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マッチパズルというのがある。マッチ棒で出来た図形の犬の身体の向きを棒3本動かして変えろ、といったパーティで使えそうな小ネタである。「櫛の火」というジャネット八田(現田淵幸一夫人)主演、というかデビューとなる映画があり、HOTELという字を二本動かして、中で為されている行為に変えろというお題が出ていた。答Hの横棒を斜めにしてN、O(というより正方形)の右の棒を横にして真ん中に移しEというものだった。映画同様あまりいい出来ではない。杜氏はこういった水平思考式のクイズがあまり得意ではなく、面白いとは思ったが、得意な方ではなかった。その中で唯一即座にわかった難問が「マッチ四本を使って漢字の田の字を作れ」だった。解答は本コラム末尾に。
湘南地方でも有数の象徴的スポットに住む友人が住民運動に参加している。近くにある私立女子高校が最近の傾向でもある共学校化に踏み切り、市からの貸借地でもある校庭に面した池を埋め立てようとした。ところが、その近隣の住宅地は海抜が大変低く、大雨が降ると必ずといっていいほど冠水状態となり、せめてもの救いが水を集める機能を果たしていたその池だったらしい。それが埋め立てられてしまうことになると・・・。またその池は古くから水鳥や種々の生物が棲む貴重な自然環境を育んでおり、市民の憩いの場として親しまれてきたという。その土地に住む人たちにとっては由々しき問題である。
小学校の社会科で習うように、古代の世界文明は例外なく海に流れ込む大河を周辺の河口地方に繁栄した。ナイルは度重なる氾濫で人々の暮らしを圧迫もしたが、その後に肥沃な農耕地を残していった。だからこそ、母なるナイルとも呼ばれていたのだろう。だが、狭い国土の更に狭い河口付近に工業地、商用地、住宅地が密集している日本では、河川の氾濫は死活問題だ。律令制度制定以前の昔から人は土地を財産の中心に据えてきた。いしょうけんめいは一生懸命と綴られるのが普通だが、本来一所懸命。ひとつの土地に命を懸けることだ。旧体制を倒した鎌倉武士のエネルギー源もこの土地への執着だった。だから広大な土地を抱えるナイル川流域とは元より事情が異なる。水害に生活を踏みにじられていては暮らしが成立しない。
昔、父が川崎に勤めていた頃、台風に見舞われた日など、鶴見川を越えられるかどうかが、自宅まで帰ってこられるかどうかの基準だったという。それほど、鶴見川は有名な暴れ川だった。今はすっかり護岸化が進み、川の流れは人手によってかっちり定められている。そうでなくとも、東京湾の護岸化は埋め立てと同時進行で進み、今は三浦半島側では、東京湾の出口となる馬堀海岸まで全部護岸となってしまった。首都圏の水辺はすっかり人間が掌握してしまった。
友人の参加している住民運動のホームページによれば、その土地はかつて西行法師がその池に鴫が立つ様子を詠ったほどの景勝地で、それ以前の昔には今に残る地名から類推して鶴が訪れた形跡すらあるという。また沢、沼、池などのさんずいが付く地名、谷、久保、窪などのくぼ地を示す土地は不動産業では避けられ勝ちな傾向であると言う。だが、地名によるブランドイメージに訴求力のあるその土地を住宅地として売り出す戦略もあったのだろう。今、そこは水害に脅かされながらも、閑静、瀟洒な住宅街としてのステータスを保っている。三重にさんずいが付く土地でありながら。
考えてみれば新興の住宅街は「〜山」「〜ヶ丘」「〜台」「〜原」などという高台を思わせるネーミングとなっている。英語で言えば"Heights"であろうか。嵐が丘は"Wuthering
heights"だ。また山の手、下町という呼び方もある。開発にコストがかかる高台と、容易に集落が出来易い谷あいとの階級意識は昔から、いや昔だからこそあったのだろう。房総半島、三浦半島は本来山地であったのが陥没して半島として残ったなどと、大学の頃、教職課程の「人文地理学」で習ったことがある。そのコマを担当する講師が若くて美しい女性だったので、講義は少しも面白くなかったが大変な人気講座だった。三浦半島は海岸線が切り立った傾斜地であることが多く、起伏が激しい。義経の鵯越の逆落としも義経のオリジナルだったのではなく、従軍していた三浦の若武者、佐原十郎義連が「三浦ではこのような場所でも馬場にしてるよ」と言い放ったことから実現したという。人々は僅かな平坦地を耕作して、谷あいに住んだ。それが貧しい人々の集落である「谷戸」だ。弱い地盤からの土砂崩れ、地形から来る水害の危険とも隣り合わせだったのだろう。
杜氏が住む場所を古来から鴨居と呼んでいた。鴨が居たからそうついたのではない。「カムィ」つまり古代日本語で神を示す言葉が訛ったらしい。それこそ海に東へ突き出した三浦半島の中にある更に小さな半島の趣で、つまりは開発に適さぬ未開地だったのだろう。田舎であることは今でも変わらない。思うに未だ本能が薄れていなかった頃の日本人は、自然災害に見舞われやすく耕作や居住に適さない土地を畏敬の対象として崇め、敬して遠ざけていたのではあるまいか。鴨居などの地名はその顕れなのかもしれない。そこを人の手で侵せばよからぬことが起きるという警鐘であるように思える。鴨居に住んでおいて、偉そうなことなど言えないが。だが人は文明によって神の領域を浸食するに至った。友人が住んでいる土地もそういった類の聖域だったように思える。無論、住民の責任などはではない。開発者、それも昔に遡ってのことだろう。死んだ人達に責任を負わせることなど不可能だ。できるのは、今後の都市計画に失くした本能を補うだけの叡智を発揮することだろう。せめて池を守るという次善の策も含めて。
その池に1980年代まで繁殖していた植物にデンジソウがあるという。杜氏は自分で観察したことがない昆虫、植物については題材として取り上げないことにしているが、友人を応援する意味で今回は禁忌を破ることにする。デンジソウとは電磁場を発生する植物などではなく、漢字の田の字に似た葉の生え方をすることからの命名らしい。ちょうど四葉のクローヴァーのような形態だが、四葉が珍しいワケではなく、それが普通となっている。英語の俗称では"Water
clover"であるらしい。ウキクサにも似るが、実はシダ類で、花や実をつけずに胞子嚢を葉の裏につけて繁殖する。だが滅多に胞子嚢を見た人はおらず、水の底に走らせる根で繁殖するケースが多いようだ。湿地に近い浅水域、しかも水位が安定していることが生育の条件で、水が干上がれば枯死するし、水嵩が増しても葉を水面に出して呼吸することが不可能になる。だから土地を選ぶ。この珍しい植物が池に最近まで残っていたということは、友人の住む地帯が水害に悩まされることになったのが、さほど昔からではないことを物語っている。他の隣接する地方の水周りの条件が変わったために、遊水地としてのその池に過大な負担がかかるようになり、水位が乱高下するようになり、デンジソウの繁殖に適さなくなったのだろう。
写真で見たが、なかなかすっきりとした形の葉を水面に浮かせているきれいな水草だ。美しい葉を持つ種が多いシダの一種であることも頷ける。観賞用としても充分耐えうるだろう。くだんの池のデンジソウは、絶滅を察知した篤志家によって採取、移植され、栽培されているようだ。元々多年草で、適地には長く定住するようなのであるが、この辺りでは栽培でしか見られなくなったことが痛ましい。群生する習性があるから、ヤゴ、マツモムシ、ミズスマシといった多くの水棲昆虫にも棲息スペースを与えていたことだろう。ひとつの植物の栄枯盛衰は、その植物だけに関わる問題ではないのだ。無論、それは巡り巡って人間にも影響を及ぼすだろう。取るに足らぬことに思えて、長い歳月の中では無視できない問題となる可能性がある。
自然に恵まれたスポットを残すことによって、地域の青少年への教育に活用するような働きかけをビオトープと呼んで、日本でもそこかしこで注目を集めている。「生物の」という接頭語であるBioと場所を意味するTopの合成語でドイツが発祥の地であるらしい。ムーヴメント自体もドイツから起こっている。(英米だったらバイオだ) 首都圏の小中学校などで、人が泳がなくなった期間のプールに数々のトンボ、ゲンゴロウなどが産卵し、冬に水を抜いて清掃することで、孵化したヤゴ、その他の水棲昆虫の幼虫が死滅してしまうという。それを避けるために、生徒達に自然観察をかねて、プールからこれらの昆虫を採集して然るべき棲息地へ移す運動が活性化していると聞く。やや趣旨がずれているが、これもビオトープの展開形かもしれない。もう少しこの運動が早く世に定着していれば、この地の池埋め立て問題は違った展開を辿っていたかもしれないのが惜しまれる。無論、今からでもおそくはないのだが、デンジソウの自生は最早蘇らない。
またビオトープとは言っても、所詮は人工の自然である。不自然に守られたサンクチュアリは長続きしない懸念が付き纏う。不自然に守られることで必要以上に繁殖してしまう種が本来以上に増えてしまう可能性もあるからだ。安易な発想を自然は受け付けない。だが発端が人間の安易な都市計画によって起きたことは自明だろう。地方行政の事情、ディヴェロッパーの事情、法人としての学校の事情、これらが輻輳して抜き差しならぬ状況へと陥っていることはわかる。だからといってそれらが生み出す矛盾が住民側だけに課せられるのは如何にも不合理である。地名が先人のタブーを示しており、それを破ってしまった人達が悪いなどと言っても埒が明かないのだ。
友人の住民運動は苦戦を強いられるだろう。年明け早々に既に工事(といっても周囲の囲いだけだが)がスタートしたという。だが。杜氏の力が及ぶのなら、その範囲で応援をしてゆく所存である。
最後に冒頭のパズルの正解。四本のマッチ棒を横二本縦二本の矩形に縒り合わせる。マッチの頭が付いていない矩形の断面を返す。そこに見える文字は?
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