

アメリカを旅していると、この国が未だ歴史と呼ぶに足る文化を持っていないことを痛感させられることがある。たとえばハワイで、某大手電気メーカが「この木、何の木・・」というコピーを共にCMで利用していたモンキー・ポッド・ツリーを、「アメリカ最古の木」などと得意げにガイドから紹介されたりするが、樹齢はたかだか百年を超える程度に過ぎない。「ははぁ」などと感心してみせたりもするが、「何だ。近所の逗子にあるなんじゃもんじゃの木の方が樹齢推定400年でよほど古いや」と内心思ったりする。なんじゃもんじゃの木だって日本ではせいぜいが戦国時代程度からのありふれた古木で、その何倍も長く生きている樹が、日本全土にごろごろしているはずだ。
それは実のところ、日本にも当てはまるところだ。極東では最後発の新興国に過ぎない。たかだが三世紀に活躍したと思われる卑弥呼のことすら定かにはわかっていない。それも、日本の正史ではなく、中国の魏志倭人伝でしか知れないありさまだ。日本古来の文化、伝統を誇り高げに語る人は多いが、それらは本当に日本独自のものなのだろうか。いや大概は中国から渉ってきたものを、日本の気候風土に適合したものに最適化したものに過ぎない。政治、経済、宗教、皆どこかから拝借してきたものであることに、容易に思い当たる。
Japanではなくjapanという英単語がある。漆器を指す名詞だったり、漆塗りを施す動詞になったりする。海外では漆器は日本の特徴的な文化であると認識されているらしい。確かに現状では日本の漆器文化はユニークなものとなっているのだろう。だが、これもご多分に漏れず中国から伝来した文化のひとつである。Japan
waxというものもある。日本のワックスという意味ではない。漆で出来た蝋(木蝋)という意味である。これは、ウルシはウルシでも、その一種であるハゼの実を原料とする。
ウルシのような毒を含むものを、どうして極々生活に密着した日用品に利用するようになったのだろう。
ウルシかぶれを引き起こす物質はウルシオールというものらしい。一応カナタナにして効き目がありそうに見せている売薬の、驚くほど安易なネーミングのようだ。でも本当らしい。ウルシかぶれは代表的なアレルギー現象であり、ウルシ自体が毒というよりも、それによって起きる体内反応が炎症を招くという類のものだ。だからウルシの樹液を表面に施したとて、毒を以て毒を制すのごとき消毒、殺菌の効果はないだろう。単に剥げ難く、丈夫で繊細な加工が施し易いことから、漆器の技術が発達したのだろうか。下ろし立ての漆器の椀は、味噌汁をすする分には気にならないけれど、快とも不快とも断じ難い不思議な香りがする。
意外なのはマンゴーやカシュー・ナッツもウルシ科の植物であり、ウルシのアレルギーが現出してしまった人はこれらの食品にも注意が必要らしいということだ。また、銀杏にかぶれる人もいるが、これも同じウルシオールをイチョウが持っているからであるらしい。
ハゼはサトウハチローの「小さい秋見つけた」に「櫨の葉赤くて入日色」と謡われたどこにでも生えているウルシ科の植物である。最初、「小さい秋見つけた」はオフ・コースの「秋の気配」同様、お盆頃の晩夏に近い盛夏にほんの些細な秋の訪れを感じるという歌かと思っていたが、「櫨の葉赤くて」で決定的にそうではないことを思い知らされる。杜氏が住む地方でハゼが色づくのは晩秋、しかも冬に近い。秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる(藤原敏行・古今集)、という日本ならではの風情をそこに見出すことは出来ない。ただ、ハゼの紅葉が夕日の朱を帯びた赤で見事であることは間違いない。
前述したように、ハゼは漆器ではなく木蝋の産出に用いられる。大変上質は蝋が採れるらしい。そもそもが蝋の生産を目的として中国から輸入した栽培種が野生化したものとも言える。一説には蝋の事業で財政を賄おうとした薩摩藩が、琉球から取り寄せて定着させたハゼ栽培を他藩に知られないために必死に匿したとも伝えられている。地場産業としての希少価値を守ろうとしたのだろう。だが南国の木という印象は全くない。
杜氏の家の庭には数本のハゼが自生してしまった。改築で庭を掘り起こす前にも、ハゼが植えたワケでもないのに生えていた。赤くて目立つ実を小鳥が食べて、そこかしこに糞に混じった種が定着するのだろう。ナナカマドと同じくらい容易に繁殖する。いくら薩摩藩が秘匿しようとしても、他藩への流出は時間の問題だっただろうと思われる。
最初にハゼにかぶれたのはいつのことだろうか。既に小学校低学年で危険な植物であることを知っていたので、警戒は怠らなかった。そばを歩いて通るだけでかぶれる人もいるらしい。日本に繁殖するウルシ科植物の中で、毒性の強さでは蔓性のツタウルシが一番、次がウルシで、その次にハゼが来る。ハゼ同様、広く見られるヌルデはアリマキの寄生した虫こぶ、ヌルデミミフシからタンニンが採れることで有名だが、毒性はハゼより格段に落ちる。無害と言っていいほどだが、無害ではないらしい。こうしてみると、ハゼの毒性はウルシ科では下位に属するが、馬鹿には出来ない。杜氏は庭に生えてしまったハゼを斬った際にかぶれたのだと思う。暮れの大掃除の一環だった。上下しっかり肌の露出を避け、軍手をして完全武装の体だったが、ついつい額の汗を切り屑が付着した軍手の甲で吹いてしまうなどして顔をやられた記憶がある。わかっていてやられてしまうのだから始末に悪い。
中には、この木でちゃんばらごっこをして、全身かぶれてしまう子供などもいたが、そういうのは論外である。また、春先にハゼの若芽をタラノメと間違えて摘み、食べてしまって被害に遭う人もいるらしい。どこがどう似ているのか、杜氏には理解に苦しむが、触れただけで結構ひどい目に遭うケースが多いのに、食べてしまうとどのような症状になるのか。想像するだに恐ろしい。
本能ではなく、酷い体験、記憶・認識、警戒・回避という外敵のインテリジェントを逆手にとって種の防衛を図るのは、警戒色、警戒色に便乗した擬態などと在り方が似ている。動物の場合、一個体の体験に依存してしまうが、人間のように情報を共有出来る生物には非常に有効である。そして、自然界の全ての動植物にとって、最大の脅威は人間にほかならない。
好きな木、嫌いな木のアンケートをすると、ハゼ、ウルシは決まって上位にランクされる。それでも紅葉が美しく、赤くきれいな実(雌雄異株なので雄にはつかない)が鑑賞の対象となるのか、蝋の生産目的以外でも栽培されているという。剪定も困難であろうに奇特な人もいる。人間に警戒を喚起するという意味で、ハゼは貴重な存在なのかもしれない。
ハゼの名前の由来は、埴輪を作る粘土の色が紅葉した葉の色に似ていることから埴師(ハニシ)と呼ばれたのが訛ったらしい。土師(はじ)という苗字もあるが、櫨という名前を持つ人もいる。かなり古くから日本に馴染みの深かった木であることの証左だろう。
日本には資源が乏しく、文化ですら主に中国から輸入するしかなかった。更に徳川幕府という狭い国土を更に閉鎖的に運営するという仕組みが営々と続いたために、国家組織や軍のあり方まで輸入で賄った。だが、それらは狭い国土で煮詰められるように少しずつ違ったものへと変質していった。ウルシ、ハゼなども在来種とも呼べないし、漆器、木蝋などの文化とて日本オリジナルではない。それでも日本の気候風土を通じて土着していったこれらの文化は、japanと呼ぶにふさわしいのかもしれない。
無論、栽培種から野生種へと展開していったハゼの土着化も含めて。
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