アシタバ

杜氏の棲む土地

 「鶴居村から鶴が出て、鴨居村から鴨が出て・・」というのは、山上たつひこの描くアヴァンギャルドな少年警察官「がきデカ」のこまわり君の決まり文句だっただろうか。杜氏は村ではないが、鴨居という土地に棲んでいる。鴨居とは決して鴨が居たからではなく、アイヌ語(つまり古代日本語)に残るカムイから来ている。鴨もいるにはいたが・・・。カムイとは神である。カムイ、カムィと音便的に発音が変化してカミとなった。神が棲む神聖な土地だったのだろうか。鴨と違って神には残念ながら出会ったことがない。

 横浜にも鴨居という地名があり、中学生の頃、陸上競技では「横須賀鴨居中学」「横浜鴨居中学」と便宜上区別されていた。だが、正式な校名に「横須賀」などはつかず、単に鴨居である。横須賀の市街地は東京湾岸に展開しており、交通機関なども東京湾沿いに走っている。にもかかわらず、東京湾が岬で途切れる走水、観音崎、鴨居は、半島の逆の相模湾側に位置する長井、大楠などと並んで、横須賀のチベット(チベットに失礼!)などと呼ばれ、田舎呼ばわりされる。神の棲み家もヘッタクレもない。そういう人手がつきにくい地方だったから、神も棲みやすかったのだろうか。

 観音崎は海難の地として有名である。ただでさえ狭い東京湾に東京、横浜、川崎といった大都市に向かう大小の船が行き交う。湾の出口が富津と観音崎に挟まれた箇所だが、見かけ上は船の往来が美しい光景だが、船にとっては大変な混雑であるらしい。日本最初の洋式灯台が観音崎に設けられたのも、そういった事情に拠っている。そもそも観音崎の観音には海難による被害者への鎮魂の意味が籠もっている。正式には観音崎ではなく観音埼なのだそうだ。現在は崎が用いられているが。
 灯台のすぐ下当たりには海触涯が大きく口を開いており、高僧として有名で菩薩に準えられる行基がこの洞窟で大百足だか大蛇だかを退治したという伝説が伝えられている。ありがちな話であるが、海難事故や海賊、山賊などの害に苦しんでいた人達を、行基が救ったことは想像に難くない。スサノオノミコトのヤマタノオロチ退治や、弘法大師の杖による泉の発掘に近いエピソードだろう。
 人の生き死にが頻繁に起きていた土地であったことは間違いないらしく、そのためにも必然的に神が必要だったのかもしれない。日本武尊の妻、弟橘媛が荒れる海に身を捧げて夫を救い、自らの命を断ったのもこの地にほど近い走水である。

 山が切り立った崖を形成して海岸線に迫っているこの地では、海洋性の植生と温暖な土地を好む常緑樹の林に恵まれている。

 前出こまわり君の持ち芸には「アフリカ象が好きっ」というナンセンスもあったが、そのノリと同じ文脈で「八丈島のきょん」というのもあった。きょんは鹿のスタイルを少し悪くしたような草食獣で、八丈島ならではの動物である。同じく八丈島の特産物にアシタバがある。アシタバは明日葉で、今日葉を摘んでも明日にはまた生えてくるという語源であるらしい。生命力の強さは折り紙付きで、砂混じりの土地であろうと、日当たりが少々悪かろうと平気で生える。セリの一種であり、八丈ゼリとも呼ばれるそうだ。香気のある葉や茎にセリの共通の特徴が窺われる。八丈島と言えば時代劇の「遠島の刑」で知られる流刑地。鳥も通わぬ八丈島だ。これが大航海時代のイギリス、フランスだったら、オーストラリアに相当する。今は観光リゾートの島かもしれないが、ネガティヴなイメージは免れない。
 だが、アシタバは八丈島はじめ伊豆七島だけの産物ではなく、温暖な沿岸地方ならどこにでも生育する。特に三浦半島は海に囲まれており、半島全土がアシタバの繁殖の適地であると言っていい。斜面や荒れ地、山林の木陰と至る所にアシタバが蔓延っているのが見られる。葉や茎を切ると、切り口から黄色っぽいネバネバした汁が出て、灰汁を連想させる。これは他のセリ類には見られない独特の特徴であるらしい。
 事実、その汁のせいか生で食べると苦い。ただ、軽く湯がいたりおひたしにするだけで、苦みは簡単に除くことができる。沿岸に育つせいなのか、味には磯の香りを連想させる風味がある。八丈では味噌汁の実にも使うそうだが、乾燥して茶にしたり、エキスを抽出して薬効を活用したりもする。強精、強壮効果が主な用途だが、便秘、肌荒れ、美容にも効果が高く、癌予防にまでなるらしい。一般的には、利尿、緩下、血圧降下、浄血、造血、毛細血管強化、抗菌、脱臭、解毒、健胃、整腸、抗アレルギー、排泄、脂肪吸収抑制、老化防止、催眠作用、生長ホルモンの調整機能、母乳分泌促進のほか新陳代謝を促進の効能が知られる。アシタバの生命力がそのまま人間の元気をも活性化させるのだろう。主に白血球の働きを促すので、新陳代謝や癌にまで効果があるのだろう。アルツハイマー病にも効果があることが最近見出されたとも聞く。
 ただ、摘んだアシタバをそのままミキサーにかけて青汁にする場合、一日100ml程度に留めるのが適量だそうだ。効果が強いものほど、過度に摂取すると弊害が出るものだ。過ぎたるは及ばざるが如しである。
 主成分のひとつにセントニンという物質があり、これが婦人にだけ特殊な作用を及ぼすらしい。子宮を刺激して排卵を促すので、少女期の女性の初潮を早めたりするらしい。それだけなら明確な害はないが、子宮を刺激することが妊娠中の女性の場合、異物としての胎児を排出する作用を促し、流産につながることもあるという。そうなると美味だからと言って迂闊には口に出来ない。だが人間の本能も捨てたものではなく、そういった効果を察知して一旦口にしたアシタバを、何の知識もないのに反射的に吐き出した妊婦を杜氏は知っている。

 草丈は頑丈な草らしくとても高い。1mは越え、普通2m程度、条件次第では3mに及ぶものも見られる。秋口に一株に幾つにも別れた先端の成長点にフキノトウのような花芽を出し、やがてそれを開いて群生した薄緑がかった白の小さな花を咲かせる。いかにもセリの類らしい花であるが、何しろ丈が高いので可憐な印象はない。

 杜氏の棲む土地にはアシタバだけではなく、南関東一円で見られる山菜の類の殆どを収穫することが出来る。神の領域を定義したのは人間であり、神の居住地と呼ばれている期間は地球が脈々と営んできた悠久の歴史のほんの一瞬に過ぎないことは他の項でも触れたことがある。ただ、豊かな海と森林がもたらした資源に支えられ、湾の入り口を狭めた特殊な地形によって人の命を呑み込んできたこの地には、やはり未だ何ものかが潜んでいるような気がする。観音崎は東京湾への人の、つまりは侵略者達の安易な侵入を厳然と拒むように立ちふさがっている。この地に特別な生命力を秘めるアシタバが、半島の他の地より濃厚に蔓延しているのにも理由があるように思える。
 一度、杜氏の棲む土地を統べる存在に遇ってみたいものだ。



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