ナツグミ

人生甘いことばかりじゃない


 
SMAPの香取慎吾は「マヨラー」として有名だが、子供の頃マヨネーズ持参で山に入って、林に生えている木の葉、草の葉を取りマヨネーズをつけて食べまくっていたという。で、口の周りがかぶれたりすることで、食べていいもの悪いものを覚えたらしい。彼は確か川崎出身である。川崎と言っても都市部は沿岸のわずかな地域で、大概は住宅地だ。1970年代の川崎の工業地帯の惨状を知っている地方の人なら、川崎と聞いて公害を連想ゲーム的に思い浮かべるだろう。だが、多摩川沿いに西へ方位を辿れば、武蔵野の昔ながらの田園地帯が今でも拓けている。果樹園なども多く、自然も残っていたのだろう。ただ、環境はいざ知らず、文化的には首都圏の都会と呼べることは確かで、そういう経験は都会ッコにとって貴重なのかもしれない。人間は本来、本能的に食べられる植物と毒を含むものをある程度識別出来るはずなのだが、本能が消えかけている現代人は実践で欠損した感覚を補うしかない。

 杜氏も子供の頃は近くの山に登って同じようなことをしていた。ただし、マヨネーズをそのような用途に利用するには、社会全体がまだ貧し過ぎた。マヨネーズを外に持ち出したら多分叱られただろう。山にはカラスウリやヘビイチゴのような一見旨そうに見える色鮮やかな果実も多かったが、年長の子供が食べられないもの、食べてはいけないものを教えてくれた。杜氏自身も食べてはいけなそうなものは直観で判断できていたような気がする。それが当たっていたかどうかは別として。

 食べられる木の実の代表はアケビだった。これを獲るだけの目的で山に入ることもあった。だが、大概、目に付くような場所に成っているものは簡単に獲られてしまうので、山道から外れた林の奥に足を踏み入れ、数多く成っているスポットを探さなくてはならなかった。探し当てても、実の多くは蔓の先の方にぶら下がっており、年長の子が木に登って獲るのが常だった。最年少に近かった杜氏はミソッカスで、下で待機しているしかなかった。実は堅く口を閉ざしているものは未熟で、食べるには適さなかったし、口を開けているものでも鳥が啄んだ後のものも多かった。無条件で人間のみが旨味を独占できるワケではない。熟した果実は果物屋で売っているようなものとはまた違った旨味があったが、何しろ種子が多く、それを吐き出しながら食わねばならなかった。当たり前だ。それがアケビの狙いである。ただ、鳥のように丸飲みして、遠くへ移動してから排泄してもらわないと、広い地域に繁殖するという、もうひとつの目的は遂げられないのだが。

 アケビより手軽に食べられるのがクワの実だった。これは低木であり、よく道に覆い被さるように繁っており、暗紅色の実をさも食べてくださいと言わんばかりにぶら下げていた。何しろひとつひとつは小さいし、傷みやすいので店頭に出回ることなどない。意外なほどに甘い実を貪るのは、野山を駆け回る子供達の特権だった。不思議なことに、獲ってきたものを家に帰ってから食べたのでは、現地で味わう旨さが感じられなかった。

 グミもこうした道端の愉悦を味わう性格の植物だった。茱萸と綴る。口に含んで液果を食べ、真ん中の種子を吐き出すことから、含む実が訛ってグミとなったらしい。茱萸は当て字か? 野生の木の実はアケビやヤマモモのように旨いが種子が邪魔なものが多いが、グミは豊かな果肉が真ん中の種子をくるんでおり、食べやすい部類だった。

 葉裏が白っぽい灰緑。銀色の光沢を放っていると言えなくもないので、林の中でもよく目立つ。熟した実はこれでもかというくらいに赤く、いかにも鳥に食べてもらいたそうな佇まいだ。細かな白い斑点も旨そうに見せるアレンジかと思いたくなる。ところが、この実が必ずしも万人向けの味ではない。無論不味くはないのだが、少なくとも子供向きではないかもしれない。熟したものは甘いのだが、同時に酸味もきつい。また、独特の渋味が後味として残る。グミの語源は「含む実」以外にも「エグ味」から来たという説もある。決して不快な酸味や苦味ではないのだが、子供にとってはハードルになるかもしれない。鳥はこれらを苦にしないと見えて、好んで食べる。もしかしたら鳥の機動性を最大限に発揮してもらって種子を遠くへ移動させるのに妨げとなる哺乳類を、この酸味、苦味で防御しているのかもしれない。

 子供の菓子にグミというものがある。あれは歴とした英語でGummyと綴る。ゴムのような、ゴム質のという形容詞である。それが転じてゼラチンに甘味を混ぜた弾力のある菓子となった。チューインガムのガムも同じ語源である。日本の植物であるグミとは無関係である。だが偶然の一致なのか、グミの実の艶やかな外見、弾力のある表面は菓子のグミを連想させられるところがある。

 実は生食も無論可能だし、ジャムにしたり、果実酒にも出来る。薬効があるのかはわからないが、多分あるのだろう。栽培種でビックリグミという種類があり、長さ2cmに及ぶ大きな木を結ぶ。大きい分、ジャムにも果実酒にも適している。

 酸味、苦味を敬遠する向きでも、実の美しさに変わりはないので観賞用に栽培されることもある。杜氏は成ったものは食用にしなければ気が済まない質なので、この楽しみ方は好まない。盆栽になってこぢんまりした樹が鈴なりに実をつけているのを、人の家で見掛けたりするが、本来林に自生しているべきものなので痛々しい気もする。葉にも妙味があるので、観葉植物的な楽しみ方もあるようだ。 暑さには大変強く、寒さにも適度に耐えうる丈夫な植物で、手間もさしていらないから、園芸種としても好まれる傾向にある。

 杜氏の家の庭にもグミを植えていた。ナツグミである。毎年きれいな実をつけたが、どういうわけか年によって出来不出来があった。隔年結果というものでもない。もっと気まぐれな傾向だった。聞けば自家結果はしにくいものらしく、結果を促すには特定の薬剤散布が必要であるらしい。そこまでして結果を促す気は毛頭なかった。樹が可哀想に思えた。父が大病を患って二年ほど入院した間も、杜氏は庭のグミを大切にしていた。大切になどといっても施肥などしたワケではなく、水をやっていたに過ぎない。赤い実が成るのを楽しみにしていた父に、退院してからも楽しんでもらおうと思っていた。

 七年ほど前に父が買った土地に父が建てた家を壊して家を建て直した。庭には杜氏の地元の林に生育している植物を優先的に集めた。その中にツルグミ(マルバグミ)がある。暖地の海岸地方に生えるというから、正に杜氏の住む地方に適した植物だ。晩秋に咲いた花は翌春に実をつけるというが、何年経っても一向に結果してはくれない。やはり特殊な薬剤が必要なのだろうか。蔓を延ばして庭の一角を占めて蔓延っている。隣家にまで蔓を延ばしかけているので、やや厄介でもある。だが葉も楽しめるので、それでもいいかと思っている。アケビもクワの実もサルトリイバラの実もグミも、やはり林に分け入って手足に引っ掻き傷を作りながら獲るものである。いや、その実が食べられるものかどうかを判別するところから楽しみは始まっているのであって、庭に植えて安直に収穫を得るものではないのかもしれない。

 とは言いながらも、毎年春が来ると、このグミに実が成れば父の供養になるのになどと考えてしまう。


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