ハマダイコン

再び野へと還る

 春の七草にスズナ、スズシロとある。スズナはカブ、スズシロはダイコン。いずれもアブラナ科の植物で、アブラナとは非常によく似ている。在来種ではなく、元々食用の栽培種として中国から渡来したものである。スズナ。スズシロはかつては古語として一般的であったと思われるが、現代では七草粥にする春の七草限定の雅語のような機能しか果たしていない。ダイコンには大根足、大根役者など、否定的なニュアンスの修飾語となっていることが多く、イメージが良くない。だが、真の意味での大根足は脚線美を示しているとの説もある。今は少なくなってしまった練馬大根や杜氏の地元で取れる三浦大根のスラッとした形状を考えると、それも頷ける。
 「ダイコンの花」というタイトルのホームドラマがあった。昔の話である。森繁久弥が頑固ジジィを演じる向田邦子脚本作品だったと記憶している。ちゃんと大根役者の竹脇無我が確か森繁の息子として出演している。竹脇の父と森繁はNHKのアナウンサー時代の同僚で、森繁はその恩義から無我を援助しようとしていたフシがある。だが、生来のダイコン振りは如何ともし難かったようだ。タイトルの意図は、ダイコンのように野暮ったいイメージがある植物でも意外なほど美しい花を咲かせる、というものだったと思われる。
 そう。ダイコンの花は美しいのだ。形状はアブラナとそっくりで、紅色を帯びた薄紫の花弁を着ける。ダイコン畑は菜の花畑と同じように群生させられるので、遠くから見ても壮観に映る。
 ハマダイコンは栽培種のダイコンが野生化したものであるらしい。アブラナ同様、ダイコンの種は小さい。100%管理することなど不可能で、どうしても種が畑の外にこぼれてしまう。これが野生化したのだろう。名前からして沿岸性の植物と受け取られがちではあるが、必ずしもそうではないらしい。河川の河原などにも群生している姿が見られるという。とはいえ、海浜に多く繁殖していることが多いのは確かで、杜氏の住んでいる三浦半島、特に観音崎近辺には普通に見られる。初夏ともいえるゴールデン・ウィーク前後に開花することが多く、季節感を喚起してくれる花である。
 葉はダイコンより光沢を帯びて厚く、海浜の潮が直接かかる環境に適合している。秋に芽吹き、そのまま成長を辿りながら越冬し、前述の通り、晩春から初夏にかけて花を着け、夏に結実を迎える。
 沿岸に多く展開した理由は、その旺盛な生命力と繁殖方法にある。多くのハマダイコンの種は風で海に落ち、波に運ばれて遠く離れた浜辺に流れ着き、そこで再び発芽するのだという。海水の塩分を以てしても、ハマダイコンの繁殖力を阻止することは出来ず、かえって海流の助けで、広い地域に根を下ろす結果につながっている。それには果実の形状が大きな役割を負っている。果実の鞘は熟しても開くことがないそうだ。堅牢な鞘に包まれた果実は軽く、容易に水に、つまり海面に浮く。えんどう豆の鞘のような形をしており、これが浮き袋としても機能するするのであろう。
 野生化したハマダイコンは一年草ではなく、越年を可能としている二年草、または多年草となっているそうだ。これも畑では根を引き抜かれて人間に利用される一年サイクルの生活史が、野生では生命力を遺憾なく発揮できる環境にあるからだろう。
 ダイコンはダイコンなのだから、根菜として利用できるかと思うのは人情であるが、海浜に根付く植物としては意外に根が短く、10センチ前後にしかならない上に、固くて食用としては煮ても焼いても食えないらしい。品種改良されたダイコンのように50センチも60センチのある長い根は水分を吸い上げるのには無用の長物なのだろう。栽培種のダイコンの長い根は、地中深い部分から水分摂取するためではなく、人間に食されるのに都合よく出来ているということなのだろう。人手が介在しない野生の植物は、不要な手続きを省いて、効率的な生活、形態を辿るものだ。
 だが、若芽、花、果実などはそれぞれに野草として利用することが可能で、特に若芽の天ぷらは美味とされてる。おひたしにも適している。花、果実などは漬物にも利用されるらしい。この辺りはアブラナと同じである。家庭でも根についてくるダイコンの葉を味噌汁の具にしたり、油で炒めたりすることがあるが、あれとほぼ同じ味がするそうだ。考えてみれば、単なる菜っ葉なのだから、それも当然ではある。実は処理が難しい堅い根も何とか利用しようと努力はされているらしい。山葵のように卸金で擦り卸し、薬味として使われることも稀にはあるらしい。山葵もアブラナ科であり、マスタードや和芥子を採るカラシナもまたアブラナ科である。ダイコンとて繊維の方向に垂直に卸せば辛い大根卸しを作ることが出来る。ハマダイコンにも辛味成分が含まれていることは想像の範囲にある。

 ハマダイコンは本来中国で野生種だった原種から人工的に品種改良されたダイコンが、新たな環境に順応しダイコンとは異なる固有の遺伝子からなる植物に進化したものであろう。これを動物に当てはめると、オオカミやコヨーテ、ヤマネコから飼い慣らされて別種のイヌ、ネコへと変容したものが野良犬、野良猫となり、それらが独立した種となったという現象になるだろう。だが、野良犬、野良猫は、人間に捻じ曲げられて多様な品種の形を採ってはいても、イヌはイヌ、ネコはネコである。だから、異品種間で交配は可能で、雑種が生まれる。日本の典型的なネコの形態であった三毛猫は、その遺伝子が洋猫のそれと比べて劣勢であるのか、めっきり姿を消しており、街角で見かける野良猫の多くが洋猫の風貌をしている。ただ、それでも野良達は別種へとは進化しない。飼い主を失っても、人間の住む環境に依存するのが生存には効率的であり、住環境がさして変化しないためであろうか。いつまで経っても、野良犬がオオカミに、野良猫がライオンに変わる気配などない。
 原産地では単なるペンペングサだったと思われるダイコンは、日本で再び野に放たれた。大陸とは異なる列島の環境は新たな種を生み出したのであり、それは先祖帰りなのでは決してない。ハマダイコンの形質は、おそらく原種とはかなり異なったものとなったハズである。これはこれで凄いことだと、杜氏には思える。
 ダイコンの花は美しく、ハマダイコンの花もまた美しい。だが、そこにだけ捉われていると、ハマダイコンという種の存在意義を見失ってしまう。一旦は品種改良というおそらく生物としては脆弱化を経て、再び野に放たれて生命力を取り戻したという稀有な存在がハマダイコンなのである。



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