ハコベ

路傍の元気者


 「紅はこべ」という冒険小説がある。作者はバロネス・オルツィ。バロンが男爵なら、その女性形のバロネスは男爵夫人。有名なほらふき男爵はバロン・ミュンヒハウゼンで、誇大妄想狂はミュンヒハウゼン症候群。映像の魔術師・テリー・ギリアムが取り上げたほらふき男爵映画・「バロン」でヴィーナス(ボッティチェリばりのヌード!)と村娘の二役を演じていた当時ティーン・エイジャーだったユマ・サーマンはクエンティン・タランティーノによって「日本刀を持って飛行機に乗る荒唐無稽な危ない女」にさせられてしまった。そんなことはどうでもいい。「紅はこべ」が女性の手になる作品だとは知らなかった。調べてみると、このオルツィ男爵夫人、何十年にも渉って、「紅はこべ」シリーズだけを書いている。ライフ・ワークですな。
 この小説は「巌窟王」とか「三銃士」とか「鉄仮面」などと並んで、小学校の図書室に「推薦図書」みたいな顔をしてくすんだ背表紙を見せていた記憶がある。推薦図書っぽいから杜氏は当然読んでいない。読書が好きな少年であったことは否定しないけれど、人に、とくに学校に進められた本を読むのが大の苦手だった。それがコナン・ドイルやモーリス・ルブランであったにしてもだ。
 「紅はこべ」は学校推薦にしてはちょっとアウトローじみたヒーロー活劇の色彩が強い。フランス革命直後のフランス、ダントン、マラー、ロベスピエールらの急進派が恐怖政治を断行し、ブルボン王朝の名残で暢気にしていた貴族達が大挙して囚われ、あわやギロチン台の露と消える寸前に、一条の弾丸さえ撃つことなく救出して連れ去るイギリスの秘密結社、または正体不明の個人が紅はこべ。確か救出の跡に紅はこべが象られた紋章入りの何かを残してゆくという、いかにもイギリス風の気障な野郎だ。フェンシングの剣でZのマークをどこか(悪徳保安官の大きなズボンの尻とか)に残して行くヤツ(アラン・ドロンも演じた)の方がマシな気がする。古い映画ではデヴィッド・ニーヴンが怪傑黒頭巾、じゃなかった紅はこべを演じた。ちょっと意外だ。ニーヴンといえば洒落っ気たっぷりではあったものの、どこか気骨がある人物を演じる印象がある。あっ、紅はこべはただの気障野郎ではなく、恐怖政治にわざわざ異国からドーバー海峡を越えて出向いてまで刃向かう気骨のある人物ということか。考えてみればお節介な人だ。
 女性の作品だったのは意外だったものの、今物語のアウトラインだけ読むと、後のハーレクイン・ロマンを思わせる味付けもありそうだ。小説の原題はThe Scaret Pimpernel、映画はThe Elusive Pimpernel.

 何かお正月らしいお題がないか探していたが、見つからない。だったら春の七草かと思ったが、七草粥には少し早いかもしれない。春の七草は「せり なずな おぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ これぞななくさ」 因みに秋は「秋の野に 咲きたる花を指折りて かき数うれば 七草の花 はぎの花 お花 くず花 おみなえし またふじばかま あさがおの花」 要するに春の七草は冬の収穫に乏しい時期の貴重な食材であるのに対して、味覚豊富な時期の秋の七草はクズを除けば食えない。はこべらはハコベ。ナズナ、おぎょう(ホウコグサ)、ほとけのざ(コオニタビラコ)と並んで、「こンなもの食べるの?」と後込みしそうなシロモノである。今のスーパーの店頭に普通に並ぶのはセリ、すずな(カブ)、すずしろ(ダイコン)だけしかない。ナズナはおなじみぺんぺん草だし、あとは雑草でしかない。道端にこれらが生えているのを見ると、七草粥に不安を禁じえないのは杜氏だけだろうか。
 イギリスの冒険小説のタイトルになるほどだから、ヨーロッパでも一般的な、しかも好意的に受け容れられている植物なのだろう。怪傑ドクダミ小僧とかオニアザミ男爵では格好がつかない。日本ではそれこそどこにでも蔓延るたくましい雑草である。都会の僅かに残された地面を逃すことなく繁栄している姿にはいじらしいものがある。日本でよく見かけるのはミドリハコベとコハコベで、併せて一般にハコベと呼ばれる。残念ながら紅はこべは見られない。より大型の種にウシハコベもある。ナデシコ科に属しているが、どうしてそうなのかは寡聞にして存じ上げない。直径1cmにも満たない花はなかなか可憐でもある。十枚の花弁を持っているように見えるが、よく見ると五枚の花弁がそれぞれ根元の方でニ烈していて二倍に見えていることがわかる。白や極淡い薄紫の花である。繁縷と綴ることもある。これは漢名で、和名は「はくべら」が訛ったものともされるが、由来はよくわからない。
 柔らかい葉や茎をしているので、野鳥が好んで食べるらしい。鶏の餌に用いられていることも多い。米ぬかと貝殻などを併せて練ったものが、鶏にとっての完全栄養食になるという。英国ではニワトリグサとでも訳せるチックウィードとも呼ばれるらしい。(Pimpernelじゃなかったのかい?) 春の七草には入っているものの、人間が口にするのはどことなく憚れる。おひたし、和え物、サラダなどにされるらしいが。食べられる草の常として古くから薬効も利用されている。催乳、利尿、浄血効果があるそうだ。また乾燥、粉末化したものを塩と混ぜて歯磨き粉にもしたらしい。なるほど、サンスターやライオンは昔は営業していなかった。現代人が見舞われやすいとされている(メーカ側の論理)歯周病に効果があるらしい。歯茎出血や歯槽膿漏は必ずしも現代病ではなかったことを物語っている。今でも市販の歯磨きに混入している研磨剤や金属イオンを嫌って、塩で歯を磨く人がいるが、それよりは生薬でもあるハコベ入りの塩の方が効果があるだろう。このように新しい文明や商業主義は、古いけれど捨て難い文化を時として駆逐する。母乳の出が良くないことは、育児にとって由々しきことであるから、道端に普通に生えているハコベでそれが解消できるのだとしたら、若い夫婦には福音のようなものだったとも想像できる。
 こうしてみると、随分とありがたい植物であるのだが、ハコベを庭で栽培しているという事実にはお目にかかったことがない。誰のものでもない道端から共有財産としていつでも拝借できる雑草であることが存在価値なのかもしれない。馬鹿にし勝ちな雑草ではあるが、これは案外大切なことなのではあるまいか。ハコベのようなものまで争って占有するようになったら恐ろしい。オイルショックでトイレットペーパーを誰もが買占めに掛かった1970年代のパニックを想起させるものがある。どこにでも生えるけど、なかなか役に立つヤツ。ハコベを見直してあげたい気持ちになった。単独で食べておいしいというものではなさそうだけれど、そこがまたいいのかもしれない。

 一年に一日、七草粥を炊く一月七日にだけ、人の意識に上るハコベ。いや七草は一緒くたに七草でダイコンとカブが入っているのはわかるけど、あとは正体不明の草という認識の人の方が圧倒的に多いのかもしれない。そんな人の意識とは無関係に、ハコベは土さえあればそこに根を張って繁殖を繰り返す。

 今、学校の図書室に「紅はこべ」の本は健在なのだろうか。いや、活字離れが定着した中、図書室の存続すら危ぶまれる。あの種の小説を敬遠した杜氏ではあったが、今思うと邪険にすることもなかったと思う。デヴィッド・ニーヴンは随分前に痩せ衰えた上に亡くなってしまったが、今また英国の長身でセクシーな俳優の主演で「紅はこべ」がリメイクされているらしい。

 一年の締めくくりに、「正月らしいおめでたいお題を」と思ったら、何だか冴えない企画に終わってしまった。でも、これも、「大晦日も正月も無関係にされど人生は続く」という教訓なのかもしれない。路傍の草に視線を馳せるゆとりを心に保ちつつ、毎日を大切に生きなければならない。



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