ガマズミ

ありきたりの安らぎ

 秋のことを最も好きな季節に挙げる人は多いだろう。気候も過ごしやすく、作物は豊かに実り、夜には虫が鳴いて人の感興を惹く。食欲、実り、芸術、スポーツ、etc.と、これほど豊富な修飾語と共に語られる季節はないだろう。収穫を言祝ぐ祭も各地で頻繁に催され、人の心も浮き立つ。
 杜氏はこの季節が好きにはなれない。杜氏は元々「変温動物」「鶏以下」と罵られていることからも明らかなように、暑いのが好きで寒いのが苦手だ。競技成績にもそれは如実に顕れており、盛夏と急に気温が上がる春先にベストを出すのが常だった。温度の絶対値よりも寧ろ微係数に影響されるようだ。気温が上がる度合いが激しいと調子が上がる。秋にはいい思い出がない。杜氏にとって、いい気候と言うよりは憂鬱な冬への序章としか解釈できない。
 サトウハチロー作詞の「小さい秋見つけた」など、イントロが流れてきただけで気が鬱いでしまう。題名からすると、まだ夏の間に秋の気配を見出しているようだが、内容はとてもディープなミッド・オータムという感じで、寧ろ冬を思わせるメロディと歌詞である。秋の何が嫌いかといえば、この歌に象徴される雰囲気が嫌と言っても過言ではないだろう。サトウハチローには含むところなどないけれど。山口洋子(飲み屋のママではない別人の詩人で、作詞家ではない)の「誰もいない海」の絶望の中に仄見える希望なら深く共感出来るのだが。

 秋になると落葉樹は紅葉し、同時に多くの木の実が色づき始める。この辺りも人の感興を喚起する要因なのかもしれない。前述のカラスウリに象徴されるように赤く色づくものがもっとも多い。黄色い花が最も昆虫の視覚を刺激するように、赤い実はそれを食べて遠くへ種子を運んでくれる鳥にもアピールするのだろう。ナナカマド、ハゼ、アオキ、グミ、ナンテンなどがそうだ。その中にガマズミという植物がある。
 莢迷と書くらしい。いや本当は迷には草冠が付く。字には余り意味がないだろう。昔は幹を鍬鍬の得にしたらしい。鎌にも利用したのかもしれない。だからカマが付き、染料に利用したらしいことから「染め」が「ズミ」と訛ったという説があるという。また「神ツ実」というのが訛ったとも言われているらしい。何れにせよ、確かではなく、「説」でしかない。今は鎌の柄にも染料にも用いられていないガマズミはガマズミでしかないのだ。
 スイカズラ科の灌木で、コデマリなどと近い種類である。林の入り口や森を横切る道の脇、つまり日照条件が良い場所に見られる。人目に付くのも、そういったニッチの関係によるのかもしれない。杜氏も子供の頃からとても頻繁に目にしてきた植物である。対生する葉は広卵形の円形。葉の付け根には托葉が見られる。比較的大きな葉で落葉性広葉樹らしい形状だが、一目でガマズミとわかる特徴的なものである。初夏に白い花が群生して花序を形成する。それぞれの花では雄蕊が五本突出しており特徴的である。群生する花が好きではないという人も多く、杜氏もアジサイやヒマワリ、キクなどは苦手だが、このガマズミやコデマリ、ヤブデマリなどは、ひとつひとつの花が存在を主張している印象があり、可愛らしいと感じる。
 花の多さが示す通り、小さな赤い実がそれぞれの花の後に数多く実る。これも観賞に値する見事さである。また、熟して粉が表面にふいた実は霜に当たったものであるらしく、甘酸っぱく食用になる。ただ、これを摘んで八百屋、果物屋に並べるほどのことはない。山に遊びに来た子供が悪戯半分に摘んで食べても害にはならない程度のものだ。基本的にはガマズミの実は鳥達の食糧としての価値の方が高い。大量に摘めば、果実酒として利用することが出来る。市販のホワイトリカー1.8lに氷砂糖200g、ガマズミの実適宜を漬ける。数ヶ月で見事に透明な赤い果実酒が出来る。漬かったところで、ガマズミの実を取り出して飲用する。数ヶ月で飲用可能だが、無論数年漬けても構わない。ただ、数年漬けたものは赤い色が濁り見栄えは悪くなる。その変わりに味は深みを増す。滋養強壮、利尿効果があるらしい。

 チョウジガマズミのように鉢植えや露地植えで楽しめる園芸種もあるが、基本的には野生種である。ただ、樹の丈にせよ、葉にせよ、花にせよ、実にせよ、あまりにさり気なく普通でしかも自己主張を感じる姿が魅力的で、庭の隅にでも植えてみたい木である。寡聞にして、栽培種として品種改良されていないガマズミを庭木にしているという話は知らない。ムラサキシキブもガマズミ同様、庭に置きたい野生種であるが、薄紫の実がガマズミよりも不自然であるし、杜氏としてはパトロン同士の権勢争いに勝ち誇った紫式部よりは、清少納言、和泉式部の方が好きだ。そしてセイショウナゴン、イズミシキブという名の樹はない。戯れ言はこれぐらいにしておこう。
 杜氏の家の庭は意識して、近隣の自然を再現しようとしたところがあり、ガクアジサイ、グミ、ノビル、タラノキ、ヤマグワ、クコ、アシタバ、ミツバ、トベラなどを林から拾って来て植えてある。ナナカマド、ハゼ(これは邪魔!)、ノイバラなどは鳥の種子運搬もあってか自生してきた。蕗が欲しいなと思っていたら、ツワブキがタンポポにも似た綿毛の種子で根付いたのか、いつの間にか生えてきた。ただ、どこにでも根付きそうなミョウガは駄目だった。ヤマユリも五年目には芽を出さなくなってしまった。今、欲しいのはムラサキシキブとガマズミなのだが、そういう種に限って鳥は落とし物をしてくれない。自然に生えて来ないということは、家の庭はガマズミの適地ではないということなのかもしれない。ハゼの適地であるというのは困ったものだ。これは改築前の庭にも蔓延り、大晦日に意を決して伐ったりすると、必ずかぶれて酷い目に遇わされた。しかも、切り株から再び生育し始めるから癪の種だ。

 林の入り口、山道の端でさりげないものが与えてくれる安らぎを醸しているガマズミは、やはり庭に置いて楽しむべきものではないのかもしれない。路傍で見かけることで、我慢することにしようか。手に入れてしまった瞬間色褪せる輝きも確かに存在するものだ。

 深まる秋。冬への予感におののきながら、これらの得難い安らぎを満喫することにしたい。



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