り返していることになる。

 人間からは目の敵にされるヨトウムシであるが、成虫にまで育つ歩留まりは決してよくはない。ということは天敵にも充分な恩恵を施していることになる。アシナガバチなどは好んでこれを捉え、肉団子にして幼虫に振舞っているし、アオクチブトカメムシなどにも重要な栄養源であるに違いない。広い食草のアローアンスを持つことは、どこにでも簡単に捉えられ、肉食系の昆虫からアテにされることをも示している。また、ヨトウムシにしか寄生しない種類の寄生バチなどもいるようだ。しかし、それも人間に優る天敵はないに違いない。

 終令では5.5cmに及ぶヨトウムシであるが、蛹は2cmと少しと逆に縮小される。余分な水分を蛹化の前に体外に出してスリム化を遂げるらしい。褐色で飴色に光る蛹は、昼間の幼虫と同じく地中に潜ってしばしの眠りを貪る。

 ヨトウムシをヨトウムシにしたのは人間である。弱い虫だから、様々な草の葉を食べられるような戦略を取るし、外敵からの襲撃を受けやすい昼の活動を避ける。群れとなるのも、個体を犠牲にして群れが効率よく生き残るための習性である。こうして生きるために汲々としている昆虫の目の前に、人間の庇護下で安定的に高品質な栄養が確保できるような畑が現れたら群れを成してそれを享受しにかかるのは当然であろう。ヨトウムシに自然の植生も耕作地も区別はつかない。夜に活動するのが窃盗犯の所業であるという倫理観もない。つまり耕作地の作物が人間のものだと思い込んでいるのは人間だけであり、ヨトウムシにとってはテリトリ内の効率のいい食糧獲得スポットに過ぎないのだ。もし神がいて審判を下すとしても、人間には勝ち目はないだろう。人間がヨトウムシをわざわざ呼び寄せたのである。人間に捕まったとしても、ロールケーキのように丸まって難を逃れようとするしか能がない虫なのだからこそ、強い面もある。

 シラス干しの中に微小な他の海洋生物が混じっていたり、アサリの味噌汁の中からおそらくはアサリと共生していたと見られる小さなカニが出てきたりする。だが、そのようなことで商品にクレームなどつかない。今回の事件も多くの人間が昆虫を食べる習慣がないから起きたに過ぎない。ヨトウムシを食したとしても、何の危険もないことは明らかである。こうなるのだったら、一度「涼風粥」を食べておくのだった。ヨトウムシ入りでもかまわないから。




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